第十五話 婚姻の裁可
謁見の間。
レーヴェンライヒ国王ヴィルヘルムと王妃ローゼマリアが玉座についた。
パルツィファルが進み出て、跪く。
「陛下、ブルーメンフェルト伯爵パルツィファルより、申し上げたき儀がございます」
「申せ」
「我が娘フィロメナの婚姻について、御裁可をいただきたく存じます」
貴族たちがさざめいていた。
「遂に決定か――」
貴族同士が婚姻関係を通じて団結し、王家に反抗する同盟を結ぶことを防ぐため、裁可が必要だった。
国王ヴィルヘルム・バルドウィン・フォン・グロリア・エーヴィヒカイトは、ゆっくりと視線を巡らせた。
「誰と娶せたいのだ?」
「ゼーベルク男爵ディートリヒにございます」
クローネンベルク侯爵アルブレヒトは、即座に異を唱えた。
「申し上げます」
ヴィルヘルムは頷いた。
「ゼーベルク男爵は、つい先頃貴族になったばかりの新参。そのような者が、仮にも七大貴族の一角と婚姻を結ぶのは如何なものかと考えます」
アルブレヒトは声を張る。
「これは、私見に非ず!」
幾人もの貴族が頷いた。同意の声が上がる。王弟クラウスもその内の一人だ。そして七大貴族であり、王家の分家でもあるヴァルデンブルク公爵ゴットフリート老もまた。
年配の者の反対が多い。そして、歴史ある家名を誇る者。伝統と格式を重んじる者たちだ。
ヴィルヘルムは玉座に肘をつき、隣に座す王妃ローゼマリア・ペルレを見た。
「――王妃よ、どう思う」
ローゼマリアは七大貴族の一角、リンデンシュタイン侯爵家の出だ。現リンデンシュタイン侯爵ローデリヒとは双子の兄妹に当たる。
ローゼマリアはたっぷりと視線を集め、ぱらりと優雅に扇を開いた。
「良いのではないですか」
口元を覆い、微笑む。
「伝統は大切です。守らねばならぬもの。ですが――レーヴェンライヒに新しい風が吹くのも、また良きことかと」
ヴィルヘルムは鷹揚に頷いた。
「では、ブルーメンフェルト伯爵パルツィファル」
「は」
「そなたの娘フィロメナと、ゼーベルク男爵ディートリヒとの婚姻を許そう」
場がどよめく。
パルツィファルはこっそりと、安堵の溜め息を吐いた。
「ありがたき幸せにございます。ブルーメンフェルト伯爵家は未来永劫、陛下に変わらぬ忠誠を捧げましょう」
アルブレヒトは静かに頭を垂れながらも、強く唇を噛んだ。
王が認めた。
ゼーベルクが、新しい力として台頭することを。
◇
ディートリヒの行動は素早かった。
即日ブルーメンフェルト伯爵家の負債を完済した。
用意万端怠りなく。王国各地にゼーベルク商会の使者が派遣され、すべての借金に利子を付けて返済したのだ。
また情報網を駆使し、各地に散った元ブルーメンフェルト家の使用人たちを再び雇い入れた。王都別邸だけではなく、ブルーメンフェルト領本邸についてもだ。
ブルーメンフェルト伯爵家は、また昔のような賑やかさを取り戻しつつあった。
フィロメナの前では、別邸執事のルドルフが大いに張り切って差配している。だが、彼はそろそろ引退を考える年齢だ。無理をしないといいのだけれどと思う。
だが、戻ってきた使用人たちが、生き生きと嬉しそうに働く姿は誇らしい。
ディートリヒがあちこちと目を配ってくれていた。それでいて、パルツィファルの邪魔はしない。
立ち位置を弁えている。
「まだ婚約期間中ですのに、よろしいのですか……?」
フィロメナの戸惑いながらの質問に、ディートリヒは迷わず頷いた。
「商人には迅速な行動力が必要です」
顧客の要望に迅速に応えることは信頼に繋がり、長期的な利益を生む。
「先代の教えです」
そして自分だけでなく、相手にも利益をもたらすことで、社会を豊かにすることを良しとしていた。
「ディートリヒ様は、やはりレーヴェンライヒ王国一の商人なのですね」
「少し違います」
ディートリヒは薄く微笑む。
「アウレリア大陸一を目指しています」
フィロメナは目を瞬き、花が綻ぶように笑った。
◇
クローネンベルク侯爵家王都別邸。
アーデルハイドは溜め息を吐いた。
父は静かに、けれど燃えるように怒っているし、従兄妹は打ちひしがれている。
無理もない。
(ゼーベルク男爵はそんなに魅力的なのかしら。今度聞いてみよう)
フィロメナは、何故ディートリヒを選んだのか。何故、ヴィンフリートは選ばれなかったのか。
純粋に疑問だった。
客観的事実として、ヴィンフリートは理想の結婚相手だと思う。見目も良く、性格も良い。フィロメナとは身分も釣り合っているし、騎士であるから物理的に奥方を守ることができる。そして――
(フィロメナ嬢に首ったけなのよね)
口説き落とせなかったヴィンフリートが悪いとは思いつつも、クローネンベルク侯爵家が振られたことは不愉快だ。
フィロメナのことだ。計算に計算を重ね、ブルーメンフェルト伯爵家に最良の道を選んだのだと思う。
実際、死に瀕していた伯爵家は、今や蘇りつつある。見事な手腕だと言わざるを得ない。果たしてフィロメナがヴィンフリートを選んでいたとして、ここまで素早く立て直せたかは疑問だ。
(――無理ね)
アーデルハイドは父を見た。アルブレヒトがブルーメンフェルト伯爵家を積極的に救う理由がない。寧ろ生かさず殺さず、飼い続けようとしただろう。
娘の視線の先、アルブレヒトは静かに目を閉じていた。とにかく不愉快だった。
アルブレヒトはフィロメナを買っていた。その聡明さに一目置いていた。認めたくはなかったが、手駒のひとつに置きたかった。
いや、違う。
あの令嬢は駒にはならない。盤を見、駒を動かす側だった。だからこそ、手に入れたかった。そうすればクローネンベルク侯爵家の次代は、盤石となるはずだった。
それを、よりにもよってゼーベルク男爵に奪われた。
ディートリヒとフィロメナが組めば、恐ろしいことになる。ディートリヒ一人でも、十分以上に厄介な存在だったというのに。竜に翼を得たる如しだ。
不甲斐ない甥を見遣り、アルブレヒトは口をわずかに歪めた。
ヴィンフリートはこの世の終わりのような気持ちでいた。どん底だ。
フリューリンゲとリーベリアにそっぽを向かれたのに、冬のヴィンタリアには見つめられているようだった。
好いた令嬢に選ばれなかった。
伯父の期待に応えられなかった。
たとえ王国中の女性に憧れられたとして、想う相手に振り返ってもらえなければ、無意味だ。
ヴィンフリートは昏い目をしていた。
(力尽くで奪えば、彼女は私のものになっただろう)
だが、そうして手に入れたとして。フィロメナは心から笑ってくれることはないだろう。
ヴィンフリートは長く苦く、溜め息を吐いた。
――それでも、今でも。
ヴィンフリートはフィロメナを想っていた。彼女の力になりたいと、心底思っていた。
フィロメナがゼーベルク男爵夫人となっても。
(愚直な道化師で構わない――騎士として真心を尽くすだけだ)
伯父は、クローネンベルク侯爵家はゼーベルク男爵と対立するだろう。ディートリヒは、これまで幾多の貴族たちが積み上げてきた秩序を崩す存在だ。革新力の塊だ。
その隣に立つフィロメナも、きっと困難に直面する。彼女を守るのは夫であるディートリヒだ。それは揺るがない。
だが、とヴィンフリートは思った。
二人の前に立つ、風除けくらいになら、なれるのではないかと。




