第63話 部下と上司の関係は圧倒的な関係だろう。
私はある場所へと赴いていた。
小洒落た他所行きの衣装を身に纏って、できる限り自らを美しく見せようとしている。どうしても外せない用事というやつである。
私は人波を縫って往来を早足で向っていた。ちょっと電車が遅れてしてしまったのは些細な問題で、規定時刻に帰って来れなかったのが原因である。そう実は私は待ち合わせをしていたのである。
駅前の喫茶店。
古ぼけた洋館をイメージした、最近オープンした瀟洒な店に威風堂々と入店を果たし、「先着がいます」と告げて、奥へと入りいる。
「やあ。待ち侘びたこともない」
やや、意地悪な構えで、上司が出迎えてくれた。私はそれに苦笑いをしつつ、すぐに席に腰掛ける。今日はこんな調子らしい。どこぞの誰かを彷彿とさせた。
「すいません。すぐ今すぐ来いと言われましたけれど、準備に手間取ってしまいまして。変なタイミングで抜けることになりました」
「まあ。それも面白いから及第点さ」
「面白いんですか?」
私は眉を顰めてそう尋ねる。
「そりゃまあ」
当たり前と言わずもがなと、クススと不敵な笑みで上司は嘲る。
何が面白いのかわからないけれど、待たしてしまったのは事実だ。
「えっとお詫びの品として何か一杯奢りますよ。その傷もありますし」
上司を見ると、既になんだか、ボロボロのようだった。
初めて会ったときは手首に傷跡。その次は眼帯。太腿に刺し傷。それが回を重ねるごとに増えてっている。
「そうかい?別にこの傷は名誉の損傷という訳でもないし、立場としてはこちらが奢った方が気前が良いのだろうが、せっかくの申し出だ。それを受け入れるのも上司のつとめというやつなんだろう。奢られてやるのも悪くない」
運ばれてきたお冷の縁を持って、カラカラと氷を鳴らした。まるで、その言葉を待っていたような口ぶりをした。
捲し立てるようにそんなこと言うし、その証拠に遠慮することもなく、メニューをパラパラと捲って指差した。
「カプチーノでもいただこうか」
「さいですか」
「それとトースト、あとパスタもいいだろうか」
あれ。もっと遠慮がないらしい。
喫茶店はお高いのだ。累計された価格は一千円を優に超えるほどの遠慮の遠がなかった。
私は一番チープなブレンドコーヒーのみを頼まざるを得なかった。
ひとしきり、注文の品が舞い込んできた頃を見計らって私は上司に話を振る。
「あのですね。事態は結構深刻を極めるかと思います」
「その心は?」
「ですから、関根四季その人を脱出させるには現時点ではどうすることもできないということです」
「へえ」
スカした顔で一杯カプチーノを口に含む。
「うん。美味。ここの店は意外と上出来らしい。今後贔屓にしたいものだ」
自由気ままに感想を述べる。話を聞いているのか?こちらの気苦労も知らずにのうのうとカプチーノという通常料金に散々トッピングを追加したリッチなコーヒーを惜しげもなく飲む上司を見れば頭にくるものがあるだろう。
しかし、その程度に腹を立てていれば、社会に通用する人材には到底なることはできないだろう。だから仕方なく腹のうちに秘めて、話を続ける。
「なので、私は関根四季をどうにかこうにかすることと並行して、原因、根本を正すことを選びました」
「それは懸命だ」
「しかし、未だに根本原因には辿り着けていない所存です」
「そう」と、淡白な返事がしたと思えば、上司は熟考をしていた。
トーストとパスタをフォークで弄びながら、考えをまとめていた。
対照的に私はしばらくの静寂を紛らすために、コーヒをちまちま飲んでいた。そうしないと怒りにかまけて一気に飲み干しそうであったから仕方なくではあった。
「原因、根本というのは犯人を捕まえるということで大丈夫だろうか」
しばらくすると、上司は確認をするようにものを訊ねた。私はそれにコクリと首肯をする。
「されども、結局犯人を捕えるというのも表層的でしかない。原因根本ではないのかもしれない」
「なら、どうすれば、いいのでしょうか」
「もっと根本的な解決方法がある」
「なんでしょうか…それは」
すうっと息を吸い込んで、上司は途轍もないことを言う。
「初期化すればいいのだろう?」
「初期化……」
「初期化するくらいなら、なんとかできるだろう。君がこうして電脳世界に入り込めたのだからさ。その初期化という処理を行なって、その後から、防護策を構築するというものでもいいだろう」
それは……。
理には叶っている。理に叶いすぎている。企業経営者の判断としてはそれは上々なアイディアと言えそうだ。
しかし、それが倫理に反しないのならば。
私は思わず唾を飲み込んだ。
「そ、それなら、関根、関根四季は、ど……どうなるんですか?」
「閉じ込められるだろうね。脳だけ、電脳世界に。だけれど、それは使用者側の責任だと突っぱねて、我々は知らぬふりで勝訴すればいいのだよ」
私は空いた口が塞がらなかった。
なんて薄情で冷徹な人なのだろうと、こんな陳腐な言葉では言い表せないくらいに癪に触る。私は間髪入れずに反論を展開することを試みた。
だが、私の尖った口は上司の人差し指によって塞がれてしまった。
「言いたいことは分かるさ。そんなことをしたら、君は末期まで罪悪に囚われてしまう。そんな哀れな君をみたいほど、酷なことはしない」
「なら、どうするんですか?」
「そんなにかっかしないで欲しいことだ。アイディアというほどでもない。一番最初に言ったじゃないか。住所を聞き出して置いてくれと」
ああ。そうか。そういうことか。
本当に四季を閉じ込めそうだと思った私を呪いたい。上司は上司らしく上司をしていたようだ。
「さて、実施調査にでも行こうか」
ちょっとやる気あり気に残りのカプチーノを飲み干して言った。
私のコーヒーはすでに飲み干して久しいのはいう必要性もないだろう。




