第44話 尊厳の問題。
私は何故だか、正しいものが判っていた。
それは明確に、というわけではなく、霧やもやが頭の中に覆い被さっている上にひっそりと乗っかっているようなその程度の正しさ。
これを全幅の信頼感で頼るのは浅はかであるだろう。それでも幼き私は微かなる感覚にほぼ全てを頼っていた。
ある日である。背理法というべきだろうか。一度、その直感とは逆方向へと舵を切ってみたことがある。案の定酷い目に遭った。
あるはずのものを失い。得るはずのものも同時に失った。しかし、人が死ぬだとか、そこまで深刻なことには成らなかった。成らなかったが、それでも私の中に刻々と刻まれた体験はトラウマと成り果てた。
それ以来、私は直感に従うことにしている。
だから、この状況だって、正しいことをしているはずだ––––
雅やかな和装に包まれた私は跪きながら、一礼をした。
それなりに大きな和室。畳のささくれが膝小僧に刺さっていたい。
「私が華月結音と申します」とどこともなく名乗った。
私の周囲を4、50歳のいい歳した大人たちが取り囲んでいる。大企業の社長。政府の役員。いい歳した人だからと言っていい人たちではないのは散々分かりきったことだ。策略、闘争、だまくらかし合い。そんな汚い計らいを持った人はごまんといるがここの大人たちはそういう系統の人たちだ。
もっと酷いかもしれない。その大人たちのほとんどの目線はこの集会の中心人物である汚いババアに集約されていた。
そのババアには両手に華というのだろうか。男が脇に携えている。
政府官僚が資金提供だとか、あそこに投資してくださいだとか汚い話をしている。
日本でも有数の美男子だろう人々が、甘い声を出して誘惑を図っている。ここは地獄だ。
「ははは。君がそうして心変わりをしてくれて嬉しい限りだよ」と不気味に口角を釣り上げた汚いババアが私へと口を言ってくる。
唾が飛ぶだろう。汚い。
「ある意味心変わりはしていたと思うわ」
「ほう」
「それがどういう心変わりか分からないんです」
「ははは。我々にとってはそれは些事なことだろう。君にとっても些事だ。匙を投げても、いいではないか?」
それは、私にとっては答え難いし、堪え難い苦痛が伴うだろう。
間違いもなく「それは拒否します」と語気を強くした。
「そ、そうかい。まあ。悩み続ける権利はあってもいいだろう。心行くまでそうするといい」と誰から目線かも分からない適当な責任感もない言葉を汚い息に乗せた。
はあ。運だけでその地位に躍り出ているのに何を言っているんだ。
私は悪態をつきたくなるが、ぐっと堪えて唇を噛む。
「そうさせていただきます」と丁寧にお辞儀を返しておいた。
そんな礼など、歯牙にも掛けないとでもいうように「えっと。そうだな。レズ……。じゃなくて、祈?祈はいいよなあ。結音が当主になることは賛成だよなあ」と汚い視線を向ける。
「あ、はい……」と舞賀祈はナヨナヨとした捻り出した言葉を吐いた。汚いババアは期待通りの言葉であると、上機嫌になった。
「で、お前はどうするんだ?結音の次に頭よかったから、当主に担ぎ上げたのだ。同じ名門エリート学校に入れることも厭わないぞ?」
「まあ。あ、はい……」と俯いて気弱く肯定する。
その気弱な性格だからその汚い大人たちから摂政みたいなことをされているのだろう?それが狙いだったのだろうけれど。
はあ。と気づかれないようにため息を一つ吐いた。
「はっ、はっ、はっ。そうだよな。それが好ましい。素晴らしい。お前が当主になると言った時は結音と同じ高校がいいと唯一の我儘を通したけれども、さすがに結音がいなくなれば、居る理由も皆無だものな。まあ。低偏差値だし」
がっ、はっ、はっ。と醜く下衆い軽機の良い笑い声が響く。
それに釣られて、周りの女どもも笑っている。
学歴に汚染された狭窄どもの意見だ。不快だ。不愉快だ。
私はうんともすんともすることなく冷酷な目で腐った彼女らを眺めていた。
私はもうそろそろこいつらの仲間入りをするのだろう。
それが正しい……。正しいのだろうか。
「じゃあ。結音。行こうか。当主交代の儀式の準備をマスコミに知らせなければな……」とゲッスイ笑みを浮かべて、私の手のひらに汚い手を置いた。
私は手を握るのにやや躊躇した。これを握ったら最後、そこに侍っている美男子らと同じく骨抜きにされて絆されてしまうのかとそんな嫌悪感が纏っていた。
そんな思索で行動が止まってしまった。
「いいや。手を取らなくていいんだよおお」と女の子の声と豪快に開く扉が響き渡った。
「そ、そんな結婚式に割り込むみたいな……」
取り返しのつかないことをしてしまったと言う男の子の声も聞こえた。
私は重たい服装を思わせない、軽やかに翻し、そちらの闖入者に注目する。
「な、なんだ。君たちは。け、警備員はどうした」
「ぶっ倒したわ。わたくしたちの崇高な理念においての障害物は無駄よ」
「わたくしたちって巻き込まないでくださいよ。無理に突破しようなんて言ったのはあなたなんですから」
「知らないわ」
「はあ。何を言っているんだ?」と汚い彼は取り乱している。その彼を取り巻いている彼女らだって惚けた顔を見せている。
その合間にずけずけと私の方へと近づいてくる。
「さあ。結音ちゃん。迎えにきたわよ」と神々聖良だったかが手を差し伸べた。私はなぜかこれに期待外れだったとかいう感想を抱いた。
しかし、その汚い彼の手を握るぐらいなら、ましなんている単純明快な理由で手に取ったものだ。
「じゃあ。ちょっと、来てくれません?」
そう彼女が言い終わる前に手を引かれた。
「おい、結音ええ!行くのか?行くのか?」
汚いババアは馬鹿みたいにヒステリックに騒ぎ立てる。私はそちらへは耳を傾けない。
私が傾けたのは、扉に寄りかかっている彼の方だった。
心臓が跳ねるようだ。
「あら。四季くん。来てたのね。気づかなかったわ」とかなんとか言って、私の顔は取り繕う暇もないくらい笑顔なのを自覚したのはもう少し後だった。




