第一話 ブルーメンフェルト
レーヴェンライヒ王国の領地貴族の当主は、半年単位で王都と領地を行き来するのが常だ。一月から六月を王都ヴァイスブルクで過ごし、七月から十二月を領地で過ごす。
四年に一度存在する十三月は、神々に捧げる祭祀の月だ。王都に留まる者もいれば、領地に戻る者もいる。盛大な行事が数多く行われ、婚姻を結ぶ者も多い。来年はその十三月の年に当たる。
王国歴五〇二年十二月。
ブルーメンフェルト伯爵は、王都行きの準備を進めていた。
「ですが旦那様、本当によろしいのですか? お一人で向かわれるなど無茶がすぎます」
パルツィファル・ヴェンツェル・フォン・ブルーメンフェルト伯爵は困ったように笑い、白髪の混じり始めた蜂蜜色の髪を掻いた。
「だがな、ハーネマン。お前を連れて行くわけには行かないだろう。誰が私の不在時に領地を管理する? ルードヴィヒだけではまだ足りないだろう」
家令のハーネマンは頭を抱えた。
「旦那様が思い切ったことをなさるから、いけないのですよ!」
ブルーメンフェルト伯爵家は現在、非常に困窮した状況にある。
よって、ほとんどの使用人を解雇した。
残っているのは領地運営に必要な数名のみだ。
領主不在の時期は夫人、あるいは跡継ぎである嫡子が執り行うか、代官を置く場合が多い。だがブルーメンフェルト伯爵夫人は、跡継ぎであるルードヴィヒを産んでから病床に伏すことが多く、五年前にこの世を去っていた。
「大丈夫よ、ハーネマン」
柔らかで、けれど意志の強い声が玄関ホールに響いた。
「私も父上と一緒に行くから」
「フィロメナ!」
「お嬢様!」
「姉上!」
三つの声色が重なった。
フィロメナ・マルリス・フォン・ブルーメンフェルトは肩をすくめた。亜麻色の髪をきつく纏め、簡素な旅装束に大きめの鞄がひとつ下げ、階段を降りてくる。
「あら、ルードヴィヒ。あなたも用意を?」
父譲りの蜂蜜色の髪を揺らし、ルードヴィヒ・ユストゥス・フォン・ブルーメンフェルトは扉を叩きつけるようにホールへと飛び出してきた。やはり旅装束に大きめの鞄をひとつ下げている。
「姉上こそ何をなさっているんですか! 父上のお供は私に任せてくださいと申し上げたではありませんか!」
「あなたはまだ十五歳。お供には頼りないわ」
「姉上では護衛にはなり得ません! 私なら剣の心得もあります! 先日ルーカスにも勝ちました!」
フィロメナは目を細めた。
「手加減されていたのでしょう。餞別よ」
ルードヴィヒはぐぬぬと鼻の頭にしわを寄せる。
ルーカスは使用人の一人で、パルツィファルの護衛でもあった。王都へは大抵彼が供をしていたのだが、先日解雇されている。
パルツィファルとハーネマンは、それぞれ額を抑えていた。普段なら真っ先に止めに入る家政婦長も、先日解雇されていた。
「お前達、どちらも連れて行く気はないぞ」
「却下ですわ、父上」
「絶対にお供致します」
よく似た灰青色の眸が四つ、パルツィファルを睨みつける。
「本当に……こういう時ばかり、よく息の合う姉弟だな、お前達……」
溜め息を吐いたパルツィファルに、フィロメナは言い募る。
「だいたい、王都の別邸は無人です。父上お一人で半年、生き長らえることができるとお思いですか」
「そうですよ。食事とか、どうするつもりなんですか。まさか仕事だけしていればなどと、思ってはおりませんよね?」
「人間、食べなければ死にますのよ。食料はブルーメンフェルト領と違い、親切に届けてくれる民もおりません」
立て板に水。まくし立てられて、パルツィファルは両手を上げた。
「ハーネマン、助けてくれ」
「申し訳ございません。手に余ります」
ハーネマンは丁寧に一礼した。
◇
ブルーメンフェルト領は豊かで、領民は領主一家を慕い、敬愛していた。
だが、ここ数年の冷害で不作が続いている。パルツィファルは当然のごとく年貢を減免した。家財を削り、施しをし、領民に尽くした。
そこに事業の失敗が重なった。
結果、借金地獄である。
使用人に払う給金は底をついた。食料は領民があれこれと献上してくれているため、事欠くことはないが、金はない。無給でいいと言い張る使用人らを、ことごとく紹介状をつけて解雇。長年尽くしてくれた彼らを、路頭に迷わせるわけには行かない。
「本邸でさえこの有様。王都の別邸は半年前から無人です。埃はたまり、蜘蛛の巣が張っているでしょう」
フィロメナは続けた。
「私も少しの料理なら習いましたし、掃除だってできますわ。それに父上の助手は、ルードヴィヒにはまだ重い。私なら帳簿も付けられます」
「そのようなことは、王国七大貴族の娘がすることではない」
重々しく言うパルツィファルに、フィロメナは目を細めた。気圧され、パルツィファルは口をつぐんだ。
「でしたら父上こそ、伯爵の地位にある者がなさる振る舞いではないと、お認めになられますね」
ルードヴィヒとハーネマンが後ろで頷いている。
「助けろ」
パルツィファルが情けなく眉を下げた。
「反論の余地はありません」
「まさにお嬢様の仰る通りですな」
息子と家令も味方ではないらしい。パルツィファルはついに頭を抱えた。
「ああ言えばこう言う。まったく、その頑固さは誰に似たのだ」
「鏡をご覧になってください」
「……」
撃沈したパルツィファル。ルードヴィヒとハーネマンは目を合わせて頷いた。
「とにかく。王都へは私も共に参ります」
「私もです! 護衛が一人も居ないなどと、有り得ません」
(坊ちゃまにも護衛は必要です……)
ハーネマンはこっそりと涙を拭った。
「そもそも父上、王都までどう行くつもりだったのです? まさか馬車ではありませんでしょう?」
「うん? 馬車のつもりだったが……」
フィロメナは額を抑えて首を振った。
「盗賊に襲われたらどうなさるのです。身ぐるみ剥がれるだけならいいですが、命まで取られかねません。王都行きの商隊に話をつけてあります。同道させてもらいましょう」
「さすが姉上」
ルードヴィヒは素直に手を叩いたが、ハーネマンが眉をひそめ、パルツィファルが眉間にしわを寄せた。
「同道させてもらうにあたり、幾ら掛かった」
フィロメナが少し、視線を逸らせた。
「少々」
「お嬢様」
ハーネマンが詰め寄り、フィロメナは溜め息を吐いて肩をすくめた。
「銅貨百枚」
「……破格だな」
パン一個の値段がおおよそ五クライツ。庶民の一週間分の生活費が、おおむね二百クライツ程度。百クライツで一銀貨、百シルベルで一金貨だ。
フィロメナが言い難そうに続けた。
「道中の労働込みです。そして――ブルーメンフェルト伯爵家の名を使いました。伯爵家の関係者が、どうしても王都へ行かねばならない事情がある、と」
パルツィファルが顔を曇らせた。フィロメナは俯いた。
「ブルーメンフェルト伯爵家の為なら、と多くの方から口添えを頂きました。――まさか伯爵本人が来るとは思っていないでしょうが」
(二名のつもりだったから、値段は釣り上がるかもしれないけど……)
「伯爵令嬢本人もでしょう、姉上」
「嫡子ご本人もだと思いますよ、坊ちゃま」
四人は顔を見合わせ、揃って溜め息を吐いた。
「――まあ、私が一人旅となれば、護衛だのとついてきそうな者たちが多いからな……」
「旦那様をお一人で旅立たせたとなったら、私の首が飛びます。物理的に」
「洒落にならないぞ、ハーネマン」
「本気で申しております」
ハーネマンはどこまでも本気だった。フィロメナの提案がなければ、極秘で護衛をつける算段も整えていた。さすがに、フィロメナとルードヴィヒがついていくことまでは想定していなかったのだが。
ブルーメンフェルト伯爵領から王都までは、馬車で五日から七日程度かかる計算だ。商隊と同道するなら、安全は格段に上がる。
パルツィファルはフィロメナの肩に手を置き、軽く叩いた。
「ありがとう、フィロメナ。お前のおかげで、無事に王都につけそうだ」
フィロメナは少しほっとしたように微笑んだ。




