表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
38/47

第三七話 結婚前不安症

 十月。フィロメナは馬車の窓から外を覗いた。多くの領地貴族は領地へと帰還しているため、王都ヴァイスブルクは静かだ。

「やはり夏を越すと、王都は静かになりますね、姉上」

 ルードヴィヒの言葉にフィロメナは頷いた。

「そうね」

 秋冬の王都は春夏の活気に満ちた姿とは、また別の重厚な空気に満ちている。

 だが、すべてが去ったわけではない。城下町の民は変わらず生活している。貴族も領地経営は家令に任せ切りの領主もいるし、刺激の強い都会から田舎へ戻るのを良しとしない若者も多い。

 そんな中、フィロメナはブルーメンフェルト領から王都へと戻った。

「さあ、これからガンガン婚礼準備を進めますわよ」

 後ろの馬車から大荷物を降ろし、ギーゼラが拳を突き上げた。

「相変わらずギーゼラは元気ですね。長旅の疲れも見せないとは」

 執事のルドルフが苦笑するのに、フィロメナもルードヴィヒも頷いた。

「元気でなければギーゼラではないわね」

「毎度のこととはいえ、本当に生命力に溢れてますよね」

「はい。――ところで、お嬢様に招待状が届いております」

「あら、こちらに来ることがもう知られているのね」

「それはもう。クローネンベルク侯爵家のアーデルハイド様が、お嬢様にご執心でいらっしゃるので。社交界でも噂だそうですよ」

「……それは、ありがたいことなのかしら」

「場合によりますね」

 ルドルフは粛々と招待状を差し出した。

 晩餐会、新酒会、献上品品評など、静かな王都とはいえ社交界ではそれなりに催しが多い。

 そして十月といえば収穫祭だ。王族による祭祀と、七大貴族による献納の儀式が行われる。

 城下の民は、その後に行われる市場祭を楽しむのが主目的だ。貴族たちも参加し、身分を問わず収穫を祝う。夜に行われるルフトブラウ川の灯火祭は、恋人たちが愛を語らうのに最適だ。

「あら、ディートリヒ様からもだわ」

 招待状を確認していたフィロメナが目を瞬く。

「会わせたい人がいるのですって。どなたかしら」

 ギーゼラが小首を傾げた。

「ゼーベルク商会の元総帥とかではないのですか?」

「義理の父上様になる方ね。……でも、それならそうと仰ると思うの」

 一言添えていないということは、誰か別の人物なのだろう。それが誰なのかは想像もつかないけれど。

「まあ、確かにそうですわね」

「とにかくお返事をしなくては。ギーゼラは荷物の整理をお願い。アルマ、便箋と封蝋一式を用意して」

「畏まりました」



 ひとまず人と会うのは王宮収穫祭晩餐会――王都の秋卓が過ぎてからということになった。

 招待状ひとつひとつに丁寧に返事をしたためながら、フィロメナは呟く。

「とにかく帯の注文だけは、先にしておかなくてはね」

 アルマが確認のため注文書の下書きをした。

「白絹に金糸、銀糸。紋様は祝福を主体に愛の女神リーベリアと、旅と導きの神ヴァンダリウスの神紋――でよろしゅうございますか?」

「ええ。……どう思う?」

 アルマは目を瞬いた。

「私の意見ですか? ギーゼラの方がよろしいのでは」

「アルマの意見も欲しいのよ」

 アルマは顎に手をやり首を傾げた。

「そうですねえ……良くまとまっていると思います。ゼーベルク男爵は良く航海に出られるので、海の神マレウスも良いかとも思うのですが、神紋が三つでは煩雑になります。――ですからこれが最適かと」

「わかったわ。ありがとう」

 フィロメナは頷くと署名をし、溶けた蝋を垂らすと封印を施した。

「ではそれぞれに遣いを」

「お願いね」

 アルマと入れ替わりにギーゼラが入室した。

「お嬢様、秋卓に着ていくドレスなのですが、どうなさいますか? 坊ちゃまと合わせるか、ゼーベルク男爵と合わせるか、または誰とも合わせずに行くか」

 フィロメナは細く長く息を吐いた。そう。服装の問題もあった。

 国王夫妻と同席するのだ。みすぼらしい格好であっていいはずがない。

「――ルードヴィヒと合わせましょう。葡萄酒色のドレスにするわ。金糸の刺繍の」

 フィロメナが持っているドレスの中で、一番豪華なものだ。とはいえ華美ではないので、髪型を少し華やかにしなくては。それに合わせて髪飾りも必要だ。流行りを疎かにすれば侮られる。古臭いものは避けなくては。――代々受け継いでいる物ならば別だけれど。

 フィロメナは少し吐息した。晩餐会は、倹約とはほど遠い行事だ。

「畏まりました。ゼーベルク男爵とは小物か飾りで揃えるのも良うございますね」

 フィロメナは眉を下げて笑った。

「ギーゼラ。我が家は借金を返しただけで、裕福になったわけではないのよ」

「そうでございました」

 フィロメナはやれやれと(かぶり)を振った。

「ディートリヒ様が何かと融通してくださるから、少し勘違いしてしまいそうになるわね」

「近い未来の旦那様ですし、頼っちゃって良いと思いますけどねえ。何しろ国家予算を超える財をお持ちなんでしょう? お嬢様は共同経営者になられるわけですし」

「まだ、婚約中よ。婚姻も誓約も成っていないわ」

「お嬢様は生真面目でいらっしゃるから」

 ギーゼラが肩をすくめるのに、フィロメナは真顔で静かに返した。

「線を、踏み誤ったら取り返しがつかないのよ、ギーゼラ」

「……失礼いたしました」

 運命神ファタリアの糸は、縦横無尽に張り巡らされている。線と糸は同じようで違うものだ。

 だが、どちらも見誤れば待つのは破滅。

 厄介なのは、どちらも目に見えはしないということ。

 フィロメナは目を細めた。



 心がざわざわと落ち着かない。

 フィロメナは薬缶(ケトル)に湯を沸かしながら、ぼうっと火を見つめていた。

 王都の秋卓への参加は初めてではない。とはいえ慣れるほどに数をこなしたわけでもない。

 前回よりも緊張しているのは、婚約期間中だからということもあるのだろうか。

 茶匙(ティースプーン)で茶葉を二杯茶壺(ティーポット)に入れて、薬缶の湯を注ぐ。蓋をして、砂時計を引っくり返して。

 砂が落ちていくのを延々と見守る。

(何故、こんなに心が騒ぐのかしら)

 気付かぬ内に、何か大変な失態を犯しているのではないだろうか。取り返しはつくのだろうか。

 例えば紅茶を濃く入れ過ぎてしまっても、湯を足せばいい。風味は落ちてもそれなりに飲める。

 だが、取り返しのつかないことは確かにあるのだ。何をどう足掻いても、変えられないこと。――例えば人の生死だとか。

 砂が落ち切った。フィロメナは茶漉しを通して紅茶茶碗(ティーカップ)に紅茶を注ぎ入れた。

 淡い琥珀色の水色(すいしょく)に、華やかで甘美な香りが立ち昇る。その中に漂うのは、どこか落ち着いた丸みを帯びた渋み。

「チャメリーはこうでなければ」

 柔らかく微笑み、フィロメナは茶碗に口をつけた。普段なら、揺らいだ水面はすぐに静まるのに。今日に限ってやけに波立っている。

(ギーゼラの言う通り結婚前不安症(マリッジブルー)なのかしら)

 結婚するのは初めてだ。つまり前例がない。どうしたらいいのかが、わからない。

 フィロメナは目を閉じた。熱が胃に落ちる。ふくよかな香りが身体を満たしていく。

「――あと三ヶ月」

 十三月の婚礼の日まで、こんな想いが続くのだろうか。何かに没頭していなければ、おかしくなりそうだった。

「さて、どうするか」

 以前ディートリヒに提案されたゼーベルク配合(ブレンド)紅茶の試作品を詰めるか。あるいは婚礼の帯の刺繍に打ち込むか。帳簿の整理、無駄の削減、結婚の心得書の熟読――。

 やるべきことは探さずとも、山ほどある。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ