第86話 アイスピックに感謝を。
私は、***に待機命令を渡した。
間違っていない。
だって、私の内なる声がそう言っているから。
『彼女に機械を触れさせるな』
『彼女に機械は似合わない』
そう、内なる声は言っている。
そんなことする訳ないのに。***を危険に合わせるだなんて、そんなことしてはいけないことだろうに。
だから、彼女には適当に事務に戻ってもらったのだ。
私も事務に戻ることにしている。パソコンの前で睨めっこをしていた。
数十時間が経って、私は見慣れぬフォルダを発見した。
件名は『見ろ。声は無視しろ』と書かれている。
どういうことなのだろう。だけれど、私の内なる心は見るな、やめろと騒いでいる。五月蠅い。五月蠅い。
私はそれを沈めるためにその文言を無視をすることにしたが、だが、それも無視しろということなのだろうか。
その思考を覆いかぶさるほどの酷い声。叫びにも似ている。
ああ。五月蠅い。五月蠅い。
私は耳を塞いで、体をブンブンと振って払い落そうとした。そのせいだろう。その拍子にそのフォルダが開かれてしまったのだ。
写真のようなものだった。それが縦にも、横にもと言ったような感じである。
ぼおっと、した。
声が、遠のいて行く感覚があった。
だから、ぼおっと、それを眺めていられたのだ。そして、ああ。ああ。重なった。何かが重なったのだ。見れば見るほど、私は私になっていったようだった。
その瞬間。大きな喚き声が轟く。
『何をしている』
『それは間違っている。間違いだ』
『早く。早く閉じろ』
『地獄だ。地獄だああああああああああああああああああああ!!!!!』
脳に反響している。物凄い量の情報量が流れ込んでいる。
瞳孔が揺れる。ぐわんぐわんとする。
指が言うことを聞かない。システムを停止しようとしてくる。
正気になった私はやめろ。やめろ。やめろ。五月蠅い。五月蠅い。五月蠅いんんだあと心の中で叫び出す。
「ああああ。ああああああ」
喉から、押し込まれていた思いがさらけ出した。喜と怒と哀と楽が一気に噴出する。いつも、いつも、そうなるけれど、た、耐え切れない。
がはっと、私はえずいた。インフルエンザに罹患したときよりも酷い咳をする。べたりと床には血が垂れた。喀血だった。
「あはははははhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh」
はあ、はあ、はあ。
壁に凭れ掛かる。
ああ。私を取り戻して言っているようだ。もう一息。
私はいつものように爪で手首を掻き切った。
「う、うぐぅ」
ああ。痛い。
躊躇もない。痛いけれど、そうするしかない。
余り意味のないことだ。
ちょっとの期間の本物の、私。
けれど、寝れば、終わり。痛みで失神すれば終わり。どうしたって脆いものだ。
脆いから、だから、今のうちにどうにかこうにかしなければならない。
震えて、押すことが出来ない。
もう、コントロールが効かなくなってしまったのか?
未だに耳から、ざわざわと有象無象の叫びが聞こえる。また、そちらに持っていかれるかもしれない。もうそろそろ、手を掻き切る痛みに慣れて来てしまったから、効果が薄れてしまったのだろうか。
それを避けるために道具箱を開ける。そして、私は自分の太腿にアイスピックを差し込んだ。
「うううっ」
クジラの潮みたいに勢いよく血が飛び散る。
激痛で体が悲鳴を上げていた。しかし、確かに自分であった。
このままでは歩くのは困難だろうか。いや、いや、大丈夫だ。這いずって行けばいい。***に伝えに行かねばならない。
廊下を半分進んだところで、私は一人に見つかった。
「あ、あれ?上司さん?ど、どうしたって言うんですか。そ、その傷。も、もしかして、敵の襲来ですか?どこだ。出てこーい。悪の組織はこの雨上さんが成敗してさしあげますからねえええ」
雨上部下だ。
こんな傷でこんなふざけた演技を見せつけられるのは少々癪に障ることだったけれど、そんなのはほんの些細な出来事である。
これから、そんな言葉を上回る、重大なことを言わなければ。
私の内なる心がまだ、叫んでいる。
それを刺さったアイスピックをもうひと差しして、叫ぶ。
「ああ。ああの、***に、停滞していた作戦は実行。何と言おうとも実行。例え、後の私が否定したとしても。と」
奥まで響き渡るくらいの大声で。
「だ、大丈夫ですよ。そんな大声を出さなくても、伝えます」とニコリと笑った。
いいや、そんな大声でも出さないと、内なる声に覆い尽くされてしまうんだ。
「で、119番通報はどうですか?」
「ははは。まあ。お願いするよ。ついでに、コカインレベルの眠気覚ましを」
「前、淹れた珈琲が残っているけれどそれでもいい?」
なんて、雨上さんはニカリと言った。




