第二十話 紅茶専門家
八月の建国祭に向けて諸々の準備が進められていた。フィロメナはギーゼラを伴い、ゼーベルク商会の支店を訪れていた。施しに使う茶葉と香辛料を選ぶためだ。
なるべく細かい茶葉が良い。そして味が濃厚で牛乳に合うもの。グラーブの夏摘みが丁度良いだろう。
「お嬢様、今年もマサラチャイを出すのですよね」
「そうね。暑さに弱った身体に効くものが良いわね」
偏屈そうな老人が鼻を鳴らした。
「マサラチャイだと? あれは身体を温めるだろう。夏に飲めたもんじゃない」
ギーゼラが叱責した。
「無礼者。この方をどなたと心得る! ブルーメンフェルト伯爵家の……」
「香辛料の種類を変えれば、身体を冷やす効果もでます」
ギーゼラが口上を遮られ顔を歪めた。
「お嬢様、こんな無礼者にお言葉を掛ける必要ありませんよ」
老人はフィロメナを睨みつけるように見た。フィロメナは動じることなく見つめ返す。しばらく視線がぶつかり、先に逸らせたのは老人の方だった。
「だからといって、夏にこってりしたマサラチャイなど、馬鹿げている」
フィロメナは微笑んだ。
「試してみましょうか」
「――は?」
店員に店先を借りる許可を得て、フィロメナは茶葉を茶匙で正確に計る。
「そんな屑茶を。施しにはその程度が似合いというわけか」
「いいえ。この茶葉が最適です」
「美味いわけがない」
「それを確かめてください」
ギーゼラは怒鳴り散らしたいのを堪え、老人を睨みつける。フィロメナは平然と作業を進めていた。
小鍋に湯を沸かし、砕いた香辛料をぱらぱらと投入した。
「小荳蔲を主に。肉桂と丁字、生姜は控えめ。黒胡椒は多め。砂糖も減らしましょう」
茶葉を入れ、煮出す。牛乳を加えてひと煮立ち。茶漉しを通して茶碗に注いだ。
「召し上がってみてください。もう少し冷めて温めのほうが美味しいですが」
老人は、ぶつぶつと文句を言いながら茶碗に口をつけた。一口飲む。
老人の動きが止まった。
「――美味い」
ギーゼラが得意満面で胸を反らせる。フィロメナは微笑んだ。
「煮出して濃い紅茶にするには、下級品とされる細かい茶葉の方が向いています。そしてグラーブの夏摘みは、牛乳とも相性がいいので」
老人はぶつぶつと何事かを呟いた。そして声を張った。
「店員、茶葉を持ってこい! 何種類か分けて、こちらに銘柄が分からないように」
老人は幾つかの皿に分けられた茶葉を指す。
「これは何だ」
フィロメナは鼻を近付けた。
「チャメリーの夏摘み。三年ものかしら。香りが馴染んでいます」
「……これは」
「チャンパの春摘み。まだ新しいですね」
「……これ」
「カムルの夏摘み。去年か一昨年くらいのものかと」
老人は店員を振り返った。
「すべて合っております」
「ほら、ご覧なさい! お嬢様はすごいんですから!」
ギーゼラには目もくれず、老人はフィロメナを見つめた。
「――何故わかる」
「東方帝国の茶の本に書いてありました」
「何故そんなものを持っている」
「母の形見です」
「――東方帝国の文字が読めるのか」
「紅茶に関してのことなら概ね」
老人は唸った。そして店員に指示し、もっと多くの種類の茶葉を用意させた。
「今から配合茶を淹れる。当ててみせろ」
フィロメナは目を瞬いた。
「グラーブとカムルが三対一」
「チャメリーとゲーンダーが二対二」
「チャンパが二、クムディニーが一、グルバハールが一」
老人は沈黙した。完璧だった。
「――何故だ」
「はい?」
「何故わかる」
フィロメナは淡々と答えた。
「味と香りと水色です。本に書いてあった配合なので」
老人は目を見開いて、固まった。
――変なことを言っただろうか。フィロメナは少し不安になった。
「普通は――」
「はい」
「普通の者は、書いてあったからといって選別まではできん」
「そうですか」
「あんたは――普通じゃない」
ギーゼラが眉を吊り上げた。
「無礼者!」
「ギーゼラ」
「だってお嬢様! この爺、じゃなかった老人、無礼に過ぎます!」
老人が片眉を上げた。
「あんたも大概無礼だぞ、嬢ちゃん」
「何ですって、この、この……っ」
ギーゼラを抑え、フィロメナは老人を見た。
「ブルーメンフェルト伯爵家のフィロメナと申します。あなたのお名前をお聞きしても?」
老人はしばらく沈黙した。何度か躊躇い、口を開いた。
「――ウーヴェ・シュミット」
フィロメナは目を瞬いた。
その名は、王都ヴァイスブルクで最も有名な紅茶専門家の名前だった。
「あなたがウーヴェ・シュミット氏でしたか」
「わしを知ってるのか」
「紅茶に関わる者で、ウーヴェ・シュミットの名を知らぬ者はいないかと」
「――有名なんですか、この人」
ギーゼラの、あからさまな胡乱な視線にフィロメナは苦笑した。
「王都で最も有名な紅茶の専門家よ。――お目に掛かれて光栄です」
丁寧な礼に、ウーヴェもギーゼラも一瞬呆気にとられた。伯爵家の令嬢が平民に礼を尽くすとは。
「叶うなら一度、お話をお聞きしたいと思っていました」
ウーヴェは渋面になった。
「――わしには話すことはない。失礼する」
肩を怒らせて去って行くウーヴェを見送って。フィロメナは肩をすくめた。
「残念。ファタリアの導きではなかったようね」
ギーゼラが眉を寄せた顔を近付けた。
「お嬢様。胡乱な老人に礼を尽くすことはありません。あなた様は、このブルーメンフェルト伯爵領のお嬢様であることを、お忘れなく」
「ごめんなさい。ついうっかり興奮してしまったの」
冷静沈着に見えるフィロメナだが、確かに少し興奮していた。ギーゼラにしか分からない程度にだが。
「もう、本当に気を付けてくださいよ。その辺の者に気安くお声を掛けないようになさってください」
「わかったわ」
「フィロメナ嬢」
不意に声が掛けられた。フィロメナが振り向く。黒髪の青年が旅装のまま、立っていた。
「ディートリヒ様」
フィロメナの表情がぱっと明るくなった。
「えっ、この方が?」
ギーゼラはディートリヒを、頭の上から爪先まで観察した。
艶のある黒髪が夏の光を受けてきらめく。青い眸は澄み、どこか冷ややかな印象を帯びている。鼻筋は通り、整った顔立ちが際立っている。表情は静謐でどこか近寄りがたい雰囲気だ。長身で姿勢がよく、無駄のない立ち姿。動きは丁寧で、視線ひとつにも気品が感じられる。
――合格だ。ギーゼラは頷いた。
「たった今、着きました。ここでお会いできるとは思っていなかった」
フィロメナは柔らかく微笑んだ。その頬がわずかに上気しているのが見て取れ、ギーゼラは目を細めた。良い傾向だ。
フィロメナはもっと感情を表に出すべきだと思う。いつも周囲を気遣い、自分のことは後回し。損な性分だ。
「長旅お疲れ様でした。そしてようこそ、ブルーメンフェルト伯爵領へ」
ディートリヒは丁寧に一礼した。
「痛み入ります」
淡々とした遣り取りに見えるが、二人の視線は柔らかく、甘い。ギーゼラは内心強く頷いた。
「ところで、何かありましたか? 少し騒がしいようだ」
「少しだけ、そう、試験を」
「試験、ですか?」
「ええ」
フィロメナはディートリヒを見上げた。
「ところで、これからはこちらにご滞在ですか?」
「ええ。そのつもりです」
「お暇ができたら、我が家へもおいでくださいね」
ディートリヒは優しく目を細めた。
「ええ、是非」
二人は礼をして別れた。
「……お嬢様、抱擁も接吻もないんですか?」
「なっ……にを言っているの! まだ婚約中よ」
「婚約者同士ならもっと、親密であるべきでは?」
フィロメナは眉を寄せた。
「慎みがないと思われたら、嫌だわ」
ギーゼラは、ディートリヒの去って行った方向に目をやった。
「――却って喜ばれるのではないかと思うのですが」
呟いた言葉はフィロメナの耳には届かなかった。




