第十六話 婚約者
ゼーベルク商会王都館、応接間。パルツィファルとディートリヒが、暦を前にあれこれと話し合っていた。
貴族の結婚は家と家との結び付きである以上、当主同士が話し合う必要があるのだ。
「婚礼の儀式は、やはり十三月がいいだろう」
パルツィファルの言葉にディートリヒは頷いた。神々の祝福する特別な月は、四年に一度訪れる。
「最も相応しいと思います」
「十三月は特別な月ですから」
ゼーベルク商会総支配人のハインリヒ・シュヴァルツが頷いて書類を差し出した。
「天空神と大地母神の再会。喜ばしい季節です」
常に天と地とを支える二柱が、この月の間だけ手を取り合う。その子らの多くの神々が二柱の交わりを祝福する。結婚の宣誓の見届け役である、愛の女神リーベリアと誓約神アイドマリアも。すべての神々が寿ぐ特別な月、十三月。
フィロメナはパルツィファルの隣で、ぼんやりとディートリヒを見つめていた。
艷やかな黒髪。青い眸は今はフィロメナを捉えてはいない。ハインリヒとあれこれ仕事の都合をつけては、暦と書類に書き込んでいく。
「疲れましたか?」
ディートリヒが不意に顔を上げ、フィロメナは少しだけ狼狽した。だが表情には出さない。
「いいえ、大丈夫です。ですが、そろそろ休憩を挟んでも良い頃ではないでしょうか。もしよろしければ、紅茶を淹れさせてください」
「あなたにそのようなことをさせなくとも――と言いたいところですが、あなたの紅茶は格別だ」
ディートリヒはそっと微笑む。
「ご面倒でなければ、是非。ハインリヒ、ご案内しろ」
ハインリヒは一礼した。
フィロメナを給湯室に案内し、ハインリヒは質問する。
「どの茶葉が宜しいでしょうか。お望みのものを用意いたします」
たとえそれが皇帝献上茶であっても、フィロメナが望めば用意してくれるのだろうと思えた。
少しだけ悪戯心が湧いた。
「カムルとグラーブとゲーンダーを」
ハインリヒは少しだけ目を瞬いた。
「三種類ですか」
「母の本にあった紅茶の配合を試してみたくて」
実験台。そう思ったがハインリヒは顔色に出しすらしなかった。
「――畏まりました」
ハインリヒは伝声管を使い、手早く指示を出した。喇叭状の口に向かって喋ると、向こう側から応答が返った。目を丸くするフィロメナに伝声管を指す。
「伝声管です。ご存知ですか?」
「はい。実物を見たのは初めてですが。遠い所にいる人に指示を出す時、便利ですね」
徒弟が缶を二つ持ってくる。フィロメナに目を留め、にこりと笑った。
「総支配人、グラーブとゲーンダーです」
「ご苦労。フィロメナ様、お使いください。カムルはそこの棚にございます」
「ありがとう」
フィロメナは缶を受け取ると茶匙でグラーブを一杯、ゲーンダーを一杯、カムルを三杯茶壺に入れた。熱湯を注ぎ入れ、砂時計を引っ繰り返す。
砂が落ち切り、フィロメナは茶漉しを使いもう一つの茶壺に紅茶を注ぎ入れた。
◇
「お待たせいたしました」
フィロメナの後ろから、女中が盆に茶壺と紅茶茶碗を乗せて運んでくる。
「ありがとう」
配膳する女中に礼を言うと、女中は目を丸くした。
「フィロメナ嬢、礼は要らない。あなたの女中だ」
「あら、輿入れはまだです」
「遠からず、あなたのものとなる」
「身近な者に対する感謝を忘れてはいけませんわ」
ディートリヒは言葉に詰まり、パルツィファルを見た。
「申し訳ない。こういう娘です。とはいえ、貴族としては威厳の問題だ。嫁してからはディートリヒ殿の沽券に関わることを忘れぬように」
フィロメナは少し表情を改めた。
「申し訳ありません。気を付けます」
ディートリヒは微笑む。
「あなたがあなたらしく過ごしてくださるのが一番だ。とはいえ、私は新参者の男爵で、きっと多くのご苦労を掛けることと思う。他者の目も今まで以上に厳しくなる」
「……威厳に満ちた男爵夫人を目指します」
きりりと表情を引き締めるフィロメナに、ハインリヒが咳払いをした。
「折角の紅茶が冷めてしまいます」
「そうでした。皆様、今回は趣向を凝らしてみたのです。きっと初めての味です」
「趣向? 何をしたんだい、フィロメナ」
「お飲みくださればわかります」
それぞれ紅茶茶碗に口をつけ、目を瞠った。
「これは……何というか、清々しいのに甘くて、華やかな」
「初めて味わいますね。重厚なようでいて、軽い口当たりです」
「私には、相変わらず美味い紅茶だとしかわからんな」
三者三様の感想にフィロメナは肩を竦めた。
「父上は淹れ甲斐のない方ですね」
「フィロメナ嬢、この配合はあなたが?」
ディートリヒが問い掛け、フィロメナが頷いた。
「母の茶の本に、幾つも配合の処方があります。その内のひとつです。皇帝へ献上するための特別な配合などもありました」
ハインリヒの眼鏡が輝いた。
「そのお話、詳しくお教え願えませんか」
「ハインリヒ」
「ですが男爵。これは好機です。男爵の奥様――になられる方の特別な配合として売り出しましょう」
「ゼーベルク配合茶か。一考の価値はある」
パルツィファルは目を丸くした。
「成程。これが王国一の商会なのですね。発想がすごい」
フィロメナは無言で茶を一口飲んだ。そして考える。レーヴェンライヒでは紅茶を嗜む者はそう多くない。裾野を広げられないだろうか。
もっと多くの人に紅茶の良さを知ってもらいたい。もっと多くの人に、紅茶を楽しんでもらいたい。
「そのためには――」
フィロメナは口を開いた。
「まずは紅茶というものを、もっと多くの人に知ってもらうことから始めないといけませんね」
ハインリヒが眼鏡を押し上げた。
「でしたら、ヴァルトマン侯爵夫人が最適解かと」
「ヴァルトマン侯爵夫人か」
頷き合うディートリヒとハインリヒに、フィロメナとパルツィファルは顔を見合わせた。
「こと紅茶に関して、ヴァルトマン侯爵夫人は我が商会一の顧客です」
「定期的に茶を楽しむための懇親会を開いておられます」
パルツィファルが首を傾げた。
「王太子妃殿下ではないのですね」
「王太子妃殿下も大口の顧客ですが、エストラヴィアから直接仕入れておられるので、得意先とまでは」
「成程」
フィロメナは頷いた。
「売り込む時期は、来年で構いませんか」
まだ半年程先になる。
「婚姻が成った後でということですか?」
ディートリヒの質問にフィロメナは少し小首を傾げた。
「それもありますが、紅茶に詳しい方にお勧めするのであれば、なるべく完璧な物に近付けたいのです。処方通りの配合ができるようになるまで、少しお時間をいただきたくて」
ディートリヒは頷いた。
「当然です。試作品を幾つか作っていただきたい。徐々に詰めていきましょう」
ハインリヒが満足そうに頷いた。
「男爵は、良き共同経営者を迎えられましたね」
フィロメナは目を剥いた。
「そんな大それたことをするつもりは――」
「私はそのつもりで求婚したのですが」
ディートリヒの返答にフィロメナは絶句した。パルツィファルもだ。ディートリヒは目を細めた。
「あなたの才は、私が独り占めするには惜しいものです」
「今すぐにでも、我が商会の紅茶専門家として雇用させていただきたいくらいです」
ハインリヒの言葉に、フィロメナは少しだけ視線を揺らせた。
「私が紅茶に関して知っているのは、母の本に書いてあることだけです」
「それだけでも値千金。他の者にはない才かと」
「ハインリヒがここまで言うのは珍しいことです。フィロメナ嬢、あなたはもっと誇っていい」
パルツィファルは、とんとんと軽くフィロメナの肩を叩いた。
「まあ、気負わずやってご覧」
「――気負いますとも。紅茶は高価な嗜好品なのですよ。いったい幾ら掛かるか、父上はわかっておいでですか」
「いや、正直わからん」
フィロメナは溜め息を吐いた。
「下級品で一袋三〇から八〇銅貨。中級品が一から三銀貨。高級品は五から二〇銀貨。最高級品ともなれば一金貨以上です。ちなみに我が家が使っていたのは最下級品です」
「最高級品は、舞踏会用のドレス一着以上するのか」
「最高級品でなくとも、良い紅茶ならば一杯銀貨一枚が妥当です」
ハインリヒが思わず手を叩いた。
「素晴らしい。男爵、良い奥方を娶られましたな」
「――まだ婚約中だ」




