第三四話 コルンマルクト
コルンマルクトの秋は騒がしい。
穀物の袋を山と積んだ荷馬車が幾つもの列を成し、コルンマルクトへと向かって来る。農民と商人の価格交渉の声があちこちから聞こえていた。
中央広場に設置された大秤の前、計量官、書記官、監督官が揃って計測を行なっていた。その後ろで代官とパルツィファルが何やら話し合っている。ルードヴィヒは執事のオットーと書記官のグスタフに連れられ、何やら説明を受けているようだ。
ディートリヒがフィロメナに手を差し出すが、フィロメナは首を横に振った。
「ありがとうございます、ディートリヒ様。でも大丈夫です」
ドレスの裾を持ち上げ、帳面を小脇に抱えたフィロメナは、迷いのない足取りで父のところへと向かった。
衝撃を受けるディートリヒの肩を軽く叩き、バルトロメは歩みを促した。ギーゼラは微妙な表情で一礼し、フィロメナを追い掛けた。
「――何か、気に障ることをしてしまったのか」
「仕事に集中したいんだろ」
バルトロメはディートリヒの背中を強く叩いた。
「気合を入れろ、ゼーベルク商会総帥ディートリヒ。あなたはあなたの仕事をしなくては」
「フィロメナ、体調は」
「もうすっかり。父上、今年の小麦は?」
パルツィファルと代官のアンドレアスは、列に並ぶ農民らの姿を見、頷いた。
「去年に比べれば上出来だ。質は良い。だが、やはり例年よりは少ないな」
「葡萄と果樹が当たり年です。質も良く量もある。それなりの利益が見込めます」
数年続いた不作の年が、ようやく終わりの兆しを見せていた。フィロメナはほっと息を吐く。
「穀倉はほとんど空に近い状態でしたから。今年は少しは備蓄に回せそうですね」
「ああ。もう一年冷夏が続いていたら、危なかったな」
ルードヴィヒはオットーとグスタフから、丁寧な説明を聞かされていた。
「コルンマルクトは穀物集積地であります。周辺農村から穀類――小麦、大麦、燕麦。また根菜や羊毛が集まるのです」
「そして大秤で計測、今年の麦や羊毛らの価格が決定され、それにより相場が決まります。それはブルーメンフェルト領全体へ波及いたします」
ルードヴィヒは眉を寄せて、ぱらぱらと帳面をめくった。
「たしか――"穀価は治安そのもの"だったか。非常に重要なんだな?」
「はい、坊ちゃま。――これはゼーベルク男爵」
ディートリヒは軽く手を挙げ挨拶する。ルードヴィヒは少しだけ睨むような目つきになった。
「ごきげんよう、ルードヴィヒ殿。穀価は重要です。商人が買値を提示し、ここで相場が形成される」
ルードヴィヒは挑むような目をしていた。
「例えば我らゼーベルク商会、地方商人、製粉業者が価格競争を行います。さて、あなたなら誰に売りますか?」
「――一番高値をつけた者に、でしょうか」
「半分正解です」
「半分……」
ディートリヒは頷いた。
「穀価は治安、飢饉、暴動に直結します。だから大幅な変動は望ましくない。例えば今年が大豊作だったとしましょう。穀価はどうなりますか?」
「下がり、ます」
「正解。反対に不作の年は上がります。足りないのですから、多少高くても買うでしょう」
ルードヴィヒは少し眉を寄せた。
「だが、それだけではいけない……のですね?」
ディートリヒは頷いた。
「ええ。高過ぎる時には備蓄してある穀類を放出し、値段を下げなくてはならない。安過ぎる時には買い上げて、備蓄に回さなくてはならない。あなたの父上は、そうして価格崩壊を防いでおられる」
「領主は――」
ルードヴィヒがパルツィファルに視線をやった。
「そうしたことをすべて、把握しておかねばならないのですね」
「すべてではありません」
オットーがそっと言い添えた。
「坊ちゃまには、私達家臣がおります。それぞれの得意分野を頼って、任せて、信じる。それも上に立つ方の役目でございます」
ルードヴィヒは目を細めた。
「難しいな。私はまだまだだ」
「坊ちゃまはまだお若い。時間はございます。私達がお支えします」
グスタフが言い、オットーが頷いた。
だが、とディートリヒが続ける。
「あなたは七大貴族の次期当主だ。エーバーバッハ侯爵家の例もある。学ぶのに、早すぎるということはない」
オットーが沈痛な表情を浮かべた。
「あれは、痛ましい事故でございましたな……」
二年前、七大貴族の一角エーバーバッハ侯爵夫妻の乗った馬車が崖下に転落したのだ。
「当時十四歳だった嫡子、マクシミリアン殿が、侯爵位を継がれたのですよね」
その際、成人を早めるという異例の措置が取られた。現在十五歳のルードヴィヒよりも、更に若い年齢での襲爵だ。
「それだけの重責を、あなたも負っておられる。――頑張られよ」
ディートリヒは薄く笑った。ルードヴィヒの頬がカッと上気した。馬鹿にされたと思ったのだ。
「言われずとも! あなたも精進なさるといい」
ディートリヒは少しだけ目を瞠り、苦笑した。
「――そうですね。あなたの姉上に見限られないように、力の及ぶ限り努力しましょう」
ルードヴィヒが怪訝そうに首を傾げた。
「姉上と、何かありましたか?」
ディートリヒは曖昧に微笑んだ。
「姉上」
「ルードヴィヒ。巡察の調子はどう?」
「学ぶべきことが多く、少し難儀しています。それはそうと姉上」
「何?」
「ゼーベルク男爵と何かあったのですか?」
直球の質問に、フィロメナは頬を赤くした。ルードヴィヒは眉間に深く皺を寄せる。
「まさかあの男姉上に――」
フィロメナは、照れくさそうに鼻の頭に皺を寄せた。滅多にしない表情だ。ルードヴィヒは初めて見た。
「気持ちをお伝えしたの」
ぼそりとフィロメナが呟いた。
「ちょっと勢いでというか、思い余ったというか――それで、その……居た堪れなくて。お傍にいられないというか、離れたい気持ちというか……」
ルードヴィヒは半眼になった。
そのままギーゼラに視線をやると、ギーゼラも複雑な表情で頷いた。成程。
「心配して損した気分です。気が削がれた」
「お二方ともお互いに、距離を測っておられるご様子です。大変に、ぎこちなくていらっしゃいます」
「――世話をかけるね、ギーゼラ」
「いいえ、坊ちゃま。私は嬉しくて仕方ありませんわ。こんな可愛らしいご様子のお嬢様が見られることになるなんて、思いもしませんでしたから」
フィロメナは少しだけ頬を膨らませ、唇を尖らせた。子供っぽい。姉は、こんな表情をする人だっただろうか。
「すぐに、いつもの調子を取り戻してみせるわ」
冷徹な才女。そう評されたのはいつだったか。そんなことをルードヴィヒは思った。だが、あの人形めいて清冽な眼差しより、子供っぽく感情をあらわにする今のフィロメナの方が、何だか呼吸が楽そうに見えた。
気のせいだろうか。それともやはり、あの男のせいなのだろうか。
ルードヴィヒは口の端を歪めて、少しだけ悪戯っぽい表情で微笑んだ。
「まあ、実のところ、姉上がお幸せなら、何でもいいんですよ、私は」




