EP 2
芋ジャージの人魚姫
翌朝。
ポポロ村の村長であるキャルルの家の前に、ペタ、ペタ、ペタという気の抜けた足音が響いていた。
「……キャルル、誰か来たみたいだけど」
朝食の差し入れを持ってキャルルの家を訪れていた私とヒエンは、窓の外から近づいてくる奇妙な人影に首を傾げた。
「あ、あぁぁ……来ちゃった。わたしの平穏な村長ライフが……」
キャルルは頭を抱え、長めのウサギの耳で顔を覆ってしまった。
ガラッ!
勢いよく玄関の扉が開き、一人の少女が姿を現した。
「キャルルお姉さまぁーっ! 家賃、家賃だけはもう少し待ってくださいませぇぇーっ!!」
ズザザザザァァァッ!!
少女は土間から板間へと見事なスライディング土下座をキメて、キャルルの足元にすがりついた。凄まじい勢いと、微塵の躊躇もない完璧なフォームの土下座だ。
私は、その少女の姿を見て言葉を失った。
プラチナブロンドの艶やかな長い髪に、透き通るような白い肌。海の底を思わせる深いブルーの瞳。まるで絵本から飛び出してきたような、息を呑むほどの美少女だ。耳の横には、彼女が海中国家シーランの『人魚姫』であることを示す、小さく美しいヒレのような耳がついている。
だが、その絶世の美貌を台無しにしているのが、彼女の服装だった。
「その……臙脂色のジャージに、健康サンダル……?」
「ルナミスデパートの特売ワゴンで、朝イチの争奪戦を勝ち抜いて手に入れた一張羅ですの! 通気性バツグンで、野宿にも最適ですわ!」
少女は顔を上げ、謎のドヤ顔で言い放った。
「ご紹介するね、カグヤ。彼女が昨日の夜に話した、人魚姫で地下アイドルの、リーザちゃんだよ……」
キャルルがげっそりとした顔でため息をつく。
「初めまして! 絶対無敵のスパチャアイドル、リーザですの! 推して損はさせませんわよ!」
リーザは立ち上がると、ビシッとウインクを決めてアイドルのポーズをとった。しかし、ジャージの膝部分がすり切れて薄くなっているのがひどく哀愁を誘う。
「……まぁ、遠いところをよく来たな。腹減ってないか? ちょうど朝飯を作ってきたところだ」
呆気にとられていたヒエンが、気を取り直してテーブルに大皿を置いた。
彼が作ってくれたのは、焼きたてのふかふかパンに、厚切りのシープピッグのベーコンと新鮮なレタスを挟んだ、ポポロ村特製のBLTサンドイッチだ。香ばしいベーコンの脂の匂いが部屋中に広がる。
リーザの喉が、ゴクリと大きく鳴った。
しかし彼女は、プルプルと首を横に振って身をよじった。
「だ、だめですの! 孤高のトップアイドルたるもの、安易に施しは受けませんわ! 私には、これがありますから!」
リーザは大事そうにジャージのポケットから、シワシワのビニール袋を取り出した。中に入っていたのは、カチカチに乾燥した『パンの耳』と、殻が半分むけた『茹で卵』だった。
「スーパーのパン屋さんの裏で『ペットの鯉の餌にするんですぅ』と嘘をついて貰ってきたパンの耳ですの。これをよく噛んで唾液と混ぜれば、満腹中枢が刺激されて立派な一食になりますわ!」
誇らしげにパンの耳をかじる人魚姫。なんという涙ぐましいサバイバル術だろうか。
「……リーザちゃん。意地張らないで、ヒエンのサンドイッチ、食べる?」
キャルルが見かねて、ベーコンの肉汁が滴るサンドイッチを一つ差し出した。
「食べますぅ!!」
コンマ一秒の即答だった。
リーザはパンの耳を放り投げ、猛烈な勢いでサンドイッチに飛びついた。
「んんんーっ! お肉ですわ! 本物のお肉の味がしますのぉぉっ!」
ボロボロと大粒の涙をこぼしながら、リーザはハムスターのように頬袋を膨らませてサンドイッチを咀嚼している。
「……よっぽど、ひもじい思いをしてたんだな」
ヒエンが同情の目を向けると、リーザは口元を拭いながら胸を張った。
「当然ですの! アイドル活動の維持費は莫大なんですのよ! パンの耳はご馳走の部類ですわ。普段は公園の鳩と本気の殴り合いをして餌を奪い合ったり、タローソンの廃棄弁当を巡って野良犬と死闘を繰り広げたりしていますから!」
「鳩や犬と殴り合い……」
「ええ! あとはルナミス帝国の交番の前で、謎の反復横跳びを三時間ほど続けると、お巡りさんが『事情を聞こうか』と取り調べ室で無料のカツ丼を食べさせてくれるという裏技も開拓しましたの!」
「それ、完全に不審者扱いされてるだけじゃ……」
どこか誇らしげに極貧武勇伝を語るリーザに、キャルルが頭を抱える。
しかし、私はその話を聞いて、思わず目頭が熱くなっていた。
王族という身分でありながら、誰の援助も受けず、自分の夢のためにプライドを捨てて泥水の中を這いつくばって生きてきたのだ。その根性と、変な方向に振り切れた純粋さは、霞が関のタフな官僚たちにも引けを取らない。
「あら、可愛いお客さんじゃな。おーい、村長さんや」
その時、開けっ放しになっていた玄関から、村の老人たちがひょっこりと顔を出した。
手には、昨日の夕食の残りだろうか、ふかした太陽芋を入れた籠を持っている。
「おじいちゃんたち、どうしたの?」
「いやな、なんか面白そうな声が聞こえたもんじゃから。その嬢ちゃん、鳩と喧嘩して飯を食うとるんか? 可哀想に、ほれ、芋をお食べ」
老人が、ホクホクの太陽芋をリーザの手に握らせた。
「えっ……? こ、こんな美味しそうなお芋、タダでいただいていいんですの……?」
「ええんじゃよ。わしらの村は今、太陽芋で潤っとるからな。お腹を空かせた子供に飯を食わせるくらいの余裕はあるわい」
「お化粧も、デパートのテスターで済ませとるんじゃろ? これ、うちの婆さんが作った椿油じゃ。髪がツヤツヤになるぞい」
「交番でカツ丼なんて、物騒な真似はしなさんな。腹が減ったら、いつでもわしらの家に来ていいんじゃよ」
村人たちが次々と、リーザを労い、温かい言葉とちょっとした食べ物を差し出していく。
ルナミス帝国では「変なジャージの不審者」として冷たい目で見られていたであろう彼女の奇行を、ポポロ村の老人たちは「たくましくて可哀想な子」として、素朴な優しさで包み込んでしまったのだ。
「あ、ああ……っ」
リーザの大きな瞳から、ぽろぽろと真珠のような美しい涙がこぼれ落ちた。
「みなさん、なんて優しいんですの……っ。ルナミス帝国のスーパーじゃ、試食コーナーを三周しただけで店長に塩を撒かれたのに……っ!」
泣き所が少しズレている気もするが、彼女が心底感動しているのは間違いない。
私は微笑みながら、ポケットの中で『エンジェルすまーとふぉん』を操作した。
ポイントを少し消費して、現代の『オーガニックの高級ボディソープ』と『ふかふかの今治タオル』をこっそり取り寄せ、キャルルに手渡す。
「キャルル。リーザさんにお風呂を貸してあげて。彼女、デパートの化粧室の石鹸で顔を洗っていたんでしょう? 今日はゆっくり、お湯に浸からせてあげてね」
「うん、分かった。カグヤ、ありがとう。……リーザちゃん、ほら、お風呂行こう?」
「うぇぇぇんっ、キャルルお姉さまぁっ! カグヤ様ぁ! この村は天国ですのぉぉっ!」
リーザはタオルを抱きしめ、大泣きしながらキャルルに連れられて奥の浴室へと向かっていった。
*
その夜。
ヒエンの作った温かい夕食を限界まで詰め込み、お風呂でピカピカに磨き上げられたリーザは、キャルルの家の客間の布団で、幸せそうに「すー、すー」と寝息を立てていた。
縁側で、私とヒエンは温かいお茶を飲みながら、静かに月を見上げていた。
「すげぇ奴が来たな。まさか人魚の王女様が、あんな逞しいド根性娘だとは」
ヒエンが呆れたように笑いながら、お茶をすする。
「ええ。でも、あの子の目は死んでいなかったわ。どれだけ泥水をすすっても、自分が『アイドル』であるという芯だけは絶対に折れていなかった」
私は、自作の備前焼のぐい呑みを両手で包み込んだ。
「アイドルは、人に夢と活力を与えるお仕事よ。……今のこの村に欠けている『娯楽』という精神的インフラを構築するのに、彼女以上の適任者はいないかもしれないわ」
「娯楽って……まさかカグヤ、あいつをこの村のアイドルにする気か?」
「需要と供給の完璧な一致よ」
私は小さく笑って、夜空に浮かぶ満月を見つめた。
太陽芋の農業と、ニャングルの商業、リバロンの法。そこに『文化』が加われば、ポポロ村はさらに豊かで温かい場所になる。
ただの田舎村を、最高のステージに変えてみせる。霞が関の元・政務官補佐の血が、静かに騒ぎ始めていた。
「またアンタの途方もない計画が始まるのか。……やれやれ、俺も裏方として手伝わせてもらうぜ。プロデューサー殿」
ヒエンが面白そうに目を細め、私のぐい呑みに自分のお茶の入った湯呑みをこつんと当てた。
静かな夜風が、心地よく頬を撫でる。
傷つき、迷いながらも、必死に生き抜いてきた一人の少女。彼女が本当の自分の居場所を見つけ、最高に輝く瞬間を作るために。
私は静かな決意と共に、温かいお茶をゆっくりと飲み干した。
読んでいただきありがとうございます。
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