第二二話 建国祭・午前
建国祭の日がやってきた。ブルーメンフェルト伯爵家本邸の門は開き、庭園が開放された。領民、騎士、職人らが集まって群をなす。王家とブルーメンフェルト伯爵家の旗が掲揚され、翻る。
喇叭の音が高く響いた。旗手に先導され行列が行進する。正装したパルツィファルが馬上から手を振ると、そこかしこから歓声があがった。
「ご領主様万歳!」
「ブルーメンフェルト伯爵家に栄光あれ!」
「レーヴェンライヒ万歳!」
フィロメナは、父に倣ってにこやかに手を振りながら思う。
(今年も無事に開催できて良かった……)
ゼーベルク商会の支援がなければ、成り立たない光景だ。まだ婚約期間中だというのに、ディートリヒの懐のなんと深いことだろう。
そのディートリヒは、婚約者としてフィロメナの背中を馬上で支えている。
「盛況ですね」
そっと耳元に囁かれ、フィロメナはぞくりと肩を震わせた。声が甘いと感じるのは、気のせいだろうか。
「ゼーベルク商会の――ディートリヒ様のおかげです。心から御礼申し上げます」
前を見ながら、フィロメナは目を細めた。礼など、幾ら言っても足りないくらいだ。ディートリヒは苦笑した。
「私は商人です。見返りがあるからこその支援です」
「でも、ブルーメンフェルトは、今はまだ何もお返しできておりません」
「いいえ」
ディートリヒはフィロメナの腰に回した腕に、少しだけ力を込めた。
「あなたが私の腕の中にいる。これ以上ないほどの見返りだ」
フィロメナの耳が赤くなったのを確認して、ディートリヒは笑みを深くした。
行列は城下町を一周して庭園に戻った。
設えられた舞台で建国譚の一節が読み上げられる。パルツィファルが現国王ヴィルヘルムへの忠誠を高らかに宣言する。騎士、役人らがパルツィファルの前に跪き、忠誠を誓う。パルツィファルは王に代わり、それを受けた。
次は閲兵と演武だ。その間に恩恵の分配――施しや恩赦の準備を整えておかねば。
フィロメナは手早く衣装を着替えた。配給には領主一家が直接関わるのが、ブルーメンフェルトの常だ。
さすがにパルツィファルは舞台に立っていなくてはならないが、フィロメナとルードヴィヒは甘瓜や飲み物を配る側に回る。領民からの言葉を直接受け取る貴重な時間だ。
地味なドレスに前掛をつけ、三角巾を被る。配給に派手な装いは邪魔なだけだ。
部屋を飛び出したフィロメナは、ディートリヒとぶつかりかけた。咄嗟に抱き留められて事なきを得る。
「失礼いたしました、ディートリヒ様。時間が押しておりまして」
くるりと身を翻してディートリヒの腕から抜け出し、フィロメナは一礼した。
「ではまた後程」
裾を絡げて風のように去って行った婚約者を呆然と見送って、ディートリヒは苦笑をこぼした。手伝いを申し出る暇もなかった。
確かに勝手のわからないディートリヒが出ても、邪魔になるだけかもしれない。おとなしく脇に控えていようと思った。
冬と夏。季節は違うが、出される飲み物はマサラチャイ。昔のことが思い出され、ディートリヒはそっと胸を押さえた。
運命の糸はファタリアに紡がれ、アイドマリアにより結ばれ、トーデリウスの門に至る。
それはアウレリア大陸で一般的な死生観、あるいは運命観だ。
(出逢ってしまった。だから惹かれざるを得なかった)
これは運命なのだと、自分自身に言い聞かせるように、ディートリヒは呟いた。
◇
王の徳を示すこの時間こそが、建国祭で一番大切なことなのだとブルーメンフェルト伯爵家の者は考えている。
ルードヴィヒは甘瓜を切っては差し出し、礼を受けてはそれに応えていた。
「こら、あまり勢いよく齧り付くと喉に詰まるぞ。甘瓜はまだある。慌てるな」
ルードヴィヒに嗜められ、少年が歯を見せて笑った。
「もっと欲しいならもう一度並べばいい。今年は幸い豊作だ。皆のおかげでな」
元気良く走り去る少年に、転ぶなよと声を掛けて。ルードヴィヒはまたひとつ甘瓜を切った。
フィロメナはマサラチャイを煮詰めすぎないよう、冷めすぎないよう、玉杓子で鍋を掻き混ぜていた。皆木でできた杯を持参し、一杯ずつ配給を受ける。
「次の人、どうぞ」
フィロメナは目を瞬いた。杯を差し出したのは老人――ウーヴェ・シュミットだった。
「いらしてくださったのね」
「あんたの配るマサラチャイが、どれほどのものかと確かめに来ただけだ」
「嬉しいです」
「……ふん」
フィロメナは杯を受け取ると一杯注ぎ入れ、ウーヴェに返した。ウーヴェは静かに口をつけた。
「――言うだけのことは、あるな」
相変わらずの渋面だったが、フィロメナは笑みを深くした。
「良ければ甘瓜もどうぞ」
「ふん」
ウーヴェはくるりと身を翻して立ち去った。その背後について行く人影があることに、誰も気付かない。
ウーヴェは庭園の縁台に腰掛け、杯を傾けた。確かに温めの方が美味い。口を曲げつつ、もう一口飲んだ。
「ウーヴェ・シュミット氏ですね」
音もなくウーヴェの前に立った男がいた。ウーヴェは顔を顰めた。こういう声の掛け方をする者に、碌な奴はいないというのがウーヴェの持論だ。
「――誰だ」
白に近い銀髪の男は丁寧に一礼した。
「ゼーベルク商会のバルトロメ・リシャールと申します。主があなたにお会いしたいと申しております。よろしければ、ご同道願えませんか」
「会いたければそっちから来いと伝えろ」
素気ない返答にバルトロメは微笑んだ。
「そう仰ると思いました」
ウーヴェは眉間に皺を寄せた。バルトロメの背後から、黒い影がぬるりと現れたように見えた。
「ゼーベルク商会総帥、ディートリヒだ。時間を頂戴したい」
ウーヴェは今度こそ、渋面になった。
「今をときめくゼーベルク男爵が、わしなんぞに何の用だ」
「今日は男爵ではなく総帥として話があります。ウーヴェ・シュミット、あなたにゼーベルク商会紅茶部門の相談役になってもらいたい」
「断る」
その返答は予想していた。ディートリヒは頷く。
「どうしたら引き受けて貰えるだろうか」
ウーヴェは眉間の皺を深めた。
「どうしたらもこうしたらもない。落ちぶれた老人に何を期待している」
「あなたは落ちぶれたわけではない。雇用主が、あなたを使いこなせなかっただけだ」
ウーヴェは黙って杯を干した。
「紅茶の味もわからん貴族に、雇われる気はない」
バルトロメが淡々と言う。
「シュトルツェンブルク公爵家はあなたに恥をかかされたと言い、解雇した。公爵夫人の出すように命じた紅茶と、あなたの出した紅茶の銘柄が違ったと言うだけで」
「その菓子に合う紅茶が、どれなのかすらわからん相手に、良い紅茶を出しても無駄だ」
ディートリヒは薄く笑った。
「それは紅茶の味のわかる者には、雇われてもいいと受け取るが?」
ウーヴェは口を曲げた。さすがは王国一の商人。屁理屈が上手い。
「そうは言っとらん」
「では、どんな条件なら雇われてくれる?」
「――わしは貴族が嫌いだ」
「私は商人だ。貴族位は得たが、認められているとは言い難い」
ウーヴェは口を歪めた。ディートリヒは続けた。
「あなたを納得させられる紅茶を淹れられたら、雇われてくれるだろうか。例えば――」
ディートリヒは唇の端を引き上げた。
「そのマサラチャイのような」




