第四三話 王妃の茶会
王宮離れの温室は、南側に幾つもの大きな硝子窓を設けた煉瓦造りの建物だ。中には卓と椅子が用意してあり、今回は茶会だが、舞踏会や音楽会などの会場としても使用された。
天井や大きな窓からはたっぷりと陽光が降り注ぎ、屋内でありながら屋外の庭園にいるような感覚になる。
温室内には贅沢な東方の果物である甘橙や檸檬、柘榴などの木々が、爽やかな香りを放っている。
フィロメナは深く礼をし、それからゆっくりと卓に近付いた。
王妃が椅子から立ち上がり、手を広げて歓迎を表した。
「ようこそ、ブルーメンフェルト伯爵令嬢フィロメナ・マルリス」
「本日はお招きくださいまして、ありがとうございます。ローゼマリア王妃殿下」
フィロメナは頭を垂れて膝を折り、ドレスの裾を優雅に捌いてみせた。
穏やかな温室内なのに、冷え冷えとした空気が感じられるようだ。
それもそのはず。王妃の傍に控える二人が醸し出す威圧感は凄まじいものだった。
「ブルーメンフェルト伯爵令嬢」
「クローネンベルク侯爵閣下」
「ごきげんよう、ブルーメンフェルト伯爵令嬢」
「ごきげん麗しく、シュヴァルツェンブルク伯爵閣下」
アルブレヒトとカーティスに礼を返し、フィロメナは勧められた席へと着いた。その間も、一挙手一投足を見られている。
呼吸が浅くなった気がした。柑橘の香りが鼻につく。
それから間もなくして、国王ヴィルヘルムと、リンデンシュタイン侯爵ローデリヒが連れ立って現れた。
クローネンベルク侯爵家は王の剣。シュヴァルツェンブルク伯爵家は王の影。そしてリンデンシュタイン侯爵家は王の知だ。問題提起者であるクローネンベルク、制度と知識に長けたリンデンシュタイン、調査を見届ける中立な立場のシュヴァルツェンブルク。
そして裁定を下す立場の国王夫妻。
――フィロメナの断罪を行うに、完璧な人選だ。小娘ひとりにここまで豪華な顔触れを揃えるとは、いつそ笑いが込み上げてきそうだ。
皆席を立ち、国王に一礼した。
「良い良い。今日は王妃の茶会だ。楽にせよ」
国王は鷹揚に手を振って着席する。ローデリヒもそれに続いた。
気さくな国王に優しげな王妃。
だが、フィロメナの足元には奈落への穴がぽっかりと空いている。
「今日はこれで全て揃いましたか」
ローデリヒがぐるりと顔触れを見回した。フィロメナに目を留め、にこりと笑う。だがそれは表面だけで、裏側には冷徹な眼差しが隠されているのが見て取れた。
「今日はあなたの話を聞きたくてね」
「畏れ入ります、リンデンシュタイン侯爵閣下」
いきなり本題かとフィロメナは思わず身構えた。王妃が苦笑する。
「ローデリヒ、お若い方をあまり怖がらせるものではなくてよ」
「それはすまないね、妃殿下」
双子の兄妹だけあって、王妃とローデリヒは気安い態度だ。
カーティスとフィロメナを除けば、皆が現国王とは姻戚関係にある。
(既にここは戦場――気を抜くな)
フィロメナは小さく拳を握った。ぴりぴりとした空気は肌に痛い。
「紅茶をどうぞ、フィロメナ嬢。あなたは随分と紅茶が好きなのだと、噂を聞きました」
一見好意的な態度の王妃だが、彼女はリンデンシュタインの出。理知的な政治家のひとりだ。
「畏れ入ります」
王妃に勧められ、フィロメナはそっと紅茶茶碗を手に取った。
一口飲むのを待って、王妃が少しだけ悪戯っぽく笑った。
「何の紅茶だか、わかって?」
フィロメナは躊躇いなく答えた。
「ゲーンダーの春摘みです」
王妃は目を瞬いた。
「まあ……! 本当にすぐにわかるのね。アーデルハイド嬢の言った通りだわ」
アーデルハイドの名が出て、アルブレヒトはわずかに顔を顰めた。王妃は頓着せず言葉を続けた。
「この紅茶、ゼーベルク商会から購入しているのよ。あなたの婚約者のゼーベルク男爵は、良い品物を届けてくれる優れた商人だわ」
「畏れ入ります」
型にはまった礼だが、フィロメナの表情は和らいだ。ディートリヒが王妃に褒められて、嬉しかったのだ。
カーティスが少しだけ目を細めた。微笑ましげなものではない。鋭い値踏みの視線だった。
フィロメナは唇を引き結ぶ。緩んだ表情を消し、冷徹な眼差しを取り戻した。
アルブレヒトがひとつ、咳払いをした。
「妃殿下、少しフィロメナ嬢と話をしても?」
「ええ、勿論。フィロメナ嬢?」
「はい。何なりと」
フィロメナはアルブレヒトに向き直る。そこに臆した様子はなかった。
王妃とローデリヒは、その態度に感心したように視線を交わし合う。宮廷の支配者とも渾名されるアルブレヒトに対し、中々の胆力だ。大抵の若者ならば、尻尾を巻いて逃げ帰るだろうに。
カーティスは、ただ静かに二人の対決を見つめていた。
「この秋の、ゼーベルク商会とブルーメンフェルト伯爵家との契約を調査しました」
アルブレヒトが口火を切る。フィロメナは頷いた。
少しだけ不満そうにアルブレヒトは言う。
「不正はありませんでした」
「ほう?」
国王が面白そうに紅茶を飲む。アルブレヒトは続けた。
「但し、忖度がありました。荷役の優先に、通行の便宜を図った。そして、倉庫の融通もです」
フィロメナは頷いた。
「承知しております。それが、この三件になります」
そっと卓上に三枚の紙が置かれる。アルブレヒトが片眉を上げた。
「但し、それを命じた者はおりませんでした。そのことも既にお調べかと存じます」
アルブレヒトは苦く頷いた。ローデリヒが微笑む。
「制度が人を腐らせたのではなく、人が制度の隙間を埋めたのですね」
それは、フィロメナに味方する言葉ではなかった。ただ事実を事実として述べただけ。
フィロメナは顔を上げた。
「この三件の事案において、我がブルーメンフェルト伯爵家にも、ゼーベルク商会においても、監督不足があったのだと認めます」
フィロメナの台詞に全員が驚いたように目を瞠った。自ら非を認めるとは思わなかったのだろう。
ですが、とフィロメナは言葉を続けた。
「主契約七件、その付随契約三二件、関連書類一二四通においては、何ら問題がなかったことも付け足させていただきたく思います」
具体的な数字が出たことにカーティスは笑い、ローデリヒと王妃は目を瞬き、国王は声を上げた。
「すごいな」
国王にフィロメナは一礼した。
感嘆するのも無理はない。一貴族令嬢が把握できる数ではない。しかも手を抜かずにすべて確認したと。
官吏に引き抜きたい優秀さだと、国王は満更冗談ではなく思った。
アルブレヒトは苦虫を噛み潰したような表情になった。
「細かい数字はさておくとして、ブルーメンフェルト領の収穫の三割から四割を、ゼーベルク商会が扱う計算になります」
「はい。その通りです」
フィロメナは頷いた。動じてはいないが、緊張はしている。握った拳に汗が滲んだ。
「であれば、今回は問題なくとも、だ。いずれは問題が起きるだろう予測は、誰にでもできるかと存ずる」
アルブレヒトの言葉に、フィロメナは頷いた。
フィロメナが頷いたことに、アルブレヒトは動揺した。ここは反論が来ると思っていたのだ。
その場の誰もが思った。ここから挽回する手段があるなどと、誰一人として考えてはいなかった。
――フィロメナ以外は。
「ですから、ここにご提案させていただきたいことがございます」
フィロメナは一枚の紙にまとめられた草案を、卓上へと出した。
「領主家と商会の取引を公開すること。必ず複数商会の入札を行うこと。市場監査を常設すること。神殿立会の記録を残すこと。――以上四点、制度として確立させたく思っております」
国王が目を丸くした。カーティスが目を瞠り、ローデリヒは息を呑んだ。アルブレヒトは動かない。
いや、動けないのだろうか。
国王はフィロメナの草案を手に取り、王妃に見せた。
「――フィロメナ嬢、これはあなたが?」
「はい。まだ粗削りでございます故、至らぬ点は皆様のご意見をお伺いできればと存じます」
フィロメナは王妃をまっすぐに見た。灰青色の眸は油断なく輝いている。
「構造が歪むことを “善意”で抑えることができないのであれば、"制度"で抑えれば良いのではないかと考えました」
若気の至りと捉えられるかもしれない。ただの無茶で無分別な提案と一蹴されるかもしれない。
それでも、フィロメナにはこの一手しかなかった。
「どうぞ、ご一考くださいませ」
そう言って、深々と頭を下げた。




