また一年後ね
半年が経って、首都に行く日が来た。
首都での選考に行く時と同じように、家族だけに見送ってもらおうと思ったけど、街全体で送り出してもらうことになってしまった。
その日の朝、普通に朝食を取った後、フィンの前に立った。
フィンを出発式の会場に連れていかず、家で別れの挨拶をすることにした。
いつもよりもずっと長い時間、フィンの頭を撫でた。
「フィン、元気でね……」
フィンは結構歳を取った。この半年で急に体力が衰えている。
考えたくないけど、もしものことも考えないといけなくなっていた。
「本当に元気でね」
泣きそうになりながらフィンの頭を撫でた。フィンは、じっと撫でさせてくれていた。
僕は手を離した。
フィンは僕の足を前肢で突っついた。
「フィン……」
僕はもう一度、フィンの頭を撫でた。涙を落としながら、丁寧に何度も頭を撫でた。
「そろそろいいか?」
お父さんが僕に声をかけた。
僕は一度大きく息を吸った。
「いいよ!」
振り返って答えて、またフィンを見て、フィンの頭に手を置いた。
「元気でね……。また一年後ね」
そう言うと、僕は家を出た。
市役所前の広場に行くと、結構な人が待っていた。市役所側半分は式典用に開けてくれているけど、広場の半分は多くの人がいた。それどころか、通りにまで溢れている。
式典用に区画されているところには、すでに市長さんや街の名士が座って待っていた。
僕は通りから式典会場に入った。できるだけ姿勢を崩さずに、名士たちの前に向かって歩いた。
「あれ、あの子、確か……」
「違うのかねぇ……」
といった声が聞こえてくる。半年間、僕の家とルカの家を往復していたから、顔を知ってる人もいるんだろうなと思った。
でも、そのときの服装は、同年代が着そうなシャツとズボンだった。今日は聖女と同じ服装になっている。顔をしっかり覚えてないと意外と分からないのだ。
皆の前に立つと、僕はおしとやかにお辞儀をした。
式典の係員が手で合図を出した。僕は名士たちよりも奥にある席に座った。
市長が挨拶を始めた。いわく「ノエル君は大変素晴らしい素質を持っている」「私は以前から注目していた」云々。
お父さんや家族は僕よりもさらに後ろで、椅子に座ったまま動かない。
フィンもいない、ルカもいない。こんな式典、正直なところ、出たくもない。
そのうち市長の話が終わり、僕は促されて、馬車に乗った。その馬車には屋根があり、木の部分は艶が出るほど丁寧に磨かれていた。
「なかなか帰ってこれなくなるよね……」
僕は聞こえないように気を付けながら呟いた。
馬車が動き出した。外から歓声が聞こえた。激励の言葉が飛んでくる。それは嬉しいけれども、僕には足りないと感じていた。
* * *
首都の聖女寮に着くなり、教養の筆記試験が始まった。この半年間でルカのお父さんの講義をちゃんと聞いていたかを確認するためだ。
僕は、しっかり講義を聞いていた。ただ、聖女になるためというより、ルカのお父さんに恥をかかせたくなかったからだった。
試験後に担当神官は満足そうな表情を見せた。
「合格です」
修行は次の日から始まった。
体力が大事なので、毎日、寮の外壁沿いに何周か走らされた。
それが終わると自室の掃除をした。
朝食後には、所作の訓練が待っていた。手の位置が寸単位で指定されたり、古楽の音に全くの狂い無く身体を動かすよう言われたり、かなり厳しかった。
午後は、絵画などの芸ごとの練習があった。聖女らしい落ち着いた趣味を持つようにとのことだった。
僕にとって大変だったのが、お歌だった。リズムは所作の訓練でもそんなに苦労しなかったけど、音程が厳しかった。
高い声がなかなか出ない。先生も理想の聖女の声で歌えるように骨を折ってくださったけど、最後は諦めた。僕はもっと早くから諦めていた。
ただ、頑張った甲斐があって、男子としては高い声も出るようになった。
そして、最も厳しかったのが祈りの訓練だった。
不定期に行われ、朝から夕まで部屋に籠って祈りを捧げたり、一晩中祈ったりといったことを命じられた。これはかなり体力を消耗する。
でも聖女の本分は国家のために祈りを捧げることだ。どのような状況にあっても祈れるように訓練するのは当然のことだと思う。
そして一日が終わると僕はクタクタになる。お布団に入ったらすぐに眠りに落ちた。
こういう毎日では、一年などあっという間だ。年齢も十七歳になっていた。
聖女の修行を終えて、翌月から本当の聖女になることが決まった。
* * *
聖女になる者には、その直前に一時帰郷するのが慣例となっている。
私も慣例に則って故郷の街に帰った。
家は変わってなかった。以前と同じようにドアを開けた。
「ただいま帰りました」
私は普通の声で言ったつもりが、母には聞き取れなかったようだ。
「お母さま……」
私がもう一度言った。声に気付いて私の方を見て、母はとても驚いていた。
「あら!帰ったのね!」
そして、とても嬉しそうに私を抱き締めてくれた。
「おかえり!」
母が言った。
「お母様と会うのは一年ぶりですね。息災でしたか?私は元気です」
「随分と言葉遣いが……変わったのね……」
「ええ。随分と稽古しました」
「なんだかノエルと話してる感じがしないわね」
母と私でクスクスと笑った。
私はふといつもと違うことに気付いた。
フィンがいなかった。
いつも私が帰ると、フィンは真っ先に、でもゆっくりと、私に近づいてきて、控えめに撫でるよう求めてきていた。
「フィンはどこに?」
母の表情が急に曇った。
一年前に漠然と意識していた。しかし、いざそれに向き合うには勇気が必要だった。
私は一年前に、一年後に会おうと言った。そう言うとその通りになると思い込んでいた。
でも違ったのだと気付いた。
母は明言すべきか逡巡していた。私は落ち着いてゆっくりと口を開いた。
「私をフィンの居場所に……連れて行ってください……」
声がしっかり出なかった。振り絞るように言った。
母は裏庭に目を遣った。
私はフィンの元に向かって歩いた。裏庭には、木で造られた簡単な墓標が立っていた。ここにフィンは眠っている。
「先月亡くなったの。静かに眠るように逝けたよ……」
母が私の後ろで呟くように言った。
私は膝をつき、手をついた。涙が出始めたら止まらなくなった。嗚咽が出たら止まらなくなった。
楽しい思い出しかない。小さい頃は駆けっこもしてた。撫でて欲しいと控えめに求めてくる仕草を思い出す。さらに心がグチャグチャになった。
聖女になる切っ掛けがフィンを長生きさせたいと思ったことだった。
僕のフィンは……もういない!
母も誰も僕に声をかけなかった。そっとしてくれてた。何時間も裏庭で泣き続けた。
涙が枯れた頃に立ち上がった。振り返ると、父、母、兄、祖母が並んで私を見守っていてくれた。
もう涙は無くなったと思ってたのに、また涙が溢れてきた。私は家族に寄りかかった。皆、私を支えてくれた。




