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第三五話 十三月まで間がない

 コルンマルクトでの視察をあらかた終えて、一行は市庁の会議室に集まっていた。代官のアンドレアスとゼーベルク商会の支部長も同席し、緊張の糸がぴんと張り詰めている。

 記録を――正式なものではなく私的なものだが――書き留めているフィロメナにも、それは痛いほど感じられていた。

「では、ゼーベルク商会は今回これらをお求めになられる、ということでよろしいですな?」

 アンドレアスが書面を確認する。支部長は頷き、ディートリヒへと視線をやった。

 ディートリヒは躊躇いつつ、口を開いた。

「――ひとつ確認があります。本当に我がゼーベルク商会でよろしいのですか」

「と、仰ると?」

 ディートリヒは懸念を口にした。

「フィロメナ嬢と私の婚約後の契約です。ゼーベルク優先と取られかねないのでは? つまりはブルーメンフェルトの身内贔屓であると」

 フィロメナのペンを持つ手が一瞬止まる。紙にインクの染みができ、フィロメナはそっとペン先を持ち上げた。

 フィロメナの視線の先、アンドレアスは首を横に振った。

「冬を越せる者を選ぶのが私の役割です。それが今回は――今回も、ゼーベルク商会であったということ。確かにゼーベルク男爵はブルーメンフェルトのお身内になられます。ですがそのことは、この契約とは関わりなきこととご承知おきいただきたい」

 パルツィファルも頷いた。

「肝心なのは"民を飢えさせぬこと"だ。ブルーメンフェルトは、そのための最善を選ぶ」

 父の言葉を、フィロメナは深く心に刻む。ブルーメンフェルトの娘として、忘れてはならない大事なことだ。

 ディートリヒは唇を引き結んだ。そして、重々しく頷いた。

「――では、そのように」

 その言葉に、その場の全員が頷いた。

「では商談成立ということで」

 アンドレアスと支部長は立ち上がると、揃って詠唱した。

 

「商いの神カウフマリウスの御前(みまえ)にて、我らはここに契約を結ぶ」

 

 そして交互に誓いの言葉を述べた。

 

「品を偽らず、量を違えず、定められし対価を滞りなく支払うことを誓わん」

「利益は正しく分かたれ、契約破られし時は、信用を失うことを受け入れん」

 

 そして、それぞれが誓約書に署名。

 誓約書をパルツィファルが受け取り、執事のオットーに渡す。オットーは重々しく受け取り、筒に入れると封印を施した。

 こうして誓約書はブルーメンフェルト伯爵家の管理下で、厳重に保管されることになる。

 誓いを聞き届け頷くディートリヒは、さすがは商会の総帥だ。貫禄が違う。ルードヴィヒが感心したように目を細めた。

 フィロメナはなるべく視線をディートリヒの方へ向けず、帳簿を確認していた。

 ディートリヒは(しき)りにフィロメナの様子を窺っていた。――勿論、周囲に気付かれないようにだが。

 フィロメナはそれに気が付いたが、視線を逸らせたままでいた。まっすぐに受け止めたら、きっと赤面してしまう。

 

「では、旦那様。我々はこれにて失礼を」

「うん。ご苦労だった。これからも頼むぞ」

 アンドレアスと支部長らが一礼し、会議室を出た。

 フィロメナは長く息を吐いた。パルツィファルの表情も和らぐ。


 ギーゼラと女中(メイド)たちが盆に茶器一式と沸きたての湯、菓子などを載せて運んで来た。

「お嬢様、お言いつけ通りご用意いたしました」

「ありがとう。では皆さん、お茶にいたしましょう」

 フィロメナはにっこりと微笑んだ。

 茶葉を茶匙(ティースプーン)で正確に計り、茶壺(ティーポット)に熱湯を注ぐ。そして砂時計を引っくり返す。

 一連の動きに無駄はない。だが丁寧で慎重で、愛情深い。

「お前の紅茶も久し振りだね」

 パルツィファルが感慨深く吐息をこぼした。

「少し前までは、毎朝淹れておりましたからね」

 フィロメナが微笑む。

「あれはあれで、良い日々でした」

 没落し、使用人ほとんどに暇を出した。王都の別邸では三人だけで何でもこなした。毎日が、怒涛のように過ぎ去った。

「あの日々から、まだ一年も経っていないのか――。だが、もう、そう頻繁には飲めなくなるのだな……」

 パルツィファルが細く息を吐き、ルードヴィヒが目を伏せる。フィロメナは苦笑した。

「王都にいる間でしたら、毎日淹れに通いましょうか?」

「そこまで無茶は言わんさ」

 砂時計が落ち切った。フィロメナは茶漉しを通して紅茶茶碗(ティーカップ)に順番に紅茶を注ぎ入れた。

「どうぞ、召し上がれ」

 澄んだ水辺の花のような香りが鼻先をくすぐる。

「……カムルですね」

 ディートリヒが言い、フィロメナが頷く。

「正解です」

「すごいな、ディートリヒ殿」

 ディートリヒは誇らしげだ。

「……私もわかりました」

 ルードヴィヒが少しだけ対抗意識を見せた。

「わからないのは父上だけですね」

 くすくすと笑うフィロメナに、ディートリヒは柔らかく目を細めた。ルードヴィヒがそれを目にし、少しだけ唇を尖らせる。

 まだ、姉を渡したわけではない。――まだ。

 パルツィファルは、そんな様子の子供たちを愛しげに見つめた。

「私は繊細な味に疎いんだ。たぶんな。……ところでフィロメナ」

「はい」

「十月からは王都の別邸で過ごしなさい」

 フィロメナが一瞬だけ、動きを止めた。表情が改まる。

「――王都の秋卓には、私が出席するということですか? ルードヴィヒは」

 ルードヴィヒが勢い良く顔を上げた。

「それはつまり、王宮収穫祭晩餐会のことですよね? 収穫祭当日夜の」

 パルツィファルは頷いた。

 秋冬に公式の会議は行われない。だが、収穫祭の晩餐会に集まるのは国家の中枢。――つまりは雑談が国家方針になる、非常に重要な会である。

 パルツィファルは改めて言った。

「二人で出席するのが一番だろう。そろそろ我が家も跡継ぎの顔を披露しておかねばならない」

 ルードヴィヒは息を呑んだ。彼は今回が初めての参加となる。

「それにフィロメナは婚礼衣装のこともあるだろう。式は十三月だが、諸々の準備のことは、王都にいた方が何かと便利だ」

「ですが、家のことは――まだ、滞っているものがすべて元通りになったわけでは」

 言い掛けた言葉を、パルツィファルは敢えて遮った。

「嫁ぐ身だ。余計な心配はするな。――ギーゼラ」

 パルツィファルはギーゼラに視線を移した。

「はい」

 ギーゼラは凛々しく顔を上げる。堂々とした態度は、フィロメナの侍女であることの誇りに満ちている。

「――頼んだぞ」

 パルツィファルの声に、言葉にできないありとあらゆる感情が込められているのが、その場の誰にも伝わった。

「お任せくださいませ」

 ギーゼラは決意を込め、深々と頭を下げた。

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