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第十九話 運命神に愛されし娘

 ブルーメンフェルト伯領への帰還は、まるで凱旋のようだった。

 控え目に、というパルツィファルの意向はあった。だが、領民は領主一家を総出で出迎えたのだ。花が()かれ、音楽が鳴り響き、フィロメナ様ご婚約おめでとうございますの垂れ幕が翻った。

 フィロメナは目を覆った。

「――さすがに、これはやりすぎだと私も思うよ、フィロメナ」

 パルツィファルが苦笑を(こら)えて娘の肩を叩いた。ルードヴィヒは頬を上気させてふんぞり返っている。開き直ったのだ。

「さすがは父上と姉上ですね!」

 何がさすがなのか、言っている本人もよくわかっていない。

 ブルーメンフェルト伯爵家本邸。

「お帰りなさいませ、旦那様、お嬢様、坊ちゃま」

 家令のハーネマンが感無量で出迎えた。使用人一同、玄関ホール前に整列している。解雇された者は一人残らず戻ってきた。何なら知らない顔もいる。

「……増えていないか?」

「さすが旦那様、ご明察です。女中(メイド)と従僕を数名ずつ増やしました。無論のこと試験は厳格に。特にゼーベルク商会からの推薦もありました」 

「そうか」

 パルツィファルは頷き、使用人たちを見渡した。

「皆、苦労を掛けたが、良くぞ戻ってきてくれた。これからも頼むぞ」

 使用人全員が深く頭を下げる。

「ルードヴィヒ、良く覚えておきなさい」

 フィロメナはそっと囁いた。

「いずれあなたが継ぐものよ」

「――はい、姉上」


 旅装を解き、長椅子(ソファ)でくつろぐ一家に、ハーネマンが一礼した。

「お嬢様、ご婚約おめでとうございます」

「ありがとう」

「そして――そのことに関して、使用人一同少々申し上げたき儀がございます」

 フィロメナは居住まいを正した。

「何かしら」

 言われるだろう台詞は予想できたが、さて、何と返したものか。

「ブルーメンフェルト伯爵家の苦境に際し、ゼーベルク男爵がお嬢様を望まれたというのは、間違いございませんでしょうか」

「間違いないわ」

 ハーネマンは涙を堪えると、ぐっと唇を引き結んだ。

「では、お嬢様が御家の存続のため、望まぬ婚約をなさったというのは――」

「間違いね」

 フィロメナはきっぱりと言い切った。

「私は望んでディートリヒ様に嫁ぐのです。ブルーメンフェルト伯爵家存続のため、犠牲になったと考えるのは大きな誤解よ」

「本当でございますか!」

 フィロメナの侍女、ギーゼラが涙を堪えて跪く。

「本当に、望んで新興の男爵などに嫁がれるのですか」

「ギーゼラ」

 フィロメナは少しだけ表情を曇らせる。

「私の旦那様を悪く言うのはお止めなさい。ディートリヒ様は素晴らしい方です。――会えば分かるわ」

 ギーゼラは涙をこぼした。

「申し訳ございません……! ですが、ですがお嬢様の一大事にお側にお仕えできませんでしたこと、本当に口惜しくて……!」

 フィロメナは表情を改めた。

「ありがとう、ギーゼラ。でもあなたが心配するようなことは何もないわ」

 ギーゼラはキッと視線を上げた。睨み付けるように強い。

「二名の殿方から、同時の求婚であったとお聞きしましたが?」

 パルツィファルとルードヴィヒが視線を逸らせた。フィロメナは少しだけ頬を引き攣らせた。

「――そうね。あなたに相談できなかったのは、確かに大変なことだったかもしれないわ」

「お嬢様ぁ!」

 滂沱(ぼうだ)の涙。ギーゼラは子供のように泣き出した。

「貴族の子女にとって、求婚なんて一大事中の一大事の際に、お側にお仕えできませんでしたことは、ギーゼラ一生の不覚です……!」

「大丈夫よ、ギーゼラ」

 フィロメナはギーゼラの頬にそっと手を寄せた。

「あなたにはその分もしっかり働いてもらうから。――これからも頼りにしているわ」

「では、婚家にもお連れくださいますか」

「そのつもりよ。ディートリヒ様の許可は必要だけれどね」

 ハーネマンはパルツィファルに視線を送った。

「うん?」

「ゼーベルク男爵は、評判が大きく割れております。故に心配する者が多いのです。……私もですが」

 パルツィファルは目を細めた。柔らかい表情だった。

「ディートリヒ殿はとても誠実で、信頼に値する青年だと感じたよ。私はね」

「旦那様がそう(おっしゃ)るならば間違いはありませんね」

「ああ。大丈夫だ」


 

 フィロメナの風呂の世話をしながら、ギーゼラは溜め息を吐いた。

「なあに、まだ心配?」

 ギーゼラは首を横に振った。

「お嬢様は、一際(ひときわ)お美しくなられました。ゼーベルク男爵に恋をなさったのですね」

 フィロメナは泡を少しだけ(てのひら)に掬った。

「……傍目(はため)にわかるくらいに?」

 ギーゼラは優しく目を細めた。

「大丈夫ですよ。お嬢様を良く知る者でなければわかりませんから」

 フィロメナは天井を仰いだ。

「身近な者には発覚(バレ)ているわけね。――まだまだ私も未熟だわ」

 ギーゼラは楽しげに湯を注ぐ。

「常に冷静沈着で、揺るがないお嬢様の心を揺らした殿方ですか。断然楽しみになってきました」

「他人事だと思って……」

「嬉しいですよ、私。お嬢様は何事もご自分以外を優先なさいますから」

「――ギーゼラには、全部見透かされてしまうわね」

 最後の最後は、家の都合より、未来より、自分の意志を優先した。フィロメナはそれを恥じていた。貴族の――ブルーメンフェルトの娘として相応しくなかったのではないか、と。

「でも、ちゃんと計算もございましたでしょう?」

「ギーゼラ……」

「お嬢様の選択は、いつも正しいのです。お嬢様が選んだ方が正解になる。そういう方です」

 フィロメナはぴちゃんと水面を叩いた。

「買い被り過ぎよ」

「いいえ。お嬢様は運命神ファタリアに愛されていますから」

「どちらかといえば、そこは幸運神フォルトゥナリアではないの?」

「フォルトゥナリアは糸を絡ませる気紛れな女神ですもの。お嬢様の選択はもっと重いです」

「――ギーゼラは、時々良くわからないことを言うわね」

 ギーゼラの(はしばみ)色の眸が(きら)めいた。

「迷信深いんですよ」



 フィロメナは寝台(ベッド)に大の字で倒れ込んだ。髪はまだ少しだけ湿っている。

 夏の半ば。人々の明るい声がまだ遠くに残っていた。空は夜に染まり切らず、ほのかに青い。

(帰ってきた。帰ってこられた)

 フィロメナは瞼を閉じた。

 去年の十二月にブルーメンフェルト領を発った時。またこうして、ここに戻って来られるか不安だった。膨大な借金を返済するあてもなく、利子はどんどんと膨らんでいく。

 家族がバラバラになる日が来るかもしれないと怯えたこともあった。

 あの頃はまさか、自分が婚約などするとは露ほども思っていなかったし、解雇した使用人たちを元通り呼び戻せるなどとも思っていなかった。

 目を開けて、天井を見つめる。風が吹き抜けて、窓の(カーテン)がわずかに揺れた。

「激動の半年だったわ……」

 ファタリアの紡いだ糸を、フォルトゥナリアが縦横無尽に振り回したのかもしれない。

「これからの半年は、穏やかにいきたいものよね」

 なんとなく、そうはいかない気はしていたが、フィロメナは祈る。

「紡ぎ手たるファタリアよ、既に在るものを、在るがままに示し給え。我らがそれを違えぬよう、見届け給え」

 フォルトゥナリアには祈らなかった。

 幸運神は気分次第で糸を繰る。昔から、それが何故だかひどく怖かったのだ。

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