第90話 夏は一瞬で過ぎ去っていく。
あの後夏らしいことは全てやってのけたと言っても過言ではないだろう。
BBQ、スイカ割り、線香花火、唐突な怪談など。
家でダラダラゲームやアニメ視聴に浪費する以前の俺が摂取することなかった夏の夏らしい要素を一日で消費してしまった気がした。
帰りの電車。当然だが俺は疲れ果てて、ロングシートにだらしなくぐったりするのだった。意識が朦朧とするのを抑えつつ、到着駅のアナウンスをじっと待っていた。それも三駅続けば、眠たくなる。これを紛らわせるために俺は隣にいる聖良さんに話かける。
「今日だけで、全てのエネルギーを消費してしまったんじゃないか?俺。これはもう一か月は休まなければ回復することはないんじゃないかなと思うんだけれど」なんていう冗談を繰り出したが、隣の聖良さんから反応はない。
どうしたのだろうと、横を向こうとして見れば、肩の方に重さを感じた。
聖良さんが凭れ掛かって来たのだ。
くーすーくーすー、可愛い寝息を立てながら、重力によって俺のほうに密着していく。たった一拍。心臓の鼓動が伝染したようだった。
これに気が動転しない男は居なかった。
あ、う、あ……。顔を鏡で見れないくらいに赤面させて、哀れな閉塞的な声以外に放てるものはいない。
ゆさゆさと揺さぶることも考えていたけれど、別にこの状況は悪くはない。寧ろ男の夢を仮想現実であっても達成することが出来ているのだ。この意図しない幸福感を簡単に手放すなんて愚かな人はいないだろう。
よって、俺は現状維持を選んだ。
このせいで俺はこの体勢から一ミリたりとも動かせやしなくて、ちょっとだけ辛かったのは言うまでもない。
「おお~。いいねえ。良いものだねぇ~。青春だねぇ。カレシくん」
唐突に俺のご褒美空間から、嘲笑する声が聞こえた。
夕方の電車。結構なローカル線らしく、人はまばらで貸し切りだったはずだったのだ。それにメスを入れる声はびくりと体を震わせた。それは二つの意味で。
「さ、桜場さあん」
「はい。桜場ですよ~?あはは」
いつものように戯けた笑顔がそこにあった。
「な、何していたんですか。出るなら、早く出てくださいよお」
「あははっ。まあ。目覚めた瞬間から出るのは粋と言うか何かが欠けているでしょう?ちょっとは困惑する時期を与えたいじゃない?」
根性が小悪魔だ。
「それでも、海から帰れば、カレシくんは私の所に行くつもりだったのでしょう?早く行くか遅く行くかの違いじゃない?そんなの差異、差異」
「差異かも知れないけれど、心理的には大きな溝があるんですよ」
「まあ。まあ。悪かったから。世界線が変更されるときに無暗に入り込んだら、上半身と下半身で別々の世界線に分離されるという懸念があるからさ。一定時間を開けるという規定があるのだよ?すまない」
なんだそれ恐ろしい。
俺は意図せず、想像を膨らませてしまった。
「まあ。そういうことなら、責めないんですけれど……」
まずは状況を説明してもらおうか。
「見た通りの夏だとも」
「毎度思うんですけれど、その簡潔な説明はなんですか」
「私が人の話を聞けないから、そういう配慮なんだよ。もしやかして、校長先生の話をじっと耐えて聞いている人なのかい?」
「俺は学校になんていきません」
「それ以前だったか……」
「まあ茶番はこの辺にしておいて、これは選挙で選んだ結果なのさ……。選挙で選んだ結果、二つあった世界はデリートし、新世界に切り替わったって訳。大体5章あたりかな?」
それはなんか天地創造みたいでいいですよねと、言いかけた。
「まさか聖良を選ぶとは思っていなかったけれど。ねえ。なんでなんですか?なんでなんですか?」
鬱陶しいくらい質問攻めに合っている。
そりゃ、気になるだろう。俺がなぜ舞賀さんじゃなかったかなんて。
俺は今、考えていた。あのときの感覚を呼び起こすように、俺は考えていた。
そして、出た結論は…、
「り、理由なんて、ありませんよ……」
聖良さんを見ながらそう言った。
本当に理由などなかった。強いていうのなら、なんとなく舞賀さんではなかっただけ。
何かしらを察した桜場さんは何もいうことは無かった。何を察したのだろう。口に出した本人すら不明なのだから、それを教えて欲しいものだった。
「これは正しかったのですか?」
俺は何も言わない彼女に対して不安になる。
「ずっとわからない。でも、あなたが選んだことに意味がある」
静かに、そして厳かに言い張った。
「じゃあ。どうして俺とカノジョは付き合っていることになっているんですか?」
「わからない。本来はそういう話ではなかったと思う。付き合うなんていう話が出るなんて、最後の最後なのだよ。そこらへんはバグと言っていいかもしれない」
まだ、バグがあるというのか?
「大丈夫さ。そこらへんはなんとかしている」
「急に消えないでくださいよ」
「それは大丈夫ですよ。上司に忠告しましたから」
うーん。と、顰めっ面で苦々しい目をする。
それでも、にこりと彼女は囁いた。
「まあ。わからないことがあれば、聞いてくださいよ」と。
電車に揺られていく。
日が落ちかかる。
そこに会話はなくただ沈黙だけが覆っている。俺は彼女が言った意味を考えながら。
この沈黙さえも心地よいのは彼女といるからだろうか。




