第十八話 変わるもの変わらぬもの
ブルーメンフェルト別邸執事ルドルフは、朝から忙しかった。それ自体はいつものことだ。解雇されていた間に滞っていたすべてを、元通り機能させるには相当な労力が必要だ。
「いいですか、今日はお嬢様の晴れ舞台と心得なさい。万事抜かりなく!」
「畏まりましたルドルフさん」
「料理長から伝言です。準備万端とのこと」
「よろしい」
別邸家政婦長も辣腕を振るっていた。
「女中長、西階段は誰が担当したの」
「新人女中ですが、粗相がありましたか」
「磨き残しが」
「申し訳ありません。目が行き届きませんで」
「いいえ、見つけられたのは幸運よ。他にも無いか徹底的に調べなさい」
何故なら今日、クローネンベルク侯爵家令嬢アーデルハイドの訪問があるのだ。
「お嬢様に恥を掻かせた令嬢です。二度とそのような真似をさせてはなりませんよ!」
ブルーメンフェルト別邸の使用人たちの心はひとつだ。
恥を掻かせたというのは、手入れの行き届いていない部屋をアーデルハイド一行に見られたという、件の仕立て屋事件のことだ。ひいては使用人がいない状態で、客を迎えざるを得なかったことだ。
「完璧なおもてなしをして、鼻を明かしてやりましょう!」
士気を高める使用人たちに、ルードヴィヒは遠い目になった。フィロメナは涼しい顔で茶葉を選んでいる。
「姉上、止めないんですか」
「止めてどうにかなる者たちだと思うの?」
「――思いませんけど、もう少し何か、こう、ありませんか」
フィロメナは微笑んだ。
「団結しているのは良いことね。私も負けてはいられないわ」
「……姉上が良いなら良いですが」
フィロメナは少しだけ複雑な表情を覗かせた。
「婚約が決まってから、アーデルハイド様とお会いするのは初めてね」
「緊張を?」
「してるわ、勿論。だって……クローネンベルク侯爵家の方だもの」
ブルーメンフェルトはクローネンベルクの求婚を蹴り、ゼーベルクの手を取った。政治的に対立すると宣言したようなものだ。
「どういうつもりか、詰問されるかもね」
ルードヴィヒは渋面になった。
「ただ、気が向いたから遊びに来られるのだという線もあるわ。――少しだけね」
「その可能性はほとんど無いのでは」
「そうね。私もそう思う」
でも、とフィロメナは少しだけ小首を傾げて笑った。
「私、あの方のこと意外に嫌いではないのよ」
ルードヴィヒは笑った。
「意外ですね。私もです」
嵐のような女性だが、感情に裏がない。気持ちが良いくらいに自分勝手だ。だが、それが不快ではなかった。
「お嬢様、いらっしゃいました!」
侍女の声が響き、フィロメナは顔付きを改めた。
「ようこそおいでくださいました、アーデルハイド様」
「ごきげんよう、フィロメナ嬢」
アーデルハイドの後ろで、ヨランダが丁寧に一礼した。
「最近流行りの菓子を手土産に持ってきたわ。これに合う紅茶、あなたなら完璧に選ぶのでしょうね」
上から目線のアーデルハイドの物言いに、フィロメナの侍女がムッとした表情を表に見せた。隠そうと思えば隠せるそれを敢えて見せたのは、宣戦布告か。
血の気の多いことだと、フィロメナは軽く吐息した。
「ありがとうございます。どのようなお菓子でしょう」
「どうぞひとつ食べてみて。美味しいのは確かよ。――ヨランダ」
ヨランダが恭しく菓子箱を差し出した。ひとつ摘んで、フィロメナは口に運んだ。
しっかりと牛酪の利いた生地に幾つかの果物の餡が挟んである。濃厚な甘みとほんの少しの塩味が癖になりそうだ。
フィロメナは頷いた。
「カルムが良いでしょう。他の茶葉と配合するよりは単品で。すっきりと爽やかなものが合うと思います」
「淹れて参ります」
フィロメナの侍女――アルマが下がりかけたのをフィロメナが制した。
「いいえ、私が淹れるわ」
全員がぎょっとした顔でフィロメナを見た。
「お嬢様、何を仰います!」
「あなたより、私の方が紅茶を淹れるのは上手いと思うの」
「いえ、フィロメナ嬢、あなたの紅茶が素晴らしいのは知ってるわ。最高に美味しかった。でも今日は使用人がいるでしょう」
ヨランダも後ろで一生懸命頷いている。
「東方帝国では、茶は主人が淹れてもてなすものなのですよ」
フィロメナは少し不満だ。
「ここはレーヴェンライヒ! 主人は紅茶を待ってるのが正解よ」
「では、変えていきましょう」
こともなげにフィロメナは言ってのけた。
「常識は時とともに変わるものです。主人がお客様をもてなすために紅茶を淹れる。それが普通のことになるように」
結局なんだかんだとフィロメナに押し切られ、アーデルハイドはフィロメナの淹れた紅茶を飲んでいた。
「美味しいわ。文句のつけようもないくらい完璧。お菓子にも合う。最高よ」
「お気に召したなら、良かった」
フィロメナは上機嫌で紅茶茶碗を傾けた。
「我ながら、良い選択でした。やはりカルムはそのままが一番です。グラーブを濃厚に淹れ、牛乳を加えるという選択もあったのですが、お菓子と合わせると少しくどいかと思ったので」
アーデルハイドは少し吐息した。
「やっぱりあなたの選択は、いつも正しいのかもしれないわ」
紅茶のことだけではない気がした。
フィロメナはアーデルハイドを見た。まっすぐな視線が射抜くようにフィロメナを見つめてくる。
「ヴィンフリートを――いいえ、クローネンベルクを選ばなかった理由を聞きに来たの」
「――はい」
「でも止めた」
「はい?」
アーデルハイドは肩をすくめた。
「あなたがヴィンフリートを選んでいたら、この屋敷は今とは違っていたでしょうし。あなたがこうして私に紅茶を淹れることはなかったかもしれない」
フィロメナは少しだけ苦笑した。
「アーデルハイド様は、まっすぐな方ですね。私とは違います」
「そうね。あなたと私はまるで違う」
「ですから、お教えします。ディートリヒ様を選んだ理由。そしてヴィンフリート様を選ばなかった理由を」
アーデルハイドは目を瞬いた。
「ヴィンフリート様を選んでいたら、私はきっと大切に守られていたでしょう。そして――こうして紅茶は淹れられなくなります」
「……」
「ディートリヒ様は、私を自由にさせてくださいます。――それだけではありませんが、それが理由のひとつではあります」
アーデルハイドは目を細め、頷いた。
「成程。十分な理由だわ」
ですが、とフィロメナは言葉を続けた。
「父も私も、クローネンベルク侯爵家を敵に回したいとは思っておりません」
アーデルハイドは肩をすくめた。
「お父様はそう思ってないと思うわ」
「はい。ですからアーデルハイド様」
「何?」
フィロメナはまっすぐな眸をアーデルハイドに向けた。曇りのない灰青色。
「あなたとは、仲良くさせていただきたいと思っています。有り体に言うなら、味方になっていただきたいのです」
アーデルハイドは手で顔を覆った。
人たらしめ。
「――ヴィンフリートも味方よ、たぶんね。いいえ、ほぼ確実に」
「ありがたいことです」
微笑むフィロメナはヴィンフリートの恋心には気付いていないのだろうか。それとも――
「気付いた上でそう言ってるなら、相当な悪女よあなた」
「はい?」
「リーベリアも罪作りってことよ」
愛の女神は永遠の愛も一時の恋も司る。実るも実らぬも人次第。
微妙な表情のフィロメナは、本当に気付いているのかいないのか、アーデルハイドには読み解けなかった。




