EP 6
人狼の執事は、完璧なマネジメントを求めている
「非効率と情けに塗れたこの村に、マネジメントの概念を理解する者がいるとは。……少しは、刺激的な主になり得るでしょうか」
月明かりの下、診療所の入り口に現れたその男は、絵に描いたような『完璧な執事』の出立ちだった。
仕立ての良い漆黒の燕尾服に、一点の染みもない白手袋。片眼鏡の奥の瞳は冷徹な知性を湛え、頭にはピンと立った銀色の『狼の耳』が生えている。
「お初にお目にかかります。私はリバロン。しがない人狼族の執事です」
男は優雅に一礼すると、懐から一枚の最高級和紙を取り出した。名刺だ。
シュッ!
リバロンが手首を軽くスナップさせた瞬間、名刺が時速三百キロに迫る速度で宙を切り裂き、私の顔の横を掠めて、背後の太い木の幹に深々と突き刺さった。
「……っ!?」
「ちょっと、カグヤに何すんのさ!」
広場の奥から飛び出してきたキャルルが、即座にダブルトンファーを構えて私の前に立ち塞がる。
しかし、リバロンは涼しい顔で片眼鏡を押し上げた。
「ご挨拶ですよ、うさぎの村長殿。執事たる者、野蛮な武器など持ち歩きません。私の闘気を流し込んだ名刺は、鋼鉄の装甲すら豆腐のように切り裂きますがね」
「なんだとぉ……表出ろ、蹴り飛ばしてやる!」
「ストップ、キャルル。手を出さないで」
私は鼻息を荒くするキャルルの肩を押し留め、木の幹に突き刺さった名刺を引き抜いた。
そこには美しい印字で『ルナミス帝国 執事検定一級取得 リバロン』と書かれている。
「見事な闘気のコントロールね。それで、帝国の一級執事様が、こんな寂れた緩衝地帯に何の用かしら?」
「前の主人が、欲に溺れたただの豚でしてね。少々『破滅』に追いやってから暇を持て余していたところ、この村の奇妙な噂を聞きつけたのです。自らの血を吐きながら民を救う狂気の村長と、見たこともない物資を操る謎の女がいる、と」
リバロンは私とキャルルを値踏みするように見つめた。
「慈愛や優しさは結構。ですが、法と管理なき慈愛はただの自己満足であり、いずれ組織を崩壊させます。あなた方に、真の国家を統べる『リヴァイアサン(怪物)』としての器があるか、見極めに来たのですよ」
彼はそう言い残し、その夜は闇の中へと消えていった。
*
翌朝。リバロンの言葉の意味を、私たちは嫌というほど思い知らされることになった。
「非効率極まりない! なぜ収穫した芋の数を帳簿につけていないのですか! 住民の正確な戸籍は? 年齢別の労働力分布データはどこにあります!?」
「ひぃぃっ……帳簿なんて、村には紙も墨もないんじゃ……」
「言い訳は無用。労働なき者に分配はありません。今日から私がこの村の規律を徹底的に管理します」
広場に出ると、リバロンが怯える村の老人たちを相手に、信賞必罰の冷徹なルールを敷こうとしていた。
彼の言うことは、組織論としては完全に正しい。資源が枯渇しているこの村において、どんぶり勘定の消費は死を意味する。
しかし、長年ただ寄り添って生きてきただけの村人たちに、いきなり『韓非子』のような厳格な法治主義を押し付けても、心が折れるだけだ。
「カグヤ、あいつやっぱり蹴り飛ばしていい!? おじいちゃんたちが可哀想だよ!」
キャルルがトンファーを握りしめて涙目で訴えてくる。
「駄目よ。彼の言うことは、この村を『国家』として自立させるために絶対に必要なことなの。ただ……『やり方』と『道具』が間違っているだけ」
私はため息をつき、リバロンの元へと歩み寄った。
「リバロンさん。あなたのマネジメント理論は完璧よ。でも、中世の農村に、近代官僚のシステムを『丸腰』で要求するのは酷というものだわ」
「……丸腰、とは?」
私はポケットから『エンジェルすまーとふぉん』を取り出し、昨日のキャルルの治癒(才能の開花)で得た『特大ポイント』の一部を消費した。
ぽんっ、と私の足元に中型の段ボール箱が届く。
「組織を管理するには、まず情報の可視化が必要です。執事検定一級のあなたなら、この道具の価値がわかるはずよ」
箱を開け、中身をリバロンの前に提示する。
それは、現代日本の技術の結晶とも言える『最高級の万年筆』と『インクボトル』、インデックス付きの『システムバインダー』、そして『大量の付箋』と『方眼ノート』だった。
「これは……?」
「滑らかに文字が書ける筆記具と、情報を整理するための帳簿よ。これを使って、村の住民台帳と、資源の在庫管理表を作成してちょうだい。……紙とインクの心配は、もうしなくていいわ」
リバロンは恐る恐る万年筆を手に取り、方眼ノートの隅に試し書きをした。
スラスラと、引っかかりの一切ない完璧なインクのフロー。その瞬間、彼の片眼鏡の奥の瞳が、驚愕に見開かれた。
「な、なんという書き心地……! 紙の繊維一つ引っかからない。これなら、帝国官僚の三倍の速度で事務処理が終わる……!」
リバロンの尻尾が、人狼の矜持を忘れてパタパタと激しく振られている。
優秀な実務家ほど、優れた文房具の価値を本能で理解するのだ。
「リバロン」
私は彼を真っ直ぐに見据え、霞が関で培った政策担当者としての威厳を込めて告げた。
「執事は『一人の主人』に仕えるもの。でも、あなたのその卓越した管理能力は、一個人に独占させるにはあまりに惜しい。だから、私とキャルルに仕えるのではなく、この『ポポロ村というシステム』に仕えなさい」
「システムに、ですか」
「ええ。キャルルはこの村の『心臓(慈愛)』よ。私は村を設計する『頭脳』。そしてあなたには、村の血液を循環させる『法』と『管理』を担う『宰相』になってほしいの」
冷徹な法だけでは人はついてこない。慈愛だけでも組織は回らない。
けれど、私とキャルルの上に、リバロンの完璧なマネジメントが乗れば、この村は誰にも壊されない最強の共同体になる。
リバロンは万年筆を握りしめたまま、数秒間、私とキャルルを交互に見つめた。
やがて、彼は深々と、先ほどよりもずっと敬意に満ちた礼をした。
「……素晴らしい。あなたには、私が求めていた『徳』と『知性』がある。そして村長殿には、規格外の力と愛がある。よろしい。このリバロン、執事の肩書きを捨て、ポポロ村の宰相として、完璧な台帳を作り上げてご覧に入れましょう」
彼は冷徹なモンスターなどではない。ただ、自分の能力を正しく発揮できる「働く場所」と「道具」を与えられていなかっただけの、不器用な実務家なのだ。
その日の午後から、リバロンは万年筆とバインダーを駆使し、村人たちに威圧的ではない穏やかなヒアリングを開始した。あっという間に村の資源と労働力が可視化されていく。
私のスマホには、またしても『特大ポイント』獲得の通知が静かに灯っていた。
*
夜。
村の広場に設けた小さな作業机で、ランプの灯りを頼りにリバロンが恍惚とした表情で帳簿をつけているのを遠目に眺めながら、私は縁側で息を吐いた。
「すげぇ奴を手懐けたな、カグヤ。あんな堅物が、嬉々としてペンを走らせてるぜ」
隣に、ふわりと良い匂いと共にヒエンが座った。
彼の手には、太陽芋と呼ばれる、この辺りで採れるサツマイモに似た野菜を、炉の余熱でじっくりと焼き上げた石焼き芋が握られている。
「手懐けたわけじゃないわ。彼には最初から、その才能があっただけ」
私はヒエンから半分に割った熱々の焼き芋を受け取り、フーフーと息を吹きかけながら頬張った。
ホクホクとした自然な甘さが、頭を使ったあとの疲れた脳に染み渡っていく。
「美味しい。ヒエンの火加減は、本当に絶妙ね」
「だろ? 美味いもん食って、しっかり休めよ。アンタ、自分のことになると少し無理する癖があるからな」
ヒエンの何気ない言葉に、私は少しだけ目を伏せた。
推しの朝倉月人くんに似た端正な横顔。けれど、その瞳の奥にある優しさは、アイドルとして作られたものではなく、彼自身が持つ温かな本質だ。
「……ありがとう、ヒエン」
私は焼き芋を味わいながら、自作のぐい呑みに注いだ陽薬茶を一口飲んだ。
夜空には、美しい月が輝いている。
村の傷を癒す『心臓』、道具を打ち直す『技術』、そして村を管理する『法』。
村の基盤は、驚くべき速度で整いつつある。
(でも、国として自立するには、まだ決定的なものが足りないわね)
そう、資金だ。
外の世界から必要な資材を買い、村を豊かにするための『経済の力』。
私の善行ポイントによる通販は強力だが、それに依存しすぎるのは危険だ。村自身が外貨を稼ぐシステムを作らなければならない。
――チャリン。
ふと、夜の風に乗って、硬貨の擦れ合うような音が耳に届いた。
振り返ると、月明かりの道を、大きな算盤を背負った影が、長い尻尾を揺らしながら歩いてくるのが見えた。
「カグヤ、あいつ……」
「ええ。どうやら、最後のピースが向こうからやって来てくれたみたいね」
私はぐい呑みをそっと置き、新たな迷える天才を迎え入れるべく、静かに立ち上がった。
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