第50話 独白。
日も暮れかかって、部屋に電気のスイッチを躊躇わずに灯せる程度に暗くなった頃。
日も落ちかかると同時に私の疲労が溜まっている。まだ、山積した課題がたんまり残っている。今日中に復旧できるだろうか。
「***くん。今日は残業かい?」
すらっとした身なりをした人がそう尋ねた。
この人は私の上司だった。上司はフラフラとヘラヘラとした性格であるが、その目を覗き込むと否応なしに不気味さを感じて仕方がない。
全ても見透かしているような、私の魂胆など、地球の端の貧相な顔の人間程度でしかないと思っていそう。それが私の評価だった。
なので若干私は上司のことを好ましいとは御世辞にはおもえなかったのだ。
「まあ。人手が足りない見たいなもので」と恭しく頭を下げる。
「だから昼と夜で二台体勢をとっているものなんだが、まあ。時代もいいものだ。女の人も残業すれば、お給料は貰えるからね」
「あはは。残業できなかった時代は信じられませんね」
「有能無能に拘わらず使い潰すのが世界の常識らしい」
「ブラックですね」
「いくらホワイトな企業であっても土台がブラックだから元も子もないのかもしれないね。逆にホワイト企業だらけの会社が乱立していたら、ブラック企業も変わらざるを得ない。さもないと人材が流出して倒産だ」
この人は何を言いたいのだろう。そう思って聴き続けていた。
「それは人間にも言えることだよね。ホワイトが土台の人か、ブラックが土台なのかも人格形成に変わってくるという……ああ。これは上に内緒ね。上はここがホワイトなことに誇りだからね。全くそんなことないし、むしろ最悪だと言うのにさ。だから、気休め程度のホワイトを」
彼は缶コーヒーを差し出した。
社内の自販機で売っている馴染みのものだった。
「困惑しているようだが、差し入れというやつだ。さっきのブラック、ホワイトどうのこうのという話はただ差し入れを出すタイミングがわからなかっただけなんだ」などという戯言を撒き散らして上司はタイムカードを切った。
あの雑談にも給料が発生していたことに驚きではあるが、その上司がいなくなったことによって肩の力は抜けた。やっぱり慣れないお方だ。この渡されたコーヒーですら何が入っているかとか警戒心を露わにしてしまうと言うのに。
大丈夫だよね?と私は缶のプルタブを持って開ける。躊躇しながらも一口含む。至って普通。
あはは。何だ。なーあんだ。私は座っている回転椅子で一周してから、パソコンに向き治る。そして、その杞憂を晴らすが如く、カタカタとヤケクソじみたタイピングをした。
なぜ。斯くも魂を詰めて取り組んでいるのかというと、私はこのCAP SO堂・エニナムHDのフルダイブの乙女ゲームの調整をしている管理者及び、その責任者でもあった。その責任者に責任問題が付き纏うのは当然の処遇だろう。宿命である。
今日の朝だろうか。
このゲームにだけ、大規模なサイバー攻撃が行われた。出自はいまも分からない。まあ。出自なんてどうでもいいものだ。このサーバーによって引き起こされた異常動作のほうが重要だった。
ストーリーがぐちゃぐちゃに変更されている。キャラの性格などが変更されている。
知らないストーリが進行して、知っているキャラでもそのプログラムに準じている。
どうにかできないかと、プログラムのキャラ設定欄を開く。
星宮旭。それがこのゲームの主人公だった。華月結音、天川要、神々聖良α、桜場***、日御池海桐花、維川カンナ、舞賀祈♂とヒロインたちが並ぶ。
「関根……。四季……、そして、これまた関根で折節……」
私が目に止まったのは彼、彼女?どっちか分からない。
調べてみてもビジュアルすらも確認できない意味のわからぬ謎キャラが挿入されていたことだ。身長170センチ丁度。家族構成。妹、父死亡、母は行方不明後に死亡判定。住所***。
住所がバクっている。およそそんなことはない。というか、キャラに住所など設定されていただろうか。いや、キャラは設定しない。設定するのは、生身の人間だ。
この人は生身の人間なのかもしれないという思考が逡巡した。
汗がだらりと垂れる。このフルダイブ空間に監獄のように囚われて、無窮の叫びをあげているかもしれない。もしそうならば、私にとって人生を背負って耐えられることではない。しかし、私は幸いにも管理者である。その管理者権限を使えばいいという単純明快な話ではあるのだが、それだけで上手く行くような人生ではなかった。
管理者権限が何者かによりロックされている。
キーボードを押しても、管理者権限を使えない。プログラムを書き換えられない。管理者であるというのに、そのゲームがブラックボックスであるのだ。解せない。
「あああ。どうすればいいんだあ」と私は頭を抱えた。私が救えないのなら、それは責任問題とかでは話がつかない。どうにかこうにかそのプレイヤーの住所だとか……。無理ですよねぇー。と、ポッキリと心が折れてキーボードに頭を埋めた。
私はどこを押したのだろう。今もその答えは知らないけれど、その管理している乙女ゲームのオープニング画面になったのは事実だった。
私は何を思ったのか、いや、そう思ったのは偶然だったかもしれない。
「そうだ。あはは。なんで気づかなかったのだろう。フルダイブの乙女ゲームなら、フルダイブすればいいじゃないか」と奇矯な思いつきだった。
もう時計の頂点はとっくに過ぎ去っている。
だから私の脳は正常に動作していなかった。その動作しない脳で私はさっき退勤をした上司に電話を掛ける。
「なんだい?時間外労働は趣味じゃないんだ」とヘラヘラとした態度で言う。
それに若干怒りを覚えながら、説明を図った。聞き終えた上司はその脳も機能していなかったのか、突飛なアイディアはすぐに許認可された。それどころか「有効な手段だ」と太鼓判すら推していた。
どこもかしこも機能していないらしい。
「なら、そうだなあ。もしそのプレイヤーに出会いでもしたら、住所でも聞き出しておいた方が念のためだろう。まあ。内密に、犯人を捕らえられたらそれが行幸だがね」と上司は言った。
訳もわからぬことを言うが、私はようやく仕事が進みそうだということに雀躍したものだ。
さてさてと、私は浮かれた気分でVRゴーグルを付けた。VRゴーグルをつける姿勢としては正しいだろうと確信しながら。そして……。




