表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
35/47

第三四話 コルンマルクト

 コルンマルクトの秋は騒がしい。

 穀物の袋を山と積んだ荷馬車が幾つもの列を成し、コルンマルクトへと向かって来る。農民と商人の価格交渉の声があちこちから聞こえていた。

 中央広場に設置された大秤(おおばかり)の前、計量官、書記官、監督官が揃って計測を行なっていた。その後ろで代官とパルツィファルが何やら話し合っている。ルードヴィヒは執事のオットーと書記官のグスタフに連れられ、何やら説明を受けているようだ。

 ディートリヒがフィロメナに手を差し出すが、フィロメナは首を横に振った。

「ありがとうございます、ディートリヒ様。でも大丈夫です」

 ドレスの裾を持ち上げ、帳面(ノート)を小脇に抱えたフィロメナは、迷いのない足取りで父のところへと向かった。

 衝撃を受けるディートリヒの肩を軽く叩き、バルトロメは歩みを促した。ギーゼラは微妙な表情で一礼し、フィロメナを追い掛けた。

「――何か、気に障ることをしてしまったのか」

「仕事に集中したいんだろ」

 バルトロメはディートリヒの背中を強く叩いた。

「気合を入れろ、ゼーベルク商会総帥ディートリヒ。あなたはあなたの仕事をしなくては」


「フィロメナ、体調は」

「もうすっかり。父上、今年の小麦は?」

 パルツィファルと代官のアンドレアスは、列に並ぶ農民らの姿を見、頷いた。

「去年に比べれば上出来だ。質は良い。だが、やはり例年よりは少ないな」

「葡萄と果樹が当たり年です。質も良く量もある。それなりの利益が見込めます」

 数年続いた不作の年が、ようやく終わりの兆しを見せていた。フィロメナはほっと息を吐く。

「穀倉はほとんど空に近い状態でしたから。今年は少しは備蓄に回せそうですね」

「ああ。もう一年冷夏が続いていたら、危なかったな」


 ルードヴィヒはオットーとグスタフから、丁寧な説明を聞かされていた。

「コルンマルクトは穀物集積地であります。周辺農村から穀類――小麦、大麦、燕麦。また根菜や羊毛が集まるのです」

「そして大秤で計測、今年の麦や羊毛らの価格が決定され、それにより相場が決まります。それはブルーメンフェルト領全体へ波及いたします」

 ルードヴィヒは眉を寄せて、ぱらぱらと帳面をめくった。

「たしか――"穀価は治安そのもの"だったか。非常に重要なんだな?」

「はい、坊ちゃま。――これはゼーベルク男爵」

 ディートリヒは軽く手を挙げ挨拶する。ルードヴィヒは少しだけ睨むような目つきになった。

「ごきげんよう、ルードヴィヒ殿。穀価は重要です。商人が買値を提示し、ここで相場が形成される」

 ルードヴィヒは挑むような目をしていた。

「例えば我らゼーベルク商会、地方商人、製粉業者が価格競争を行います。さて、あなたなら誰に売りますか?」

「――一番高値をつけた者に、でしょうか」

「半分正解です」

「半分……」

 ディートリヒは頷いた。

「穀価は治安、飢饉、暴動に直結します。だから大幅な変動は望ましくない。例えば今年が大豊作だったとしましょう。穀価はどうなりますか?」

「下がり、ます」

「正解。反対に不作の年は上がります。足りないのですから、多少高くても買うでしょう」

 ルードヴィヒは少し眉を寄せた。

「だが、それだけではいけない……のですね?」

 ディートリヒは頷いた。

「ええ。高過ぎる時には備蓄してある穀類を放出し、値段を下げなくてはならない。安過ぎる時には買い上げて、備蓄に回さなくてはならない。あなたの父上は、そうして価格崩壊を防いでおられる」

「領主は――」

 ルードヴィヒがパルツィファルに視線をやった。

「そうしたことをすべて、把握しておかねばならないのですね」

「すべてではありません」

 オットーがそっと言い添えた。

「坊ちゃまには、私達家臣がおります。それぞれの得意分野を頼って、任せて、信じる。それも上に立つ方の役目でございます」

 ルードヴィヒは目を細めた。

「難しいな。私はまだまだだ」

「坊ちゃまはまだお若い。時間はございます。私達がお支えします」

 グスタフが言い、オットーが頷いた。

 だが、とディートリヒが続ける。

「あなたは七大貴族の次期当主だ。エーバーバッハ侯爵家の例もある。学ぶのに、早すぎるということはない」

 オットーが沈痛な表情を浮かべた。

「あれは、痛ましい事故でございましたな……」

 二年前、七大貴族の一角エーバーバッハ侯爵夫妻の乗った馬車が崖下に転落したのだ。

「当時十四歳だった嫡子、マクシミリアン殿が、侯爵位を継がれたのですよね」

 その際、成人を早めるという異例の措置が取られた。現在十五歳のルードヴィヒよりも、更に若い年齢での襲爵(しゅうしゃく)だ。

「それだけの重責を、あなたも負っておられる。――頑張られよ」

 ディートリヒは薄く笑った。ルードヴィヒの頬がカッと上気した。馬鹿にされたと思ったのだ。

「言われずとも! あなたも精進なさるといい」

 ディートリヒは少しだけ目を(みは)り、苦笑した。

「――そうですね。あなたの姉上に見限られないように、力の及ぶ限り努力しましょう」

 ルードヴィヒが怪訝そうに首を傾げた。

「姉上と、何かありましたか?」

 ディートリヒは曖昧に微笑んだ。


「姉上」

「ルードヴィヒ。巡察の調子はどう?」

「学ぶべきことが多く、少し難儀しています。それはそうと姉上」

「何?」

「ゼーベルク男爵と何かあったのですか?」

 直球の質問に、フィロメナは頬を赤くした。ルードヴィヒは眉間に深く皺を寄せる。

「まさかあの男姉上に――」

 フィロメナは、照れくさそうに鼻の頭に皺を寄せた。滅多にしない表情だ。ルードヴィヒは初めて見た。

「気持ちをお伝えしたの」

 ぼそりとフィロメナが呟いた。

「ちょっと勢いでというか、思い余ったというか――それで、その……居た堪れなくて。お傍にいられないというか、離れたい気持ちというか……」

 ルードヴィヒは半眼になった。

 そのままギーゼラに視線をやると、ギーゼラも複雑な表情で頷いた。成程。

「心配して損した気分です。気が削がれた」

「お二方ともお互いに、距離を測っておられるご様子です。大変に、ぎこちなくていらっしゃいます」

「――世話をかけるね、ギーゼラ」

「いいえ、坊ちゃま。私は嬉しくて仕方ありませんわ。こんな可愛らしいご様子のお嬢様が見られることになるなんて、思いもしませんでしたから」

 フィロメナは少しだけ頬を膨らませ、唇を尖らせた。子供っぽい。姉は、こんな表情をする人だっただろうか。

「すぐに、いつもの調子を取り戻してみせるわ」

 冷徹な才女。そう評されたのはいつだったか。そんなことをルードヴィヒは思った。だが、あの人形めいて清冽な眼差しより、子供っぽく感情をあらわにする今のフィロメナの方が、何だか呼吸が楽そうに見えた。

 気のせいだろうか。それともやはり、あの男のせいなのだろうか。

 ルードヴィヒは口の端を歪めて、少しだけ悪戯っぽい表情で微笑んだ。

「まあ、実のところ、姉上がお幸せなら、何でもいいんですよ、私は」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ