第102話 僕はまだ、あの時を覚えている。
サイゼリアから帰れば、僕はグルグルと思考していた。
四季は相当頭がやられているのかもしれない。そんな危機感だけが募る。
でも、僕はそれが意外に悪くもなかったと感じているのだ。稽停する日常も悪くもない。いや、現実世界に比べれば異常事態なので、それが意外とそのうつ世離れした日常が心地いいのだろうか。そうに違いない。だから、再び、彼女に電話をしようかと思う。
ああ。でも、彼女じゃなくてもいい。誰だっけ、ああ海桐花ちゃんでもいいじゃないか。俺はその彼女に電話をしようとしていた。
「やあ。君」
僕はびくりと体を震わせた。背筋が凍る。
体が軋んで痛くなる。
唐突に電話をしようとしてくる人を遮って話を振ってくる他人は十中八九不審者に決まっている。
僕は一瞬、口を噤んでいた。
「そこの君。あれあれ?聞こえているのかい?」
不気味な笑みを容易に浮かべた。“気持ちが悪い”。それが僕のその人に対しての第一印象だった。そんな登場人物、プロフィール一覧にも乗せたくない。
「ああ。聞こえている」
「なら、素早くこたえてくれないと、《《壊れてしまった》》のかと思ったよ」
にちゃり、にちゃりと不気味なリズムを奏でた喋り方。それが崩れて、不気味に睨まれる。発汗がやまない。だらだら垂れて、気持ちが悪い。一々不快にさせてくる。
「壊れる?そんなことはない」
苦し紛れにそんな強がりを見せる。
「ははは」とどこが可笑しいのか人形のような笑い方をした。
「君が壊れるなんてことはないだろう?だって完璧にそう作用されてきたのだから」
やろうとことしていた全てを見透かされているようだった。
今からでも、電話するなんて言う事実を変えてしまいたいのだ。
「なんだい。言われたから考えてしまったのかい?それとも、すでに作用してしまったのかい?単純明快でありがたいものだ」
貼り付けの口角ひつつも動かさない笑顔で答えた。
初対面だと言うのに、このプライベートにずけずけと踏み込んでくるその人は恐ろしかった。
「そうそう。それはそれで面白いよね。サービスカットは必要だ」
「サービス?サービスじゃない」
「君はサービスにはならないさ。私たちに取って見ればそれはサービスになる。神に書くことが増えるだけだ」
ケラケラと笑う。
癪に障る。
「それも供給過多だと飽いてしまうことよ」
「じゃあ。やめろって言うんですか?」
やめる選択肢はない。やめたら、僕の感情はどこへと収まればいい。
この数十年間も、どうしようもなかったこの感情を。
「そういうことじゃない」
「じゃあ。どういうことなんですか?」
「君のためのゲームだけれど、でも結局君のためじゃないから」
「だから、ほどほどにね。対象が満足できなくなってしまったら、君は責任を負わなくてはならないからさ」
「責任ですか」
責任は重く、圧し掛かるものだ。
軽くなったりはしない。
「そりゃあ……。ねえ」
その人は虚空な目をして、何も言わなかった。
それが現実化の如く、それが当たり前かの如く。前までそうは思っていた。思っていたけれど、もう違う。
「まあ。まあ。君は多分そんなことはしないだろう。こんな話をしているのだって一時的なはずだ。君は眠りに就けば、どうせこんな事は忘れている」
そう言って不気味な人は僕を抱擁した。
ぎゅっと和らいでいるような、ちくりと刺されたような。そんな感覚だった。
優しく包容されているなんて生優しい表現をしたくない。だって、こんな気分の悪い癪に触る言葉に耳を貸している現実はイライラする。まるで拐かされているようだ。
「それもそうですね」
何だか、僕は気持ちのいいくらい大きく頷いた。
そうしなければ、ならないと知っているから。
「気持ちの整理は付いたのかい?じゃあ。するべきことも終わったから、ここから去るだけさ。私だって、やるべきこともあるからね」とその不気味な人はこの場から雲散霧消した。
僕は呆然と何もない荒野に放り出されてしまったみたいだった。
あとは彷徨とするしかないだだだっ広い荒野に。
考えていたことが滅茶苦茶にされた気分だ。さっきまでの可逆心が全て無くなって、いいや。それは駄目だった。あってはならないことだった。
僕は戒めがてら、唇を噛み切った。
そして、噛み締めるように僕は携帯電話を取り出した。
あの時のものを感じたくて。別の誰でもいいから。
「ねえ、海桐花ちゃん。今からいい?」
言われたから、やめるなんて言わない。覚悟は既に出来ている。




