第二章 星降る辺境のLove&Money 〜推し活は最高の精神インフラです〜
豊かな村の、小さな退屈
「いやぁ、今日も飛ぶように売れましたなぁ! 『ポポロ村特産・高級ヘルシー太陽芋』、三大国の軍の駐屯地から追加の大量発注やで!」
「浮かれるのは早すぎます、財務担当。利益が出た時こそ、次なる投資と内部留保のバランスを厳密に計算しなければ。ほら、帳簿のこの部分、小銭の計算が雑ですよ」
「なんやて!? ワテの算盤に狂いがあるわけ……ほんまや、一セント分ズレとる! リバロンはん、アンタの目ぇは鷹より鋭いな!」
秋の気配が色濃くなってきたポポロ村の広場には、今日も活気のある声が響き渡っていた。
魔力嵐の危機を乗り越え、初めての収穫祭を成功させたあの日から、ポポロ村は劇的な変化を遂げている。
私が『エンジェルすまーとふぉん』で取り寄せた現代日本の農業資材と、ヒエンの鍛冶の技術が合わさり、畑の生産力は飛躍的に向上した。
収穫された作物は、ニャングルの天性の商才とパッケージ戦略によって高付加価値の商品へと生まれ変わり、近隣の行商人や三国軍の兵士たちに飛ぶように売れていく。
そして、そこから得られた莫大な外貨は、宰相であるリバロンの冷徹で完璧な帳簿管理によって、一セントの無駄もなく村のインフラ整備や村人への配当金として還元されていた。
「カグヤ様! 今日も美味しいお芋がよぉけ採れましたぞい!」
「皆さん、無理はしないでくださいね。腰を痛めたら、すぐに私が湿布を貼りますから」
泥だらけになりながらも、村の老人たちの顔にはかつての絶望は微塵もない。自分たちの労働が正当な対価を生み、生活が豊かになっていくという確かな実感が、彼らの背筋をピンと伸ばさせていた。
物質的な豊かさと、法による秩序。
私が霞が関で思い描いていた「誰も犠牲にならない、自立した共同体」の基礎は、この小さな辺境の村で、間違いなく完成しつつあった。
……しかし。農業経済の専門家であり、政策担当者であった私の目は、村が安定期に入ったからこそ生じる『次なる課題』を捉え始めていた。
*
その日の夜。
日が落ちて辺りが暗くなると、ポポロ村はしんと静まり返った。
私が通販で取り寄せたLEDランタンが要所要所を照らしてはいるものの、広場に人の気配はない。村人たちは夕食を済ませると、すぐにそれぞれの家へと帰り、布団に入ってしまうのだ。
「みんな、寝るのが早いわね……」
私が簡易診療所の縁側に座り、夜空を見上げながら呟くと、隣からふわりと香ばしい匂いが漂ってきた。
「そりゃあ、農作業で身体を動かしてるからな。暗くなったら寝る、日が昇ったら起きる。健全なことじゃないか」
ヒエンが、湯気を立てる木のお椀を二つ持って縁側に腰を下ろした。
今日の手作り夜食は、太陽芋とシープピッグ(豚と羊の魔獣)の薄切り肉を、私が通販で取り寄せた少しの醤油と砂糖でコトコトと煮込んだ、いわゆる『肉じゃが風』の煮込み料理だった。
「はいよ、今日もお疲れさん。熱いから気をつけて食えよ」
「ありがとう、ヒエン。いただきます」
一口食べると、ホクホクに煮崩れた太陽芋の甘みと、シープピッグの濃厚な脂の旨味が、醤油の香ばしさと完璧に絡み合って口の中に広がった。
「……んんっ、美味しい。本当に、あなたの料理は魔法みたいね」
「だろ? 良い素材が手に入るようになったからな。ニャングルが商売のついでに、質のいい岩塩や香草を仕入れてくれるようになったし、俺も腕の振るい甲斐がある」
月人くんにそっくりな端正な顔で、ヒエンが嬉しそうに白い歯を見せて笑う。その無邪気な笑顔を見ると、私まで心が温かくなる。
「でも、さっきのアンタの顔は、ただ『健全で良いことだ』って納得してる顔じゃなかったな。何か懸念があるのか?」
ヒエンの鋭い指摘に、私はお椀を置いて小さく頷いた。
「ええ。確かに、早寝早起きは健康の基本よ。でもね、衣食足りて礼節を知る……生活が豊かになれば、人間は次に『心を満たすもの』を求めるようになるわ」
「心を満たすもの?」
「『娯楽』よ」
私は夜の静寂に包まれた広場を見渡した。
「今のポポロ村には、厳しい労働の対価はあっても、その疲れを癒し、明日への活力を生み出すための『精神的なインフラ』が決定的に不足しているの。村の老人たちが早く寝てしまうのも、ただ疲れているからだけじゃなく、『夜にやることがない』からよ。このままでは、ただ働くためだけの味気ない日々になって、いずれ心の潤いが失われてしまうわ」
霞が関での激務の中で、私自身が身をもって経験したことだ。仕事(労働)の達成感だけでは、人間の心は長持ちしない。そこには必ず、無駄とも思えるような『遊び』や『癒やし』の時間が必要なのだ。
「なるほどな。アンタは本当に、村の連中のことばかり考えてる」
ヒエンは呆れたように小さく笑うと、私の頭を大きな手でぽんと撫でた。
「俺としては、こうしてアンタと二人で月を見ながら美味い飯を食える時間があれば、それ以上の娯楽なんて必要ねぇけどな」
「ヒ、ヒエン……」
不意打ちのような甘い言葉に、私は思わず言葉を詰まらせた。
恋愛なんてすっかり縁遠くなっていた私の心臓が、トクトクと早鐘を打つ。彼から向けられる真っ直ぐな好意には、いまだに慣れることができない。
「だーっ! もう、どうしよう!!」
その時、私たちの静かな時間を打ち破るように、ドタバタという凄まじい足音が近づいてきた。
「カグヤ! ヒエン! 大変だよぉ!」
ウサギの耳を全力で後ろに靡かせながら、キャルルが涙目で駆け込んでくる。彼女は私の足元にズサーッとスライディング土下座のような体勢で滑り込んだ。
「どうしたの、キャルル。村のどこかでトラブル?」
「魔獣か? それともまたゴルド商会の連中が来たのか?」
私とヒエンが身構えると、キャルルはぶんぶんと首を横に振った。
「ち、違うの! 実はさっき、ルナミス帝国にいた頃のシェアハウスの友達から『手紙』が届いて……!」
「お友達から? それはいいことじゃない。で、何が大変なの?」
「その子、明日からこのポポロ村に転がり込んでくるって言うんだよぉ!」
キャルルは頭を抱え、ウサギの耳を両手でくしゃくしゃに丸めた。
「別にいいじゃねぇか。村には空き家がまだいくつかある。リバロンに手続きさせれば、すぐに住む場所くらい用意できるぞ」
ヒエンが不思議そうに言うと、キャルルは「違うの!」と叫んだ。
「あの子はね、海中国家シーランの『第一王女』なんだよ! つまり、本物の人魚姫!」
「えっ、王女様!?」
「そんな高貴な身分の方が、どうしてこんな辺境の村に……?」
私が驚いて尋ねると、キャルルは深い絶望を湛えた瞳で私を見上げた。
「……あの子、ルナミス帝国で『地下アイドル』にどハマりしちゃって、親善大使の仕事をバックレて極貧生活を送ってるの。家賃が払えなくなったから、村長になったわたしの家に寄生する気なんだよぉ……っ! カグヤ、どうしよう、あの子のご飯まで養う余裕、わたしの給料にはないよ!」
人魚姫。王女。地下アイドル。そして、極貧の寄生。
情報量が多すぎて、私とヒエンは顔を見合わせて固まってしまった。
「……まぁ、困っているお友達を見捨てるわけにはいかないわね」
私は気を取り直し、キャルルの肩を優しく叩いた。
「とりあえず、明日はそのお友達を温かく迎え入れましょう。ご飯のことなら、私の通販とヒエンの腕があればどうにでもなるわ」
「カグヤ……! うぅっ、カグヤは本当に女神様だよぉ……!」
キャルルが私の腰にしがみついて泣きじゃくる。
騒がしい嵐が去って、ようやく訪れた穏やかな日常。
しかし、どうやらこのポポロ村には、まだまだ規格外の『迷える者』が引き寄せられてくる運命らしい。
地下アイドルになった人魚姫。一体どんな人物なのだろうか。
「娯楽という精神的インフラが必要だと考えていたところに、アイドル、ね」
私は夜空を見上げ、ふっと小さく微笑んだ。
偶然とはいえ、なんだか妙な巡り合わせだ。彼女の抱える問題がどんなものであれ、私の知識と通販の力で、きっと良い方向へと導けるはずだ。
縁側に置きっぱなしにしていた自作の備前焼のぐい呑みを手に取り、冷たい陽薬茶を少しだけ注ぐ。
夜空には、美しい月が静かに輝いていた。
「今日も一日、無事に終わったわね。……明日からは、少し賑やかになりそう」
私はぐい呑みを月に掲げ、静かに一日を締めくくった。
村がさらに豊かに、そして温かく輝くための新しい出会いが、すぐそこまでやって来ている。
そんな予感に胸を弾ませながら、私はヒエンの作ってくれた肉じゃがの優しい余韻を、ゆっくりと噛み締めていた。
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