第三九話 広がる波紋
晩餐会が終わってすぐ、フィロメナとディートリヒは来た時同様、それぞれの馬車で帰宅の途についた。落ち合うのはブルーメンフェルト伯爵家別邸。
慌てた様子で帰宅したフィロメナとルードヴィヒに、執事のルドルフは目を瞬いた。
「緊急事態よ」
フィロメナの一言で、ルドルフはすぐに応接室を整えさせた。そして間を置かず、ディートリヒとバルトロメが訪れた。バルトロメは晩餐会の会場傍で控えていたのだ。
応接室でフィロメナ、ルードヴィヒ、ディートリヒ、バルトロメが顔を突き合わせた。晩餐会の正装のままなので、少しどころではなく違和感がある。
空気は物理的に掴めそうなほどに、重い。
「商談関係の詳細は、本邸の家令が把握しています。すぐに問い合わせの手紙を出します」
ディートリヒは頷いた。正装し、整えられた髪の毛が少しだけ乱れている。
「こちらはブルーメンフェルト領に在地の支部長すべてを当たりましょう」
フィロメナがディートリヒをまっすぐに見つめた。
「問題とされたあの商談ですが――」
コルンマルクトでの商談には、フィロメナもルードヴィヒも立ち会った。そしてパルツィファルもだ。
ルードヴィヒが挙手し、発言する。姉とそっくりの灰青色の眸が揺れた。卓に手をつき、身を乗り出す。
「契約は商いの神カウフマリウスの名において、偽りなく行われたと証言できます」
バルトロメも頷く。白に近い銀髪がゆれる。紫水晶のような眸は剣呑な光を宿していた。
「ええ。何かあるとしたら――あったら問題ですが――コルンマルクトの中枢以外かと思います。どこかで忖度が行われたとしたら、中央ではなく末端でしょう」
把握次第処理する。そういう台詞が聞こえてきそうな表情だった。
ディートリヒはルドルフが持って来たブルーメンフェルト領の地図に、手早く印を付けていく。ペン先が滑る音がいやに大きく聞こえる気がした。
「この印の部分がゼーベルク商会の支部の、手の届く場所です。ブルーメンフェルト側は、この近辺を当たってください」
「わかりました」
フィロメナは真剣に地図と向き合いながら、記憶を辿っていく。頭が隅々まで澄み切っているような感覚だ。それを更に研ぎ澄ませる。
記憶を芋蔓式に、次から次へと引っ張り出していく作業だ。ひとつの記憶に関連付いた記憶を、更に広く、深く掘り出していく。
それなりに大きな商談が行える町はコルンマルクトだけだ。
他の村々から集めた穀類も、ほぼコルンマルクトの倉庫群に収められる。コルンマルクト代官アンドレアスとゼーベルク商会支部長との契約は、先先程ルードヴィヒが言ったように後ろ暗いものは何一つない。
「――代官に調べさせましょう。おかしな取引を耳にしたことがないかと」
ディートリヒが顎に手をやった。青い眸は猛禽類のそれに良く似ている。
「カウフマリウスの契約書を交わした者は、まず潔白と見ていいでしょう。神に背くだけの胆力がある者は中々いない」
「でしたら、家令が保管している契約書以外の取引に絞れます」
フィロメナは燃えるような眸をディートリヒに向けた。灰青色の炎は静かに熱い。
「集められるだけの証拠を集めます。潔白を証明するのは、不正を証明するより難しいことですから」
ルードヴィヒは矢継ぎ早に交わされる遣り取りに、既に目が回りそうだ。
バルトロメが目を細めた。
私的な結びつきが公的な利権と結びつくと、利益相反や身内贔屓といった腐敗は避けられない。それ自体はもっともなことだ。
だがそれは、ブルーメンフェルト伯爵家とゼーベルク商会の婚姻に対する痛烈な批判となる。
「情報部を総動員します。これはゼーベルク商会に対する重大な疑惑です。――ご隠居にも話を通すべきかと」
ディートリヒは一瞬、苦く顔を顰めた。
「親父殿に迷惑をかけることになったな」
フィロメナがそっとディートリヒに手を伸ばした。
「――お義父上、ギュンター元総帥ですね?」
「……ええ」
伸ばされた手を握り、ディートリヒは溜め息を吐いた。
「叱られるのは慣れています。ご心配なく」
「そういうことではありません。お義父上にご心配をお掛けするのを、苦しく思っておいででしょう?」
「――何故?」
フィロメナは眉を下げて笑った。
「私も同じですから」
ディートリヒが目を瞠った。
「一緒に頑張りましょう。――婚約者ですもの」
青い海が揺らいだ。言葉にできない感情があふれて、けれどディートリヒは別のことを口にした。
「――必ずや、疑惑を晴らしましょう」
フィロメナは強く頷いた。
「はい」
ブルーメンフェルト領まで通常ならば馬車で五日。早馬なら一日、二日で辿り着ける。
「まずは詳細な指令書を作成しなくては。伝える内容に齟齬があれば二度手間です」
ディートリヒが目を細めた。
「あなたはいつも冷静だ。頼もしい」
「慌てても、事態は好転しませんもの」
ルードヴィヒが溜め息を吐いた。
「姉上の場合は肝が据わっているって言うんですよ」
フィロメナは半眼になった。
「令嬢らしくないってことかしら、ルードヴィヒ」
「いいえ、最大の賛辞です」
「確かにお嬢様は豪胆でいらっしゃいます」
今まで黙って控えていたルドルフが発言し、フィロメナは怒ろうとして失敗、笑ってしまった。
笑いは伝染する。
張り詰めた空気の応接室に、軽やかな笑い声が響いた。
◇
そして数日が経った。
次々とブルーメンフェルト領から届けられる報告書を読み漁り、フィロメナは几帳面に帳面にまとめていく。
今のところ不正があったという報告はひとつもない。
それをひとつひとつ拾い上げ、結ばれた契約に不審なところはなかった、という証を積み重ねていく。地道な、だがとても重要な作業だ。
結ばれた契約は膨大な量になる。それでも、ひとつも見落とすことがあってはならない。
その見落としたひとつが、まさに不正の証拠かもしれないからだ。もしもそれが後から明らかになったなら、敢えて揉み消したのではないかという疑惑に繋がるだろう。
終わりがない作業に思えても、必ず終わりは訪れる。そう言い聞かせて、フィロメナは自身を鼓舞し続けた。
ルードヴィヒが扉を叩いた。
「姉上、アーデルハイド様から札です」
それは訪問の証だ。しかも玄関で待っているという印付き。
「すぐにお通しして。ギーゼラ!」




