第一章 ポポロ村再生計画 〜訳あり天才たちを適材適所で輝かせます〜
過労死した政務官補佐は、星降る辺境で目を覚ます
「皆がそれぞれの場所で輝いて、夜には一緒に月を見て笑い合える。そんな世界を作りたかった。……なのに、私が先に潰れてしまうなんて」
東京、霞が関。
不夜城と呼ばれる合同庁舎から、深夜の官舎へと帰り着いた私は、ベランダの冷たい風に吹かれながら小さく自嘲した。
私の名前は、日野輝夜。二十五歳。
内閣府政策統括官付、内閣政務官補佐官。それが、つい先ほどまで私が背負っていた重すぎる肩書きだ。
故郷である長野の山間部――過疎と高齢化で消滅しかけているあの美しい村を救うため、私は東京大学の農学部で農業経済を学び、国の中枢へと飛び込んだ。
現場の泥臭さと、国のトップダウンの政策。その両方を繋ぐ「コミュニティデザイン」の仕組みを作りたかったからだ。
地方創生特区法案。何日も徹夜を重ね、無数の根回しに奔走し、今日ようやくその法案が通った。
殺風景なベランダには、私が細々と手入れをしているプランターのハーブたちが、夜風に揺れている。
部屋の電気はつけず、微かにお香を焚いた。愛車である古いボルボの中で何度も聴いた、大好きなアイドルの曲を頭の中で反芻する。
『演じてる人間も沢山演じ過ぎていて 何を演じてるか分からない時がある』
『人は自分では輝けない 前に進む事が出来ない』
『だから月は変わらず 人が暗闇に道に迷わないように 優しく人を照らし続ける』
朝倉月人くんの『月は迷わない』。
激務の中で心を壊していく同期たちに、深夜のデスクで温かいカモミールティーを淹れながら、私はいつもこの曲のようでありたいと願っていた。
太陽のようにギラギラと人を焦がして牽引するのではなく、暗闇で迷う人に寄り添い、足元を照らす「月」のようなリーダーに。周囲から『霞が関の月』などと過分な異名で呼ばれるようになったのも、きっと私が自分を押し殺して、誰かのために微笑み続けたからだろう。
趣味の陶芸で自作した備前焼のぐい呑みに、長野の地酒を注ぐ。
雲の切れ間から、美しい満月が顔を出した。
「お疲れ様、私。……これで少しは、皆が輝ける場所に――」
ぐい呑みを月に掲げようとした瞬間だった。
心臓を、鋭い氷の杭で打ち抜かれたような激痛が走った。
視界が明滅し、手から滑り落ちた備前焼が、乾いた音を立てて砕け散る。
あぁ、限界だったのだ。
自分の身体のSOSにさえ気づけないほど、私は摩耗しきっていた。
薄れゆく意識の中で、私は夜空に浮かぶ月を見上げた。
――今度こそ。もし次に生を受けるなら、誰も潰れない、皆が温かく輝ける場所を作りたい。
それが、日野輝夜という人間の、前世の最後の記憶だった。
*
頬を撫でる風には、アスファルトの熱気ではなく、むせ返るような青草と土の匂いが混じっていた。
「……ここは?」
身を起こすと、そこは見知らぬ星空の下だった。
鬱蒼とした森を抜けた先、小高い丘の斜面に私は座り込んでいた。服装は、霞が関で着ていたアースカラーのオフィスカジュアルのままだ。リネンのカーディガンに、歩きやすいパンプス。
体をさすってみるが、心臓の痛みも、慢性的な肩こりも、鉛のように重かった疲労感も、嘘のように消え去っている。
ふと、右手に硬い感触があることに気づいた。
見れば、初心者が車に貼るような「ピンクの若葉マーク」がデカデカとプリントされた、奇妙なスマートフォンが握られている。
画面がひとりでに発光し、無機質なテキストが浮かび上がった。
『起動確認。転生プロセス完了』
「転生……? あなたが喋っているの?」
『当機はエンジェルすまーとふぉん内蔵AI、賢者君(無料版)です。無料版のため簡潔に説明します』
無料版、という響きに妙な世俗っぽさを感じながらも、私は冷静に画面の文字を追った。パニックになっても状況は好転しない。それは政策立案の基本だ。
『ここはアナスタシア世界。貴女には特別措置として【善行ポイント(GP)通販スキル】が付与されています』
「善行ポイント……良い行いをすれば、ポイントが貯まるということ?」
『肯定。獲得したGPを消費することで、現代地球のあらゆる物資を当端末経由で取り寄せ可能です。ただし、見返りを求める利己的な行動にはポイントは発生しません。説明は以上です。良い異世界ライフを』
プツン、と画面が暗転した。
何度タップしても、AIは二度と起動しなかった。なんという塩対応だろうか。
「善い行いでポイントが貯まり、現代の物が取り寄せられる……」
私は端末を握りしめ、ふふっと小さく笑みをこぼした。
霞が関で何十枚もの稟議書を書き、各省庁の顔色を窺い、何ヶ月もかけて予算を引っ張ってくる手間に比べたら、ずっとシンプルで優しいシステムじゃないか。
立ち上がり、丘の下に目を向ける。
そこには、小さな集落があった。
しかし、農業経済を学んだ私の目には、その集落が「のどかな田舎」ではなく「死に体の共同体」であることが一瞬で見て取れた。
家屋の屋根は傷み、畑を囲む柵は獣に荒らされたまま放置されている。水路は枯れ、土壌はひび割れ、人の営みがもたらすはずの「熱」がすっぽりと抜け落ちている。
まるで、かつて私が救えなかった故郷の姿を、そのまま見せつけられているようだった。
集落の入り口に続く土の道を歩き出す。
その時、道端の草むらに、小さな影が倒れているのを見つけた。
「……っ!」
駆け寄ると、ひどく痩せ細った老人が、ボロボロの衣服を纏って行き倒れていた。
呼吸は浅く、土気色の顔には脂汗が浮かんでいる。夜の冷気に体温を奪われ、小刻みに震えていた。
私は迷わず膝をつき、老人の首元に指を当てて脈を確認した。弱い。ひどい栄養失調と脱水症状、それに夜風による低体温症を併発している。
私は羽織っていたリネンのカーディガンを脱ぎ、迷わず老人の身体にしっかりと掛けた。そして、彼の背中と膝裏に手を入れて抱え起こすと、風の当たらない大きな木の下へと移動させた。
「大丈夫ですか。しっかりしてください」
声をかけながら、冷え切った老人の手を両手で包み込み、ゆっくりと擦って摩擦で熱を与える。
魔法なんて使えない。私にできるのは、ただ人の温もりを分けることだけだ。
どれくらいそうしていただろうか。
老人の震えが少しだけ治まり、微かに「……あぁ」と安堵の吐息が漏れた。
その瞬間だった。
ポケットに入れていたエンジェルすまーとふぉんが、ピロン、と軽快な電子音を鳴らした。
『小ポイント(個人への純粋な善行)を獲得しました』
画面には、確かにポイントが加算された数字が光っていた。
私はその光を見つめながら、この『善行ポイント』というシステムの本当の意味を理解し始めていた。
巨大なシステムの中では、個人の痛みは数字に埋もれて見えなくなってしまう。霞が関にいた頃、私はそれが悔しかった。
けれど、ここでは違う。
誰かのために動いたこと、誰かの痛みに寄り添ったことが、直接「力」になり、次の誰かを救う「物資」に変わる。これは、慈愛をダイレクトに循環させる、究極のコミュニティデザインのツールだ。
「……あ、りがとう……女神様か……」
老人がうわ言のように呟き、私の手を弱々しく握り返した。
「私は女神なんかじゃありません。ただの……通りすがりの人間です。もう少しの辛抱ですよ」
老人の皺だらけの手を優しく握り返し、私は夜空を見上げた。
そこには、地球で見ていたのと同じ、美しく静かな満月が浮かんでいた。
私は故郷を救えなかった。自分自身も救えなかった。
けれど、この星降る辺境の地でなら。
この冷え切った暗闇の中で迷う人たちの、足元を照らす月になれるかもしれない。
「ここを、私の新しい居場所にしよう」
夜風はまだ冷たかったが、老人の手から伝わる微かな体温と、胸の奥に灯った静かな決意が、私を確かな熱で温めていた。
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