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第四十話 運命の日

「単刀直入に言うわ」

 応接室に通されたアーデルハイドは開口一番そう言った。

「お父様の、次の監査対象と根回しの相手を掴んだの。伝えに来た」

 フィロメナは目を瞬いた。一瞬理解ができなかった。

「"もし七大貴族が婚姻によって、特定商会へ便宜を与えるなら、王国市場は健全性を失う"。それがお父様の主張」

「アーデルハイド様、それは――」

 フィロメナの台詞を遮り、アーデルハイドは(まく)し立てた。

「私だってわかってる。お父様は間違ってない。あなたたちも間違ったことはしてないでしょう! でも、このままではあなたたちの婚約が破綻しかねないじゃない!」

 フィロメナに掴みかかりかねない様子のアーデルハイドを、ヨランダがそっと押さえた。

「お嬢様、落ち着いてください。フィロメナ嬢がお怪我をします」

 アーデルハイドは艷やかな黒髪を掻き上げた。

「――ごめんなさい、落ち着くわ。ええ、落ち着いた」

 そう簡単に落ち着けるものなのだろうか。フィロメナは少し目を瞬いた。

「ご心配くださいまして、ありがとうございます」

「あなたは落ち着き過ぎよ!」

 またもや激高するアーデルハイドに、フィロメナは苦笑を返した。アルマは慣れているが、ギーゼラはアーデルハイドに近しく接するのは初めてだ。目を白黒させているのを視界の端にとらえる。

「婚約を破棄するつもりはありません。そして、侯爵様にご納得いただけるだけの証拠を集めるつもりでおります」

 フィロメナは睫毛を伏せた。その表情にアーデルハイドはぞくりと背筋を凍らせる。冷徹な才女がそこにいた。

「今ゼーベルクが倒れれば、冬の物流が崩れます。――ですから、そうはさせません」

 フィロメナの静かな覚悟に、アーデルハイドは確かに気圧された。

「ですが、いただける情報は全部いただきたいと思いますわ」

 微笑むフィロメナに、アーデルハイドは苦笑した。

「相変わらず、底のしれない人よね、あなた」


 (テーブル)に書類を広げ、アーデルハイドは名前を挙げていく。

 フィロメナは頷きながらひとつずつ、帳面(ノート)にそれを書き込んでいく。

「ヴィンフリートも動いているわ。彼はもっと深刻ね。"古い誇りだけでは民は食えない"。そう言っていたわよ」

「ヴィンフリート様がそのようなことを……」

「お父様の書類をこっそり閲覧したり、調査を遅延させたり、官僚の説得をしたり、色々小細工をしているみたい」

 フィロメナは呆気に取られ、思わずペン先を引っ掛ける。紙面にインクの染みがぺしゃりと付いた。

「何故、そこまで――」

「好きだからでしょ」

 アーデルハイドはあっさりと言ってのけた。

「全く始末に負えないわよ。あの人、あなたもゼーベルク男爵も好きなんだもの。バカよね」

 フィロメナは何も言えなくなった。言葉が喉の奥で固まってしまって、出てこない。

「泣かないでよ。私が泣かせたみたいじゃない」

「――泣いておりません」

 掠れた声で、何とかそれだけは口にした。

「お父様は、正攻法であなたたちの婚姻を阻止したいの。さすがに証拠の捏造はしないと思うわ」

「その心配はしておりません。侯爵様はご自身の正義を貫かれるお方ですから」

 アーデルハイドは少しだけ照れたように微笑んだ。

「ありがとう。何だかんだ尊敬する父なの。反発はしてるけど。――でも、心配なのはお父様じゃなくて、下の方」

 フィロメナは頷いた。

「侯爵様の意向を忖度し、証拠を捏造する者が出るやもしれないということですね」

「それよ。お父様もそれは望んでいない。――たぶんね。いえ、きっと。――そうだといい」

「はい」

 アーデルハイドはフィロメナの手を取った。そして目を(みは)った。

「あなた……緊張してるの? すごく冷たくなってるわ」

 フィロメナは微笑む。

「それはもう。崖の縁を歩いているような心持ちですから」

 王の――つまりは指揮を取るアルブレヒトの調査対象は穀物流通、契約記録、領主倉取引、通行証にまで及んでいる。

 コルンマルクトの商人たちは震えているという。自身に(やま)しいことはなくとも、厳しく問い(ただ)されれば怯む。

 そして売り渋りや買い控えが起こり、憶測が飛び交う。

 ――ゼーベルク商会は確かに優遇されているのではないか、と。

 ゼーベルク商会が選ばれる理由は合理的なものだ。信用がある。輸送能力が極めて高い。冬前の納入が可能である。そして備蓄能力の大きさ。

 結果として弱小商会は買い負ける。

「ですから、ゼーベルク商会が優遇されていないと言い切ることができないのです。だからこそ――身の証を立てるのが難しい」

「でもそれは、正しいことを選んだ結果そうなったのでしょう? それは不正ではないわ」

「はい。――でも、それを信じていただくには、証拠がいります」

 フィロメナは長く息を吐いた。

「それを、ここまで積み上げました」

 (うずたか)い帳簿の山を、フィロメナはアーデルハイドに示した。

 アーデルハイドもヨランダも啞然と口を開けた。国家の調査団も真っ青な成果だ。

「でも、まだ全てではありません」

「あなた……まさか、結ばれた契約を全て網羅するつもりなの?」

「でなければ、侯爵様は納得してはくださらないでしょう」

 愚直なまでの誠実さに、呆れ返った。

「さすがは、()()ブルーメンフェルト伯爵の御息女ね……」

「褒め言葉と受け取ります」

「ええ、褒めてるわ。呆れるほどよ。そして同時に、あなたの努力が報われることを願うわ――心から」

 フィロメナは柔らかく微笑んだ。

「ありがとうございます」


 それから三日間。

 フィロメナは証拠を積み上げ続けた。潔白の証を立てるために、地道に、愚直に。

 今のところ、後ろ暗い案件は何ひとつ出てきていない。

 胸の奥にほのかな希望が灯った。このままいけば、傷ひとつない完璧な証拠を提示できる。

 クローネンベルク侯爵アルブレヒトの懸念は杞憂であったという証明ができる。

 

 そして、運命のその日。

 ディートリヒがバルトロメを伴いフィロメナを(おとな)った。

 ディートリヒの顔色が悪い。フィロメナの胸を、嫌な予感が走り抜けた。

 応接室、数枚の契約書が(テーブル)に置かれる。

「……これは」

 フィロメナの声が震えた。ギーゼラがフィロメナを支える。

 ディートリヒが目を(つむ)る。バルトロメが代わりに口を開いた。

「不正はありませんでした。ですが――」

 言い淀んだバルトロメを制し、ディートリヒが静かに言葉を紡ぐ。

「地方役人たちの忖度が存在しました。これが優先されていた事案です。――三件」

 フィロメナが震えた。倒れないように支えながら、ギーゼラが声を荒げる。

「でも、誰も命令はしていないのですよね? それは不正ではないのでは?」

 ディートリヒは首を横に振った。

「構造が歪み始めている。それはブルーメンフェルト伯爵家にとって致命的な傷になります」

 海のような青い眸が揺れた。泣きそうに見えた。

「侯爵は正しかった。私は――商人は、七大貴族の令嬢であるあなたと、結婚すべきではない」

 フィロメナは倒れなかった。

 それでも、ギーゼラの腕の中で震えていた。

「婚約期間中のゼーベルク商会からブルーメンフェルト伯爵家への融資はそのままに。そして結ばれた契約を破棄することはないことを――」

 ディートリヒの言葉が滑っていく。耳には確かに入るのに、内容が全く理解できない。

 頭の中が真っ白になっていた。ただ、自分の鼓動が早鐘のように鳴り響いているのを、他人事のように聞いていた。

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