表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/47

第十六話 婚約者

 ゼーベルク商会王都館、応接間。パルツィファルとディートリヒが、(カレンダー)を前にあれこれと話し合っていた。

 貴族の結婚は家と家との結び付きである以上、当主同士が話し合う必要があるのだ。

「婚礼の儀式は、やはり十三月がいいだろう」

 パルツィファルの言葉にディートリヒは頷いた。神々の祝福する特別な月は、四年に一度訪れる。

「最も相応しいと思います」

「十三月は特別な月ですから」

 ゼーベルク商会総支配人のハインリヒ・シュヴァルツが頷いて書類を差し出した。

「天空神と大地母神の再会。喜ばしい季節です」

 常に天と地とを支える二柱が、この月の間だけ手を取り合う。その子らの多くの神々が二柱の交わりを祝福する。結婚の宣誓の見届け役である、愛の女神リーベリアと誓約神アイドマリアも。すべての神々が寿ぐ特別な月、十三月。

 

 フィロメナはパルツィファルの隣で、ぼんやりとディートリヒを見つめていた。

 艷やかな黒髪。青い眸は今はフィロメナを捉えてはいない。ハインリヒとあれこれ仕事の都合をつけては、暦と書類に書き込んでいく。

「疲れましたか?」

 ディートリヒが不意に顔を上げ、フィロメナは少しだけ狼狽した。だが表情には出さない。

「いいえ、大丈夫です。ですが、そろそろ休憩を挟んでも良い頃ではないでしょうか。もしよろしければ、紅茶を淹れさせてください」

「あなたにそのようなことをさせなくとも――と言いたいところですが、あなたの紅茶は格別だ」

 ディートリヒはそっと微笑む。

「ご面倒でなければ、是非。ハインリヒ、ご案内しろ」

 ハインリヒは一礼した。


 フィロメナを給湯室に案内し、ハインリヒは質問する。

「どの茶葉が宜しいでしょうか。お望みのものを用意いたします」

 たとえそれが皇帝献上茶であっても、フィロメナが望めば用意してくれるのだろうと思えた。

 少しだけ悪戯心が湧いた。

「カムルとグラーブとゲーンダーを」

 ハインリヒは少しだけ目を瞬いた。

「三種類ですか」

「母の本にあった紅茶の配合(ブレンド)を試してみたくて」

 実験台。そう思ったがハインリヒは顔色に出しすらしなかった。

「――畏まりました」

 ハインリヒは伝声管を使い、手早く指示を出した。喇叭(ラッパ)状の口に向かって喋ると、向こう側から応答が返った。目を丸くするフィロメナに伝声管を指す。

「伝声管です。ご存知ですか?」

「はい。実物を見たのは初めてですが。遠い所にいる人に指示を出す時、便利ですね」

 徒弟が缶を二つ持ってくる。フィロメナに目を留め、にこりと笑った。

「総支配人、グラーブとゲーンダーです」

「ご苦労。フィロメナ様、お使いください。カムルはそこの棚にございます」

「ありがとう」

 フィロメナは缶を受け取ると茶匙(ティースプーン)でグラーブを一杯、ゲーンダーを一杯、カムルを三杯茶壺(ティーポット)に入れた。熱湯を注ぎ入れ、砂時計を引っ繰り返す。

 砂が落ち切り、フィロメナは茶漉しを使いもう一つの茶壺に紅茶を注ぎ入れた。


 

「お待たせいたしました」

 フィロメナの後ろから、女中(メイド)(トレイ)に茶壺と紅茶茶碗(ティーカップ)を乗せて運んでくる。

「ありがとう」

 配膳する女中に礼を言うと、女中は目を丸くした。

「フィロメナ嬢、礼は要らない。あなたの女中だ」

「あら、輿入れはまだです」

「遠からず、あなたのものとなる」

「身近な者に対する感謝を忘れてはいけませんわ」

 ディートリヒは言葉に詰まり、パルツィファルを見た。

「申し訳ない。こういう娘です。とはいえ、貴族としては威厳の問題だ。()してからはディートリヒ殿の沽券(こけん)に関わることを忘れぬように」

 フィロメナは少し表情を改めた。

「申し訳ありません。気を付けます」

 ディートリヒは微笑む。

「あなたがあなたらしく過ごしてくださるのが一番だ。とはいえ、私は新参者の男爵で、きっと多くのご苦労を掛けることと思う。他者の目も今まで以上に厳しくなる」

「……威厳に満ちた男爵夫人を目指します」

 きりりと表情を引き締めるフィロメナに、ハインリヒが咳払いをした。

「折角の紅茶が冷めてしまいます」

「そうでした。皆様、今回は趣向を凝らしてみたのです。きっと初めての味です」

「趣向? 何をしたんだい、フィロメナ」

「お飲みくださればわかります」

 それぞれ紅茶茶碗に口をつけ、目を(みは)った。

「これは……何というか、清々しいのに甘くて、華やかな」

「初めて味わいますね。重厚なようでいて、軽い口当たりです」

「私には、相変わらず美味い紅茶だとしかわからんな」

 三者三様の感想にフィロメナは肩を竦めた。

「父上は淹れ甲斐のない方ですね」

「フィロメナ嬢、この配合はあなたが?」

 ディートリヒが問い掛け、フィロメナが頷いた。

「母の茶の本に、幾つも配合の処方(レシピ)があります。その内のひとつです。皇帝へ献上するための特別な配合などもありました」

 ハインリヒの眼鏡が輝いた。

「そのお話、詳しくお教え願えませんか」

「ハインリヒ」

「ですが男爵。これは好機(チャンス)です。男爵の奥様――になられる方の特別な配合として売り出しましょう」

「ゼーベルク配合(ブレンド)茶か。一考の価値はある」

 パルツィファルは目を丸くした。

「成程。これが王国一の商会なのですね。発想がすごい」

 フィロメナは無言で茶を一口飲んだ。そして考える。レーヴェンライヒでは紅茶を(たしな)む者はそう多くない。裾野を広げられないだろうか。

 もっと多くの人に紅茶の良さを知ってもらいたい。もっと多くの人に、紅茶を楽しんでもらいたい。

「そのためには――」

 フィロメナは口を開いた。

「まずは紅茶というものを、もっと多くの人に知ってもらうことから始めないといけませんね」

 ハインリヒが眼鏡を押し上げた。

「でしたら、ヴァルトマン侯爵夫人が最適解かと」

「ヴァルトマン侯爵夫人か」

 頷き合うディートリヒとハインリヒに、フィロメナとパルツィファルは顔を見合わせた。

「こと紅茶に関して、ヴァルトマン侯爵夫人は我が商会一の顧客です」

「定期的に茶を楽しむための懇親会(サロン)を開いておられます」

 パルツィファルが首を傾げた。

「王太子妃殿下ではないのですね」

「王太子妃殿下も大口の顧客ですが、エストラヴィアから直接仕入れておられるので、得意先とまでは」

「成程」

 フィロメナは頷いた。

「売り込む時期は、来年で構いませんか」

 まだ半年程先になる。

「婚姻が成った後でということですか?」

 ディートリヒの質問にフィロメナは少し小首を傾げた。

「それもありますが、紅茶に詳しい方にお勧めするのであれば、なるべく完璧な物に近付けたいのです。処方通りの配合ができるようになるまで、少しお時間をいただきたくて」

 ディートリヒは頷いた。

「当然です。試作品を幾つか作っていただきたい。徐々に詰めていきましょう」

 ハインリヒが満足そうに頷いた。

「男爵は、良き共同経営者を迎えられましたね」

 フィロメナは目を剥いた。

「そんな(だい)それたことをするつもりは――」

「私はそのつもりで求婚したのですが」

 ディートリヒの返答にフィロメナは絶句した。パルツィファルもだ。ディートリヒは目を細めた。

「あなたの才は、私が独り占めするには惜しいものです」

「今すぐにでも、我が商会の紅茶専門家として雇用させていただきたいくらいです」

 ハインリヒの言葉に、フィロメナは少しだけ視線を揺らせた。

「私が紅茶に関して知っているのは、母の本に書いてあることだけです」

「それだけでも値千金。他の者にはない才かと」

「ハインリヒがここまで言うのは珍しいことです。フィロメナ嬢、あなたはもっと誇っていい」

 パルツィファルは、とんとんと軽くフィロメナの肩を叩いた。

「まあ、気負わずやってご覧」

「――気負いますとも。紅茶は高価な嗜好品なのですよ。いったい幾ら掛かるか、父上はわかっておいでですか」

「いや、正直わからん」

 フィロメナは溜め息を吐いた。

「下級品で一袋三〇から八〇銅貨(クライツ)。中級品が一から三銀貨(シルベル)。高級品は五から二〇銀貨。最高級品ともなれば一金貨(アウルム)以上です。ちなみに我が家が使っていたのは最下級品です」

「最高級品は、舞踏会用のドレス一着以上するのか」

「最高級品でなくとも、良い紅茶ならば一杯銀貨一枚が妥当です」

 ハインリヒが思わず手を叩いた。

「素晴らしい。男爵、良い奥方を娶られましたな」

「――まだ婚約中だ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ