EP 4
流星の蹴りと、推しにそっくりな鍛冶師
夜明け前。まだ空に満月が白く残る頃だった。
ずしん、ずしんと、重い地鳴りがポポロ村の静寂を破った。
「……何?」
私の膝枕で眠っていたキャルルが、ピクリと兎耳を動かして跳ね起きた。
昨夜の衰弱しきった様子が嘘のように、彼女の瞳には強い光が宿っている。月兎族は満月の光を浴びることで完全回復し、身体能力が跳ね上がる『ハイ状態』になるという話は本当だったらしい。
「カグヤ、危ないから下がってて! はぐれのロックバイソンが、こっちに向かってきてる!」
キャルルが村の入り口を指差した。
森の木々をへし折りながら姿を現したのは、岩のような角を持つ巨大な牛の魔獣――ロックバイソンだった。目を血走らせ、鼻息を荒くして、真っ直ぐにこちらへ突進してくる。
霞が関では決して遭遇しない、規格外の暴力。普通の人間なら腰を抜かす場面だが、私は冷静だった。
なぜなら、私の前には小柄な村長が立ちはだかっていたからだ。
「昨日はお茶、ごちそうさま。すっごく美味しかった」
キャルルは私にウインクを投げると、腰を深く落としてクラウチングスタートの姿勢をとった。
「だから今度は、私がカグヤを守る番!」
ドンッ!!
爆発音のような踏み込みと共に、キャルルの姿が掻き消えた。
土煙が舞い上がり、次の瞬間、彼女は地上二十メートルの空中に跳び上がっていた。満月を背負い、空中で鋭く一回転する。
「月影流――流星脚!!」
マッハを超える速度で放たれた飛び蹴りが、ロックバイソンの巨大な岩の角に激突した。
ドゴォォォォン!!
凄まじい衝撃波が広がり、数トンはあるはずの巨獣が、文字通り紙屑のように宙を舞って吹き飛んでいく。魔獣はそのまま森の奥深くへ墜落し、二度と動かなくなった。
「ふふんっ、どんなもんよ!」
軽やかに着地したキャルルが、得意げに胸を張る。
私は風で乱れた髪を押さえながら、思わずため息をついた。
「……見事な蹴りね。でも、周囲の家屋まで吹き飛ばさないか少しヒヤヒヤしたわ」
「あはは、ごめん! 満月だと、つい力加減が難しくてさ。でも、カグヤに怪我がなくてよかった!」
キャルルは犬のように(彼女は兎だが)人懐っこい笑顔を浮かべ、私の腕にぎゅっと抱きついてきた。
昨日までの、悲壮感を漂わせて無理をしていた姿はない。
私が彼女の心を解きほぐしたことで、彼女本来の天真爛漫な明るさが戻ってきたようだ。
「私、決めたよ。カグヤは戦えないみたいだから、私がカグヤの盾になる。その代わり、カグヤは私にいろんなことを教えて? 誰も犠牲にならない村の作り方、一緒に考えてほしいな」
「ええ、もちろんよ。よろしくね、キャルル」
私は彼女の頭を優しく撫でた。
最強の武力を持つ天真爛漫な彼女と、戦えない代わりに知識と通販スキルを持つ私。
互いの欠けた部分を補い合う、完璧なバディが成立した瞬間だった。
*
夜が明け、太陽が昇ると、私はキャルルの案内で村の視察を始めた。
明るい光の下で見るポポロ村は、やはり深刻な状態だった。畑の土は痩せ、水路は泥で詰まっている。
何より致命的なのは「道具」だ。村人たちが手にしている鍬や鋤は、刃がこぼれ、柄が腐りかけている。これでは、どんなに良い種を取り寄せても農作業など不可能だ。
「農具の修繕はしていないの?」
「うーん、新しいものを買うお金はないし。でも、最近フラッと村にやってきた鍛冶師のお兄さんが、ボロボロの道具を無料で打ち直してくれてるんだ。広場の隅にいるよ」
キャルルに手を引かれて広場へ向かうと、カン、カン、とリズミカルな金属音が響いてきた。
粗末な野外の炉の前で、一人の青年が汗を流しながらハンマーを振るっている。
煤で顔を汚し、前掛けを締めたその姿は、いかにも職人といった風情だ。
「おーい、ヒエン! また村の道具を直してくれてるの?」
キャルルが声をかけると、青年はハンマーを止め、額の汗を拭いながらこちらを振り返った。
「おう、村長か。柄の挿げ替えくらいならすぐ終わるさ。道具ってのは、手入れ次第でまだまだ生かせるからな」
その声を聞き、青年の顔を見た瞬間。
私の心臓が、トクン、と大きく跳ねた。
「……え?」
思わず、間抜けな声が漏れてしまう。
端正な顔立ち。力強くもどこか優しさを湛えた瞳。
煤で汚れてはいるが、その顔の造作は、私が前世で何度もライブ映像を繰り返し見て、心の支えにしていたアイドル――『朝倉月人』くんに瓜二つだったのだ。
「ん? 見ない顔だな。アンタ、旅の者か?」
青年――ヒエンが、不思議そうに私を覗き込む。
至近距離で見つめられ、私は慌てて平静を装った。霞が関で培ったポーカーフェイスが、こんなところで役に立つとは。
「は、はじめまして。日野輝夜と申します。昨日から、この村でお世話になっていて」
「俺はヒエン。しがない流離いの鍛冶師さ。よろしくな、カグヤ」
ヒエンは人懐っこく笑い、差し出された厚く大きな手で、私の手をしっかりと握った。
推しにそっくりの顔で名前を呼ばれ、少しだけ頭がクラクラする。
けれど、彼の目はアイドルのそれとは違い、地道な労働を知る職人の真っ直ぐな光を放っていた。
「見事な腕前ね。こんなにすり減った刃を、よくここまで修繕できるなんて」
私が直された鍬を見て感心すると、ヒエンは少し照れくさそうに頭をかいた。
「親父の受け売りだけどな。俺の愛読書に『ドン・キホーテ』ってのがあってさ。泥臭く現場を歩いて、自分の目で見て直していくのが俺の性分なんだ」
(ドン・キホーテ……? 地球の文学を知っているの?)
微かな疑問を抱いたが、彼はすぐに炉の火を落とし始めた。
「よし、今日の仕事はここまでだ。カグヤ、アンタも腹減ってないか? 歓迎のしるしに、俺が飯を振る舞ってやるよ。少し待ってな」
そう言うと、ヒエンは手際よく調理器具を取り出し始めた。
夕暮れ時。
広場に漂ってきたのは、異世界には似つかわしくない、食欲を強烈に刺激する深い出汁の香りだった。
「お待たせ。ロックバイソンの肉と、その辺で採れた野草のスープだ。粗末なもんで悪いな」
木のお椀を渡され、私は一口飲んで――思わず目を見開いた。
「……美味しい」
それは、ただの塩味のスープではなかった。
獣肉特有の臭みはハーブで完璧に消され、骨から取った濃厚な旨味が、野草の仄かな苦味と絶妙に調和している。限られた粗末な食材から、これほど深く繊細な味を引き出すなんて、魔法の領域だ。
「すっごく美味しい! ヒエンの料理、毎日でも食べたい!」
キャルルがウサギの耳をピンと立てて大喜びしている。
「ははっ、だろ? 『美味礼賛』っていう本に書いてあるんだ。どんなものを食べているかで、その人がどんな人間か分かるってな。腹の底から温まる飯を作れば、村の奴らの心も少しは上向くと思ってさ」
ヒエンの言葉に、私は胸を打たれた。
彼はただの鍛冶師ではない。彼もまた、私と同じように「食」と「道具」を通じて、この寂れた村の人々の心を下支えしようとしているのだ。
顔が推しに似ているから、という不純な動機はもう吹き飛んでいた。彼のその真っ直ぐな熱意と、何よりこの絶品の料理スキルは、村の再生に絶対に必要な才能だ。
夜。
キャルルが満腹になって寝静まった後、私は広場の片隅で、ヒエンの作ってくれたスープの残りを自作の備前焼のぐい呑みに少しだけ注ぎ、夜空を見上げていた。
「こんな小さな器で飲むのも、風情があっていいな」
隣に腰を下ろしたヒエンが、彼自身の木椀を揺らしながら夜空を見上げる。
月人くんにそっくりな横顔が、月の光に照らされて美しく浮かび上がっていた。
「……ねえ、ヒエン。あなたはこの村を、これからどうしたい?」
「俺か? 俺はただ、皆が美味い飯を食って、よく眠れるような普通の暮らしを取り戻してやりたいだけさ。そのために、俺の火と鉄が役に立つならそれでいい」
私はぐい呑みの温かいスープを喉に流し込み、静かに微笑んだ。
「奇遇ね。私の理想も同じよ」
彼の熱い想いと、私の冷徹な政策知識。そして、善行ポイントによる現代の物資が組み合わされば、この村は必ず生まれ変わる。
推しにそっくりな青年が隣にいて、彼の手作りの絶品料理で胃袋を満たされながら、月を眺める。
霞が関での激務が嘘のような、静かで、温かい夜。
「(……こんな最高の夜があるなんて)」
私は胸の奥底からじんわりと広がる温もりを感じながら、明日は通販で『最高の野菜の種』を取り寄せようと、静かに決意を固めた。
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