EP 3
霞が関流・アイドルプロデュース計画
翌朝。
ポポロ村の広場に、透き通るような美しい歌声が響き渡っていた。
「♪銅でもない 銀でもない 狙い打つのは真鍮のゴールド!」
声の主は、農作業用の空の木箱をひっくり返してステージ代わりにし、その上に立つリーザだ。
相変わらずの臙脂色の芋ジャージに健康サンダルという出立ちだが、彼女が歌い始めた瞬間、その場だけが切り取られたようにキラキラとした空気に包まれる。人魚姫としての天性の美声は、道ゆく村人たちの足を強制的に止めさせるだけの力があった。
「♪スーパーのレジじゃ嫌な顔(ヤメテ!) お賽銭箱ならドヤれるの(神様ー!)」
一人で合いの手までこなしながら、リーザは満面の笑みで歌い踊る。
「♪絶対無敵のスパチャアイドル! 五円が積もれば山となる! 推しの生活 支えてちょーだい!」
曲が終わると、足を止めていた村の老人たちが、ぽかんとした顔で拍手を送った。
「なんじゃかよく分からん歌じゃが、ええ声じゃのう」
「不思議なもんじゃ。嬢ちゃんの歌を聞いとったら、朝から重かった腰の痛みがスッと引いたわい」
そう、リーザの歌には、本人は自覚していないが『味方にバフ(回復や強化)をかける』という人魚族特有の奇跡の力が宿っているのだ。
老人たちが感謝の印として、手持ちの少額銅貨(五円玉相当)を木箱の前に置かれたお椀にチャリン、と入れる。
「五円! ご縁! ありがとうございますのーっ!」
リーザは銅貨の音を聞いた瞬間、目をギラギラさせて深々と頭を下げた。
「……朝から元気だね、あの子」
広場の隅で、キャルルが呆れたようにウサギの耳を掻いた。
「でも、少し強欲すぎないか? 歌詞がほとんど『金くれ』だったぞ」
ヒエンが苦笑交じりに言うと、私はリーザの元へと歩み寄り、彼女を見上げて尋ねた。
「リーザさん。あなたにとって『アイドル』とは、何なのですか?」
私の問いに、リーザは木箱の上から真っ直ぐに私を見つめ返し、純真そのものの笑顔で答えた。
「みんな、仕事や生活で辛いことや、考えなきゃいけないことがたくさんあるはずですわ。でも、私がステージに立って歌うその瞬間だけは、全部忘れて、私だけを見てくれるんですの。……つまり、私が彼らの『時間』を奪うんです」
「時間を、奪う?」
「そうですの。ファンたちの視線も、お金も、心も、時間も……何もかもを全部奪い尽くして……その代わり、彼らの人生に『宇宙一の幸せな時間』を味わわせてあげるんです。私は彼らにとっての『運命』になりたいんですの!」
狂気すら孕んだ、底知れぬ強欲さ。
しかし、私はその言葉を聞いた瞬間、全身に電撃が走ったような衝撃を受けていた。
(……なんて素晴らしい『文化政策』のビジョン……!)
民の可処分所得と時間(税と労働)を徴収し、その対価として、生きる喜びと最高品質の精神的充足(公共サービス)を還元する。
それはまさに、私が霞が関で夢見た「国民を幸福にする究極のシステム」そのものではないか!
「素晴らしいわ、リーザさん!」
私は思わず彼女の手を両手で強く握りしめた。
「えっ? カグヤ様……?」
「あなたなら、このポポロ村の心を豊かにする『娯楽の象徴』になれる。私が責任を持って、あなたをプロデュースしてあげるわ!」
「プ、プロデュース……? それは、三食おやつ付きで、パンの耳以上のものが食べられるということですの!?」
「ええ、もちろんよ。最高のステージと、最高の装備を用意するわ」
「カグヤがまた、妙なスイッチ入っちまったぞ……」
ヒエンが後ろで呟いているが、私の耳にはもう入っていなかった。
私は早速、ポケットから『エンジェルすまーとふぉん』を取り出し、これまでに貯めたポイントを消費した。
アイドルのライブに必要なのは、演者の声を遠くまで届ける『音響』と、観客が一体感を得るための『光』だ。
私は、現代日本の通販サイトから『ポータブルアンプ内蔵のワイヤレスマイク』と、ファンサの必需品である『電池式カラーペンライト(サイリウム)』を大量にカートに入れた。
ぽぽんっ!
虚空から、いくつもの段ボール箱が広場に落ちてくる。
「カグヤ様、これは一体?」
不思議そうに覗き込むリーザに、私は箱から取り出した黒いマイクを手渡した。
「これに向かって、何か喋ってみて」
「こうですの? あー、あー。絶対無敵のスパチャ……」
『――スパチャアイドル、リーザですの!!』
アンプのスピーカーから、リーザの澄んだ声が何十倍にも増幅されて、村の広場中にクリアに響き渡った。
「ひゃああっ!?」
リーザ自身が驚いて跳び上がる。
「す、すごいですわ! 私の声が、あんな遠くまで! これなら、最後尾にいるお客さんにも『もっとお賽銭(課金)しなさい!』って直接圧をかけられますの!」
感動のポイントがやはり少しズレているが、彼女の瞳は嬉しさにキラキラと輝いている。
「村の皆さんは、こちらをどうぞ」
私は、集まってきた老人たちに、筒状の電池式ペンライトを配って回った。
「なんじゃこりゃ。ただの白い棒じゃが……」
「この手元のボタンを押してみてください」
カチッ。
老人たちがボタンを押した瞬間、ペンライトが眩いほどの赤や青、黄色の光を放ち始めた。
「おおおおっ!!」
「光った! 光ったぞい! 熱くない、不思議な魔法の杖じゃ!」
老人たちが目を丸くし、子供のように喜んで光る棒を振り回し始めた。
「暗い夜道も、これがあれば安心じゃのう」
「わしはこれで毎朝素振りをして、腰痛を予防するぞい!」
「用途が違います」
私は苦笑しながら、自らペンライトを両手に一本ずつ持ち、老人たちの前に立った。
「これは、リーザさんの歌に合わせて振るためのものです。いいですか? 推しのイメージカラーに合わせて光を変え、こうしてリズムに乗って……」
私は前世の記憶――朝倉月人くんのライブDVDを擦り切れるほど見て覚えた、無駄のない洗練された『オタ芸(応援の振り付け)』の基本フォームを、真顔で実演してみせた。
霞が関の激務の果て、深夜の自室で一人、無音でペンライトを振り続けた私のフォームには、一切のブレがない。
「……カ、カグヤ?」
ヒエンが、信じられないものを見るような顔で私を凝視している。
「すごい……! カグヤ様の動き、完璧な統制が取れていますわ! おじいちゃんたち、カグヤ様の真似をして振ってみて!」
リーザがマイク越しに煽ると、老人たちは「おおっ! こうか!」「ええ運動になるわい!」と、嬉しそうに光る棒を振り始めた。
「ほう……」
いつの間にか広場にやって来ていたリバロンが、片眼鏡を押し上げながら感心したように頷いた。
「音楽に合わせて同一の動きを集団で行う。これは軍隊における士気高揚の訓練と同じ理屈です。……カグヤ様は、娯楽という名目で、村の老人たちの基礎体力と一体感を向上させようというのですね。なんという恐ろしい政策立案能力」
「せやな! しかもこの『光る棒』、夜のお祭りなんかで売ったら、原価の十倍で飛ぶように売れるで! カグヤはん、ワテにもっとこれ仕入れさせてや!」
ニャングルが算盤を弾きながら、目をドル袋にして涎を垂らしている。
二人とも、私がただの『オタク』であることには気づかず、高度な知略だと勘違いしてくれたようだ。
「……アンタって人は、本当に底が知れねぇな」
ヒエンだけが、呆れたような、それでいてどこか楽しげなため息をついていた。
*
夕暮れ時。
広場での「ペンライト講習会」が終わり、私は簡易診療所の縁側で、少しだけ息を弾ませながら座っていた。久々に全力でペンライトを振ったので、心地よい疲労感がある。
「ほら、冷たいお茶だ。……張り切りすぎだぞ、プロデューサー」
ヒエンが、氷を浮かべた陽薬茶と、蜂蜜を少しだけかけた甘い太陽芋の冷やし飴を持ってきてくれた。
「ありがとう、ヒエン。……ふふっ、なんだか久しぶりに、心の底から楽しんでしまったわ」
冷たいお茶を飲むと、渇いた喉が優しく潤っていく。
広場の方からは、まだペンライトの光り方に夢中になっている老人たちの楽しげな笑い声と、リーザが「明日のステージはもっと五円玉を用意してくださいね!」と無邪気に宣伝する声が聞こえてくる。
「アンタが楽しそうだと、周りの連中も自然と笑顔になるんだな」
ヒエンが隣に座り、暮れゆく空を見上げた。
「ただの田舎村が、こんなに賑やかになるなんてな。……これも全部、アンタが引き寄せた縁だ」
「私一人の力じゃないわ。彼らが本来持っていた輝きが、少しだけ外に漏れ出しただけよ」
私は、自作の備前焼のぐい呑みに冷やし飴を少し入れ、夜空へと掲げた。
東の空に、淡く白っぽい月が昇り始めている。
霞が関では決して見ることのできなかった、素朴で、温かくて、くすっと笑えるような優しい時間。
「娯楽の種は撒いたわ。次は、彼女が本当に輝くための『ステージ』を作らなくちゃね」
私がそう呟くと、ヒエンは「俺のハンマーの出番だな」と頼もしげに笑った。
誰も傷つかない、皆がほっこりできる最高のライブへ向けて。ポポロ村の新しい日常が、静かに、そして賑やかに動き出していた。
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