第三八話 王都の秋卓
王都の秋卓は、王宮の黄金穂の間で行われる。卓の上には深緑のリボンで結ばれた黄金の小麦の穂が飾られている。葡萄の房と林檎が添えられ、鮮やかな赤が眩しい。
天井には装飾照明が煌めき、王家の紋章旗を中央に、七大貴族の紋章旗が整然と飾られている。
フィロメナは緊張しながら席に着いた。
最上席に座した国王ヴィルヘルム。その右隣にアーデルハイド。王妃ローゼマリアの右隣にクローネンベルク侯爵アルブレヒトが着席した。
アーデルハイドの隣は王太子ジークムントだ。王太子妃リリア・マルタ、王弟夫妻に第二王女アマーリエも穏やかに会話を楽しんでいる。
席は隣同士が同性にならないよう、男女が交互に配置される。また、夫婦であっても晩餐会の席では隣同士にはならず、別々の相手と会話を楽しむ社交の場として配置されるので、ルードヴィヒとは隣り合えない。そのルードヴィヒの隣は王弟妃マティルデ。つまり、クローネンベルク侯爵アルブレヒトの妹――極端な言い方をすれば敵の首領の妹である。
(かわいそうなくらいに緊張しているわ……)
横目でルードヴィヒを伺い、フィロメナは吐息を微笑みで誤魔化した。
フィロメナの隣はヴァルデンブルク公爵ゴットフリートの嫡孫だ。騎士団に所属しており、ヴィンフリートとも親しいという。
そのヴィンフリートはアマーリエと何やら軽口を叩き合っていた。というか、アマーリエがヴィンフリートを何かと挑発しているようだ。楽しげな笑い声が聞こえ、周囲が微笑ましげに目を細めた。
リンデンシュタイン侯爵家、シュヴァルツェンブルク伯爵家はそれぞれ当主夫妻が出席。
エーバーバッハ侯爵家も当主の出席だが、マクシミリアンはまだ妻帯していないため、叔母と家令が同席している。
(アルテンベルク辺境伯家は今年も代理ね)
アルタリア大公国との国境沿での小競り合いは、今も続いているため、辺境伯が王都まで来ることは滅多にない。どれほど重要な儀式であってもほぼ代理だ。
(それが許されるだけの実力があるということだけど……国境が騒がしいのは、良いことじゃないわね)
七大貴族家からの出席者はまだ馴染みがあるが、それ以外の有力貴族や大商人、神殿関係者となると、さすがにわからない。
フィロメナは姿勢を正した。
今のフィロメナはブルーメンフェルト伯爵家の代表だ。表向きはルードヴィヒの付添いだが、そう見る者は少ない。
付けいる隙を見せてはいけない。ここは華やかな戦場なのだ。
そんな中、ディートリヒが到着した。遅刻でも、最後の登場でもない。それでも視線が集中する。
向けられる視線の種類は色々だが、最も注目を集める人物であるのは確かだ。
中には敵意に似た色合いさえあるのが悲しい。――それも無理もないこととは思う。彼はこの集団の中で異質だ。王国一の商会の総帥であり、男爵。商人でもあり貴族でもある。つまりは、どちらから見てもはみ出しもの。
それでも、想い人が敵意を向けられるのは辛いものだ。
フィロメナと視線が合い、ディートリヒはわずかに頬を緩めた。フィロメナも小さく会釈する。
胸の奥がほんのりと温かくなる。氷の平原にいたのに、そこに花が咲いたような。
ほんのわずかに通い合った柔らかな空気に目を留め、ローゼマリア王妃が微笑んだ。
◇
各家から献納された品物が披露される。エーバーバッハ侯爵家からはゴルトトラウベの葡萄酒。ブルーメンフェルト伯爵家からはアルトドルフの蜂蜜だ。
「今年の王都穀価は安定しておりますな」
宴も中盤になって、誰かがそう口にした。
「そういえば、ゼーベルク商会が相当量を押さえたと耳にしました。――特にブルーメンフェルト領のコルンマルクトにおいて」
空気がわずかに変わったことを、フィロメナは感じ取った。ブルーメンフェルト伯爵家とゼーベルク商会総帥の婚約は、多くの者にとって恋愛ではなく政治の問題だ。
フィロメナが反論する前に、ディートリヒが堂々と答えた。
「冬備蓄契約の分です」
何の含みも計算もない事実を述べただけだが、それだけに強い反論になった。
だが。
「流通集中は、安定にも危険にもなりますね」
リンデンシュタイン侯爵ローデリヒが軽やかに口にし、クローネンベルク侯爵アルブレヒトが頷いた。
「商流が安定すること自体は喜ばしい」
ですが、と彼は続けた。
「権力と流通が近付き過ぎる時、国家は慎重であるべきでしょう」
場が、わずかに冷えた。
それは糾弾ではない。国家論だ。誰を責めてもいない。――だからこそ、刺さる。
フィロメナは葡萄酒を一口飲んだ。口がひどく乾いていた。
アルブレヒトの言いたいことを、フィロメナは理解できる。できてしまった。そして、老獪な侯爵相手に己の国家論を主張できるほど、フィロメナは向こう見ずではなかった。
語れば負ける。未熟な論理を振りかざして挑みかかるほど、愚かではない。
だから、今は負けないためには黙るしかない。
ディートリヒは静かに頷いた。
反論はできない。事実だからだ。
だが、青の眸は強く輝いている。それは誰をも圧倒する深い海のようだった。
アルブレヒトとディートリヒは視線を合わせ、お互いに一歩も引かなかった。青色と灰色の火花が散る。
「……続けよ、アルブレヒト」
国王ヴィルヘルムが静かに促したことで、明らかに場の空気が変わった。
アルブレヒトはひとつ、咳払いをした。
フィロメナはディートリヒの背中を支えたいと、強く思った。彼がひとりで立てる強い人なのは、知っている。それでも、今は隣にいて、彼を支えたかった。
「私はゼーベルク男爵個人を疑ってはおりません。そして、ブルーメンフェルト伯爵も然り」
しかし、とアルブレヒトは続けた。
「制度は、善人だけを前提に作るべきではない。婚姻によって、領地と商流が結びつく時、必ず公私混同の危険は生じます」
沈黙が落ち、ディートリヒは頷いた。頷かざるを得なかった。
「そのご懸念はもっともです。私個人は、神に誓って不正を行ってはいません。そして、ブルーメンフェルト伯爵の清廉潔白なお人柄は、ここにおられるどなたもがご存知のことと思います」
ディートリヒの声は揺らがない。
「ですが、必ずしも末端まで指示が行き届いていると、今ここで断言はできません」
そう。それもまた、事実だ。
フィロメナの顔から血の気が引いていく。
誰かが良かれと思い忖度した可能性は零ではない。悪意ではない。だからこそ、怖い。
国王ヴィルヘルムは冷静に会話を聞いていた。誰も断罪しない。だが――
「冬を前に、王国市場が揺らぐのは望ましくない」
その言葉は、ゼーベルク商会とブルーメンフェルト伯爵家との癒着調査の容認だと、フィロメナは感じ取った。
深く、息を吸う。そして吐いた。
「我がブルーメンフェルト伯爵家の名にかけて」
フィロメナは発言した。ルードヴィヒが弾かれたように顔を上げたのがわかった。だが、フィロメナは発言を止めなかった。
声は、震えていない。
「皆様のご懸念を払う努力をいたします。可及的速やかに結果をご報告することを、ここにお約束いたしましょう」
堂々と顔を上げ、はっきりと宣言する。
疚しいことは何もない。――少なくともフィロメナの感知する限りでは。
伯爵家に仕える使用人たちも信頼している。だが、ディートリヒの言うように、末端まで完璧に行き届いているとは断言できなかった。
人は誰しも思惑を持って動くものだ。完璧に、思い通り動かすことなどできはしない。
だからこそ、何かが出てきた時にどう対処するかが問われるのだ。
動くからには、最悪の事態を想定しておかねばならない。
フィロメナは唇を噛んだ。それは無意識の動きだった。動揺を表に出すなど、この場では決してしてはならないのに。
明らかな失態だが、フィロメナ自身はまだそれに気付いていなかった。
王弟妃マティルデはアルブレヒトへと視線をやった。彼女は兄が本気で国家を憂いていることを知っている。
王妃ローゼマリアはフィロメナを見た。リンデンシュタイン侯爵ローデリヒは、興味深そうに目を細めた。
フィロメナが、ディートリヒがどう動くのか。それによって評価を決める。そんな眼差しだった。
アーデルハイドが、ヴィンフリートが、心配そうにフィロメナを見た。
ディートリヒと視線が絡んだ。心配そうな表情の奥、海のような眸が燃えている。
フィロメナは精一杯の気丈さを振り絞って、ディートリヒに向かって微笑んだ。
心配を掛けたくない一心だった。




