第十七話 自領への誘い
「そういえば、ディートリヒ殿は七月からのご予定は?」
領地経営が本格化するのは七月からの半年だ。領地を持たない宮廷貴族や下位貴族は、変わらず王宮に詰めている。
「いつも通りです。ゼーベルク商会の王都館と本館を行き来し、商談を整えます。遠洋航海は婚姻が成立するまでは避けるつもりです」
ゼーベルク商会の船は、長距離の大量輸送と武装自衛を兼ね備えた重厚な木造帆船だが、それでも海難事故は皆無とはいえない。そして、船上での病もだ。船旅には危険が多い。
パルツィファルは頷いた。
「では、八月の建国祭は王都で?」
「そのつもりですが」
パルツィファルがフィロメナを見た。フィロメナも頷く。
「ブルーメンフェルト領へいらっしゃいませんか。我が領の祭もいいものですよ」
「よろしければ、私がご案内いたします」
ディートリヒはハインリヒに視線をやる。ハインリヒは頷いた。
「ご面倒でなければ、是非。――そのついでというわけではありませんが、ブルーメンフェルト領で取り組まれていた小麦の開発現場を、見学できませんか」
パルツィファルは眉を寄せた。
「お恥ずかしながら、今は頓挫しておりまして――」
「ええ。ですから援助を」
ディートリヒの言葉にフィロメナは目を瞬いた。
「植物の品種改良は年数が掛かるものです。結果を出すまでに五年も十年も必要です。頓挫というのは資金繰りの問題であって、小麦自体の問題ではないと聞きました」
「――ディートリヒ殿は、というか、ゼーベルク商会は耳がいい。どこから聞いたのですか」
ディートリヒは目を細めた。
「我が商会には優秀な品種改良家もおります。蛇の道は蛇。あちこちから最先端の話が入ってきますよ」
フィロメナはまた、問いを繰り返す。
(この方は、何故私を妻に選んだのだろう)
どうしても理由がわからない。ブルーメンフェルト領への支援も、伯爵であるパルツィファルにそのまま申し出れば良いだけのことに思えた。
大方の見方では、男爵位を得たディートリヒが"本当の"貴族になるためにブルーメンフェルトの血を欲したということだが――。
フィロメナはまたディートリヒを見た。
(どうしても貴族になりたいという風には見えない)
地位や権力を得たい性分というわけでもなさそうなディートリヒが何故、フィロメナを求めたのか。
何をどう考えてもわからなかった。
ディートリヒはフィロメナの視線に気付き、目元を和らげる。フィロメナはなんとなく居心地の悪さを感じて目を逸らせてしまった。
ディートリヒはスッと表情をなくした。無表情が冷たい雰囲気を醸し出す。だが、ハインリヒの目には尻尾と耳を落とす大型犬のように見えた。
「では、次にお会いするのは八月になるだろうか」
「そうなりますか。――長い時間だ」
パルツィファルが言いディートリヒが応えた。
「フィロメナ嬢」
「はい」
ディートリヒはじっとフィロメナを見つめた。フィロメナも見つめ返す。だが口にしたのは簡単な別れの言葉。
「息災で」
「ディートリヒ様も」
頷き合い、二人は離れた。
もう少し婚約中の男女らしく、親密な空気にならないものだろうか。パルツィファルもハインリヒも、態度には出さないまでもそう思った。
馬車の中、フィロメナは嘆息した。
「ゼーベルク商会、恐るべし。これはもしやブルーメンフェルト領発展の、千載一遇の機会なのではないかしら」
「お前は良い夫を持ったね、フィロメナ」
「……それはまだわかりません」
少し俯いたフィロメナは頬が赤い。パルツィファルは優しく目を細めた。
「お前は幸せになるよ。これは確信だ」
「――だと、良いのですが」
フィロメナは少しだけ遠い目をした。パルツィファルは不思議に思う。あれだけ愛情溢れる眼差しを受けていて、何故不安に思うことがあるのだろう。
「ディートリヒ様のご期待に添える妻でなければ、早々に離縁されてしまうかもしれませんし」
「それはないだろう」
「父上は気楽に過ぎるのだと思います」
パルツィファルは内心首を傾げた。どう見ても、相思相愛の似合いの二人なのだが。
「お前は完璧主義が過ぎるよ」
ブルーメンフェルトという名がその一端だとしたら、フィロメナにとっては呪いなのかもしれないとパルツィファルは思った。
「何にせよ――まずは建国祭の準備ですね。家令のハーネマンと良く相談し、滞りなく催さねば」
「獅子王を称えることよりも、お前は領民に尽くすことの方が好きだな」
「そういう訳ではありませんが、ブルーメンフェルトは獅子王の七人の一人です。王の盟であり、王の誓いでもある」
獅子王――あるいは建国王レオンハルト――の七人。建国の際に彼に付き従った者たちが、後の七大貴族となって国を支えた。
「王の剣、盾、知、槍、蔵。そして影。七家の象徴するものです」
「王の盟とは何ぞや――幼いお前に良く尋ねられたね」
フィロメナは諳んじた。
「王の盟とは、王の言葉が空にならぬよう、それを人の世に結び留める者である」
パルツィファルは誇らしげに頷いた。
「そう。国は王と民との信頼無くしては立ち行かない。王の約束を実現するのがブルーメンフェルトの役割だ」
「――その根幹が、民を飢えさせぬことなのだと教わりました」
「やるべきことは多い。だが、最初にすべきことはわかっている。民を守ること。まずは飢えさせぬことだ」
「はい」
だから、ブルーメンフェルト領の建国祭は、獅子王を称える祭事よりも、それに付随する慈善活動の方が重要視される。例年伯爵家の庭園を開放し、甘瓜と飲み物を配る。暑い盛りの祭だ。水分補給は欠かせない。
「とはいえ、今年の甘瓜の収穫はどれくらいになるか……」
「豊作だと良いのですが。――豊穣神の恵みがあらんことを」
「この所、フルクティアの戻らない年が多いからな」
飢饉の年は豊穣神フルクティアが戻らないと表される。フルクティアは春から秋の間地上にいるが、冬は大地母神エルデリアのもとに戻る。人々が一番恐れているのは、エルデリアがフルクティアを地上に戻さなかった時だ。大飢饉が訪れ、人々は死に絶える。
「神々の時代は遠くなったが、その脅威はまだ身近だ」
「神々は見守っておられる。けれど見ているだけなのかもしれませんね。――人は人として、できることを成さねば」
「差し当たっては建国祭か」
「はい」
◇
「男爵。接吻もなしとは」
ハインリヒの台詞に、ディートリヒは溜め息を吐いた。
「距離を間違えてはならんだろう」
「距離ですか」
「近付き過ぎて傷付けたらどうする」
ディートリヒは真顔だった。何をどう傷付けるというのかとハインリヒは思った。
「俺は――嫌われたくないんだ」
呻くような言葉に、ハインリヒは眼鏡の位置を直した。フィロメナがディートリヒに好意を抱いているのは、まず間違いないと思うのだが、ディートリヒから見ると違うのかもしれない。
「――男爵の価値観は時々わかりかねます」




