EP 2
善行ポイントで届くのは、現代日本の特効薬
「善い行いでポイントが貯まり、現代の物が取り寄せられる……? 霞が関の予算申請より、ずっとシンプルで優しいシステムね」
行き倒れていた老人の震えが少し和らいだのを確認し、私は手元の『エンジェルすまーとふぉん』の画面を見つめた。
老人は深刻な栄養失調と脱水症状、それに軽い感染症(風邪)を併発している。魔法のポーションなどというファンタジーな代物がこの世界にあるのかは知らないが、私には確かな現代の知識と、この端末がある。
画面の『ショッピング』のアイコンをタップすると、見慣れたネット通販のようなUIが展開された。
検索窓に手早く単語を打ち込む。今の老人のように嚥下機能が落ちている状態の者に、急に固形物やただの水を大量に飲ませるのは危険だ。誤嚥や水中毒を引き起こしかねない。
私は、ゼリー状の『経口補水液』と、胃に優しい『レトルトパウチの白がゆ』、そして『市販の総合感冒薬』をカートに入れた。
決済画面に進むと、先ほどの看病で得た「小ポイント」がぴったり消費される計算になった。
「注文、確定」
ボタンを押した直後だった。
ぽんっ、と間の抜けた小さな音がして、何もない虚空から小さな見慣れた段ボール箱がコロンと芝生の上に転がり落ちてきた。
「……本当に、届いた」
異世界というファンタジーな光景の中で、そこだけが切り取られたように生々しい現代の段ボール。
私は手早くガムテープを剥がし、中身を取り出した。
まずは経口補水液のゼリーだ。キャップを開け、老人の頭をそっと膝に乗せて支えながら、口元に近づける。
「少し冷たいですが、ゆっくり、慌てずに吸い込んでくださいね」
老人のひび割れた唇にゼリーを含ませる。こくり、と喉が鳴った。
最初は警戒していた老人も、身体の細胞が水分と電解質を強烈に欲していたのだろう。ゆっくりと、しかし確実にゼリーを飲み下していく。
半分ほど飲ませたところで、老人の呼吸が目に見えて落ち着いてきた。
「つ、冷たくて、甘露のような……あなたは、本当に女神様……」
「ただの通りすがりですよ。さあ、次はこちらを食べましょう。お腹が空いているでしょう?」
私は箱からレトルトの白がゆを取り出した。災害用の備蓄品などでよくある、ヒーター剤が同封されていて水を入れるだけで温かくなるタイプのものだ。
シュウウウと白い蒸気が上がり、数分でお粥が熱々に温まる。封を切ると、ふわりと出汁の優しい香りが夜の空気に漂った。
添えられていたプラスチックのスプーンで、少しずつ老人の口に運ぶ。
温かい食事が胃の腑に落ちた瞬間、老人の土気色だった顔に、ぽっと赤みが差した。人間の身体は正直だ。適切な栄養と熱を与えれば、生命の灯りは確かな輝きを取り戻す。
「あぁ……あぁっ……」
老人は咀嚼しながら、大粒の涙をぼろぼろとこぼした。
「こんな、こんな美味しくて温かい飯は……何年ぶりか……」
「ゆっくりで大丈夫ですよ。急ぐと胃が驚いてしまいますから」
私は老人の背中を優しくさすりながら、食後に風邪薬を飲ませた。
ピロン。
再びスマホが鳴り、『小ポイント獲得』の通知が画面に灯る。命を繋ぐ手助けをしたことで、また新たなポイントがチャージされたのだ。
薬が効き始め、穏やかな表情になった老人に、私は持っていたハンカチを濡らして顔を拭いてあげながら尋ねた。
「ここは、なんという村なのですか?」
「ポポロ村、です……」
老人の口から語られた現状は、想像以上に過酷なものだった。
このポポロ村は、ルナミス帝国、アバロン魔皇国、レオンハート獣人王国という三大国の『緩衝地帯』に位置しているという。
常に小競り合いの煽りを受け、土地は荒れ果てた。働き盛りの若者は兵士として徴用されるか、出稼ぎに出たまま帰ってこない。残されたのは、耕す力もない老人ばかり。
国からの支援もなく、ただ静かに死を待つだけの、忘れ去られた共同体。
「……そう、ですか」
老人の寝息が規則正しくなったのを見届け、私は段ボールを片付けながら一人思考の海に沈んだ。
現代の物資と知識があれば、目の前の命を救うことはできる。通販の力は絶大だ。
けれど、農学部で農業経済を学び、霞が関で政策を練ってきた私の「官僚としての目」は、この奇跡のシステムの危うさを見抜いていた。
ただ物資を配るだけの対症療法(福祉)では、いずれ村は私に依存しきってしまう。私が倒れれば、あるいはポイントが尽きれば、この村は今度こそ共倒れになる。
人を活かし、共同体を再生させるために本当に必要なのは「施し」ではない。「自立」だ。
この枯れ果てた土壌を改良し、現代の種を植え、特産品という「産業」を作る。そして、それを外の世界に売り出す「経済の循環」を構築しなければならない。
私が作るべきは、村人たちが自分たちの足で立ち、自分の手で明日を切り開けるようになるための『政策』だ。
「……やるべきことが、見えてきたわね」
私は夜空の月を見上げた。
過疎の故郷を救えなかった無念。巨大な組織の中で歯車として摩耗した日々。
けれど、ここにはしがらみも、煩わしい根回しも必要ない。私の知識と、この小さなスマホ、そして村の人々の力があれば、きっと誰もが輝ける場所を作れる。
よし、まずは明日の朝、村の土壌調査と水路の確認から――。
そう計画を立て始めた、その時だった。
――ズズズズズズッ!!
突然、足元の地面が微かに、しかし確かに震え始めた。
「……地震?」
いや、違う。震動は一定のリズムを刻みながら、村の外から急速に近づいてくる。
森の木々がざわめき、鳥たちがけたたましく鳴いて夜空へ飛び立った。
目を凝らすと、星明かりに照らされた村へ続く一本道に、凄まじい土煙が巻き上がっているのが見えた。
ドォォォォン!!
空気を切り裂くような轟音。それは、マッハの速度で移動する物体が引き起こす衝撃波だった。
土煙の中心から、ただならぬ気配を持った「何か」が、猛烈なスピードでこのポポロ村へと向かってきている。
私は息を呑み、老人の盾になるように立ち上がって、その影を真っ直ぐに見据えた。
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