EP 8
霞が関の農業知識と、神様の通販便
「うーん……やっぱり、ここの土はカチカチで掘りにくいね。わたしの脚力で蹴り飛ばせば一発で耕せるけど、それだと畑ごと吹き飛んじゃうし……」
朝の光が差し込むポポロ村の畑で、キャルルが泥だらけになりながら鍬に体重をかけていた。
ウサギの耳をしょんぼりと垂らし、額に汗を浮かべている。村長の彼女自ら、率先して老人たちの農作業を手伝っているのだ。その優しさは立派だが、政策担当者としては、この非効率な現状を見過ごすわけにはいかない。
ニャングルの商才により、太陽芋などの特産品に『付加価値』をつけて売るルートは開拓できた。リバロンのおかげで、村の労働力や資源の管理も完璧になりつつある。
だが、根本的な問題が残っていた。
それは「生産力の低さ」だ。
この村の土壌は長年の放置により固く痩せ細り、雑草が養分を奪っている。そして何より、村人が使っている農具が圧倒的に貧弱だった。鉄の質が悪く、すぐに刃がこぼれたり曲がったりしてしまうのだ。
これでは、どんなに高く売れる仕組みがあっても、出荷する作物の絶対数が足りなくなってしまう。
「キャルル、少し休憩しましょう。冷たいお茶を淹れたわ」
「あ、カグヤ! ありがとう〜。もう手が豆だらけだよ」
私が差し出した陽薬茶の入った水筒を、キャルルが嬉しそうに両手で受け取る。
ゴクゴクと喉を鳴らして飲む彼女にハンカチを渡しつつ、私は手元のエンジェルすまーとふぉんを操作した。
数日間の村の改善で、リバロンやニャングルの才能を引き出したことにより、私のアカウントには『大ポイント』が豊富に貯まっていた。
これを使えば、この村の農業を一気に近代化できる。
私は迷わず、日本のホームセンターで売られている『農業用マルチシート(黒)』のロールと、『特殊合金製の鍬の刃』、そして『土壌改良用バクテリア剤』を注文した。
ぽんっ、という気の抜けた音と共に、畑の端に大きな段ボール箱と、黒いビニールのロールが数本現れる。
「カグヤ、これ何? 真っ黒でペラペラの……紙? これで畑が良くなるの?」
キャルルが不思議そうにマルチシートをツンツンと突いた。
「これは『マルチシート』といって、畑の畝に被せるためのものよ。太陽の熱を吸収して土を温めてくれるし、土の中の水分が蒸発するのを防いでくれるの。おまけに、光を遮るから雑草も生えなくなるわ」
「ええっ!? これ一枚被せるだけで、草むしりの手間がなくなるの!?」
キャルルが目を丸くして驚く。
「ええ。草むしりに使っていた時間を、作物の世話や別の作業に回せるわ。それが『効率化』よ」
私が微笑むと、キャルルは「カグヤの知識って、本当に魔法みたいだね!」とウサギの耳をピンと立てて喜んだ。
だが、問題はもう一つの荷物だ。
段ボールに入っていた『特殊合金製の鍬の刃』。現代日本の冶金技術で作られたそれは、軽くて錆びにくく、恐ろしく頑丈だ。しかし、規格が地球の人間用であるため、アナスタシア世界――特に、平均的な身体能力が地球人を遥かに凌駕するこの世界の人間がフルパワーで振るうには、軽すぎたり柄とのバランスが悪かったりする。
現代の道具をそのまま持ち込むだけでは駄目なのだ。この土地の文脈に合わせる『土着化』が必要になる。
「これを頼めるのは、彼しかいないわね」
私は重い段ボールを抱え(キャルルがすぐに「わたしが持つよ!」と軽々と担いでくれた)、村の広場にある鍛冶場へと向かった。
*
「――なるほどな。こいつは恐ろしく上等な鉄だ。俺の全力の炎でも、簡単には溶けねぇくらいの純度と強度を持ってる」
鍛冶場に持ち込んだ合金の刃を、ヒエンが真剣な眼差しで見つめていた。
彼は刃の表面を指でなぞり、コンコンと叩いて音を確かめる。その横顔は、完全にプロの職人のそれだった。
「この刃を、村の人たちが使いやすいように加工できるかしら? 異世界の……ええと、私の故郷の規格だから、そのままではこの村の木材の柄と合わなくて」
「任せな。アンタが持ってくるもんはいつも規格外で面白いが……道具ってのは、使う人間の手に馴染んでこそ意味があるからな」
ヒエンはニッと笑うと、前掛けを締め直し、炉の前に立った。
「少し離れてな。火の粉が飛ぶぜ」
彼がハンマーを握り、炉に息を吹き込む。
その瞬間、炉の中の炎が通常の赤から、凄まじい熱量を伴う『紅蓮』へと色を変えた。
ただの炭火ではない。彼の指先から微かに漏れ出る、魔力――不死鳥の炎の力が加わっているのだ。
ヒエンは高温の炎で合金の接合部のみを熱し、絶妙な力加減でハンマーを振るっていく。カーン、カーンと、澄んだ鉄の音が青空に響き渡る。
その背中を見つめながら、私は密かに胸を高鳴らせていた。
朝倉月人くんに似た甘いマスク。けれど、汗を流して鉄と向き合うその姿は、アイドルにはない無骨で確かな生活の熱に満ちている。
(いけない。また見惚れてしまったわ)
私は自分を戒めるように、小さく頭を振った。霞が関の政務官補佐が、職務中に個人的な感情に流されるなんて三流のすることだ。
「よし、できたぜ」
ものの三十分ほどで、ヒエンは新しい鍬を打ち上げた。
現代の特殊合金の刃が、ポポロ村周辺で採れる重く頑丈な『鉄樹』の柄に、狂いなくしっかりと固定されている。刃の角度も、腰の曲がった老人たちが負担なく土を掘れるように、絶妙に調整されていた。
「持ってみな、カグヤ」
手渡された鍬は、見た目の重厚さに反して、驚くほど手に馴染んだ。
「すごい……。重心が完璧に計算されていて、振るう時に少しも無駄な力がいらないわ」
「現代の最高の素材と、俺の鍛冶の腕。そして、アンタの『村の奴らを楽にさせてやりたい』って想いが詰まった、特注品だ」
ヒエンが煤で汚れた手で、私の頭をポンと軽く撫でた。
その温かい手の感触に、心臓がトクンと大きく跳ねる。
「……ありがとう、ヒエン。これで、村の農業は劇的に変わるわ」
「アンタの知識と俺の腕があれば、どんな荒れ地でも耕せるさ」
彼は白い歯を見せて、屈託なく笑った。
*
その日の午後。
改良された鍬と、マルチシート、そして土壌改良剤を投入された畑では、ちょっとした革命が起きていた。
「おおっ!? なんじゃこりゃあ! 岩みたいに固かった土が、豆腐みたいにサクサク掘れるぞい!」
「腰が全然痛くならん! 魔法の鍬じゃ!」
村の老人たちが、驚きの声を上げながら次々と畝を作っていく。
キャルルが黒いマルチシートを軽快なステップで敷いて回り、その上から村人たちが太陽芋の苗を植え付けていく。
昨日までの倍以上の面積が、たった半日で完璧な畑へと生まれ変わってしまった。
「これで、来月の収穫量は一気に跳ね上がるわね」
私は畑の脇からその光景を眺め、静かに頷いた。
ニャングルが計算した特産品の利益計画は、この生産力の下支えがあって初めて成立する。
点と点だった才能が、政策と道具の力で繋がり、強固な線になりつつあった。
夜。
縁側に座り、自作の備前焼のぐい呑みで冷酒を傾ける。
アバロン魔皇国から流れてきたという、フルーティーな果実酒だ。ニャングルが「村長とカグヤはんへの特別配当や!」と得意げに持ってきたものだった。
つまみには、ヒエンが作ってくれた『トライバード(鶏肉に似た魔獣)の照り焼き』がある。甘辛いタレの香ばしさが、冷たい酒とたまらなく合う。
「今日も、一人ひとりが自分の場所で輝いていたわね」
私は月を見上げながら、ポツリと呟いた。
自分の命を削らなくても、村の役に立てることに喜ぶキャルル。
完璧な帳簿を作り上げ、村の行政を支えることに誇りを見出したリバロン。
商才を爆発させ、目をギラギラさせて利益を計算するニャングル。
そして、私の知識を現実に形にしてくれる、温かく頼もしいヒエン。
月は迷わない。
暗闇の中で、ただ静かに皆の足元を照らし続けるだけだ。
霞が関では実現できなかった理想が、この辺境の村で、少しずつ、けれど確実に根を張っている。
「……ここが、私の本当の居場所なんだわ」
ヒエンの作ってくれた照り焼きを口に運び、私は満たされた思いで月見酒を堪能した。
穏やかで、静かな達成感に包まれた夜。
しかし、豊かさを得た村には、必ずそれを狙う『悪意』が引き寄せられることを、霞が関で酸いも甘いも噛み分けてきた私は忘れてはいなかった。
明日からは、守りの要である『防衛と交渉』のフェーズに入る。私は残った酒を飲み干し、静かに目を閉じた。
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