第118話 隔世に覚醒する。
ここはどこなのだろう。朦朧とした世界に目を瞬かせた。
濁っている。
す、水溶液のようなものに入っているみたいだ。
それかSFチックに表現するのならば、培養液のようなところに俺は入っているのだと、それが自覚出来た。
眼前には窓のようなものが見える。それは歪んで枠は正確には見えない。
俺は寝っ転がっている状態だった。それも眼前に窓で、太もも、足のつま先まで、壁が四方に覆い尽くされていると言った感覚である。
もしや、俺は棺にでもいられれてしまっているのだろうか。
それなら、まずいじゃないか。棺に入れられてしまったなら、あとは火葬しかオチがない。あとは骨となり、土となるしかない。それが妄想だとしても、やはり、この四方に壁がある自体は閉所恐怖症の天敵みたいなものだ。別に俺はそうじゃないんだけれども、いかんせんこの状況は息苦しいと言うものだ。別の息苦しさもあるけれど、この前ではそれも無力だった。
脱出を図るしかない。そう思い四肢を動かそうと試みる。
ピリリと、神経が痺れる。全身が痛い。鋳型に嵌め込まれたような痛い痛い感覚である。遺体を無理やり動かしている感覚に近い。コントロールが効きにくい。それに加わって、粘り気のある水圧のようなものも加わってくる。
それでも、無理やり動かして、無理やり眼前の窓を叩き壊そうとしてみる。ドンドコドンとリズミカルに叩いてみる。
びいいいいいいいいいい
そんな大きな警報音が鳴り響いて、眼前の窓はゆっくりと取り払われた。
ザブンっと床に何かが漏れたような感じだ。心なしか、息苦しさと言うのも無くなった。
長い間眠っていたからだろう。余計に眩しく思えているのだろう。
まるで現実世界の方が素晴らしいみたいだ。匂いを感じる。嗚咽を感じた。
生臭く、狼狽えてしまいそうな濁った香り。
それに違和感を感じて、この溶媒から体を起こす。
起こした瞬間、何かがするりと落ちたようだった。
「あ、ああああ」
驚愕。
倒れている。だ、誰だろう。
お、俺はかつてなく動揺をした。
ふ、触れようと手を伸ばす。ひんやりと冷たい。
それにまた驚愕する。
「う、嘘だ。どうして、」
分からない。分からない。誰かが死んでいる理由なんて皆目見当もつかない。
取り敢えず、俺は強く突き刺さっているそのアイスピックを抜いた。痛そうだったから。
手を取ったから、分かったけれど、まだほんのりと温かいようだった。
手に持った瞬間、それはかつてないくらいフィットしているように感じた。だから、この人を俺が、己の手で殺してしまったかのように感じた。
だから、俺は、俺自身が、憎らしくなった。憎くて、憎くて仕方がない。だから、俺は、そのアイスピックを目玉に突き刺したのだった。アイスピックの針は頭から顔を出した。
桜場さん……。
***
私は呆然と眺めていた。
一足遅かったということだった。
四季くんは妹さんに覆い被さるように、倒れていた。死亡僅かと言うことかもしれない。眼球にはアイスピック。痛そうだ。
「で、どういうことですか」と、奥側で、ニヤリと見つめる人に声をかける。
「どういうことって、ねぇ。太陽がまぶしかったから?」
惚けた顔を上司はした。
「この人を殺したのはあなたかと聞いている」
眉をひそめる。
「文脈でわかるだろう?」
くすりと私を嘲笑う。
わかるわけがない。わかるわけが。
「どうして、こんなことをしたのですか」
「計画が完全に失敗してしまったからだ」
簡潔にそう言った。
「計画?計画って、ゲームを発売するだけ……」
「ゲームなど、精神病者のするものだ」
主語が大きい。私はゲームが好きなので、かなりムカッとした。
「私も精神異常者どもの一介に過ぎない。そして、貴方もだ」
はあ?意味が分からない。
「四季くんはこの世界に絶望していたそうだ。母が死んで、死んだようにふさぎ込んでいたそうだ」
それは貴方と家に行ったときに知っている。妹さんから聞いたことだろう。
「環境は人を作るそうだ。環境が主語であり、人間は只の結果。述語、或いは術後に過ぎないと言うことだ」
「性格の遺伝的影響はおおよそ三割から四割。残りの六割から七割は生育環境や、友人関係だと言う。そう。結局何が言いたいかと言えば。人間は環境に決められているというただ一点だけ」
「凶悪な環境に置けば、凶悪だろうし、幸福な環境に置けば、幸福になるだろう。人というものは全くもって単純だ」
「だから、ひとたびショッキングな出来事があれば人の心を大きく変えてしまうそうだ。四季くんでいうと母が死んだということだ」
それがどうしたって言うんだ。
「それを治すのであれば、もう一度ショックを与えればいいだろうに」
何を言っているんだ?
ショック?その言葉がショックに近い。
「まあ。そんなことはするけれど、しない。さっきの理論が徒然となってしまうだろう」
「論理?論理なんてあったもんじゃない。並べているのは詭弁だけだ」
「君だって、論理はないだろう。だって、四季くんを助ける義理はないだろうに。何故助けようとするんだい?」
「?」
首を傾げた。そりゃあ。仕事だからだろう。
「君の名前はなんだと思っている」
「桜場……?それとも、」
「関根百合?」
私は躊躇もなく、ただしみついた感覚として、名前を発した。
それに疑問を持てと言うには意味の分からないことだ。名前は名前だ。それ以上でも以下でもない。関根四季と同じ名前だけれど、しかし、同じだけで違和感はない。クラスに同じ苗字の人がいたら、ああ、下の名前で呼ばなければならないなと思うだけ。
だけれど、その名前にくすりと笑っている。嘲笑っている。
「ち、違う。違う。私の実験はやはり成功していたことをただ今実感だけだよ」
そんなことを言って、四季くんに近付いていく。そこに刺さったアイスピックをプスリと抜いた。抜いて、刺した。
自分の太股に。そして、また抜いた。
「はい」と上司は私にその道具を渡す。
ぼけーっと私は佇んでいた。
ただ、始終打ち付ける感情が、偽りだと思わせるようだった。
偽りか、そうでないかは確かめる方法がある。私は勇気を出してアイスピックを自身の手を串刺すのだ。




