EP 13
炎と知恵で守り抜く、私たちの居場所
「気温が、氷点下に届くわ……!」
私が手元の温度計を見て叫んだのと同時に、ハウス内の空気が一段と鋭く冷え込んだ。
外では魔力嵐による氷の礫が、強化ビニールシートをバチバチと激しく打ち据えている。物理的な破壊は防げても、魔法による異常な冷気はじわじわとハウス内を侵食し、青々としていた太陽芋の葉の表面に、白い霜を降らせ始めていた。
「このままじゃ、全滅してしまう……! カグヤ、どうすればいいの!?」
キャルルがウサギの耳をぺたんと伏せ、凍える自分の腕をさすりながら私を見た。
「大丈夫よ。寒さを防げないなら、内側から熱を作り出せばいい」
私は振り返り、真っ直ぐに一人の青年を見つめた。
「ヒエン。あなたの出番よ」
私の言葉に、ヒエンが前掛けの紐を締め直しながら前に出た。
「俺の火を使えってことだな。だが、俺の力は強力すぎる。加減を間違えれば、芋どころかこのビニールごと全部灰にしちまうぜ」
彼は少しだけ自嘲気味に笑った。
彼の内に眠る、ルナミス帝国正統継承者としての強大な『不死鳥の炎』。それは本来、すべてを焼き尽くす圧倒的な破壊の力だ。
「いいえ。あなたの火は、奪うためのものじゃないわ」
私は彼の手を両手でそっと包み込んだ。鍛冶仕事でマメだらけの、大きく温かい手。
「あなたは毎日、村の人たちのために道具を打ち、美味しいスープを作ってくれた。あなたの炎は、命を育み、生活を温める『創造の炎』よ。……ヒエンになら、絶対にできるわ」
真っ直ぐに見つめると、彼はハッと目を見開き、やがてその端正な顔に力強い笑みを浮かべた。
「……アンタにそう言われちゃ、やるしかねぇな。俺の愛読書にもあるんだ。『火の精神分析』って本にな。火は破壊であると同時に、浄化と生命の象徴だって」
ヒエンは私から離れると、ハウスの四隅と中央に配置された、予備の太い鉄パイプの前に立った。
「いくぜ」
ヒエンの指先に、チロリと紅蓮の炎が灯る。
彼はそれを鉄パイプに押し当てた。
一瞬で鉄が真っ赤に熱せられ、強烈な熱放射が周囲の空気を温め始める。彼は目配せ一つで、五つの鉄パイプを次々と巨大な『ストーブ』へと変えていった。
「おおっ……! 温かいぞ!」
「凍えそうだったのが、嘘みたいじゃ!」
村人たちが歓声を上げる。ハウス内の温度計が、見る見るうちに氷点下から五度、十度へと上昇していく。
「すごいわ、ヒエン! でも、これだけじゃ駄目なの」
私は温度計を片手に、もう一つの致命的な問題に直面していた。
「温かい空気は上へ逃げてしまうのよ。このままじゃ、天井のシートが熱で溶けて、肝心の足元の作物は凍ったままになるわ。空気を『循環』させないと!」
農業用ハウスにおいて、暖房と同じくらい重要なのがサーキュレーター(循環扇)の存在だ。しかし、この世界に電気で動く扇風機などない。
「空気を回せばいいの? それなら、わたしに任せて!」
キャルルがトンファーをしまい、自信満々に胸を張った。
「月影流の真髄は、力の解放だけじゃない。完璧なコントロールでもあるんだから!」
キャルルはハウスの端に立つと、軽く息を吸い、ゆっくりと足を振り上げた。
「月影流・微風脚!」
シュオォォォォ……ッ。
マッハの速度で蹴りを放つ彼女が、その圧倒的な脚力をミリ単位で調整し、空気を優しく押し出す『型』を演武のように連続で繰り出し始めた。
彼女の蹴りが生み出す絶妙な風圧が、天井に溜まった熱気をハウスの隅々へと均等に循環させていく。
「見事です、キャルル様。まさに巨大な扇風機だ。……ヒエン様、南西の熱源が少し強すぎます。温度を二度下げてください」
完璧なタイミングで指示を飛ばしたのは、バインダーを手にしたリバロンだった。
彼は懐中時計と、私が渡した複数の温度計を睨みつけ、ハウス内の温度分布を冷徹に計算していた。
「北東の空気が冷えています。キャルル様、風の角度を三度上へ。村の皆様は、冷気が入り込みやすい隙間に土嚢を積んでください。一秒の遅れが致命傷になりますよ!」
「おうっ!」「リバロン様の言う通りに動け!」
リバロンの的確で無駄のない指示に、村人たちも一丸となって動き出す。
ヒエンの炎が熱を作り、キャルルの風がそれを運び、リバロンの頭脳が全体を制御し、村人たちが足元を固める。
まるで、巨大な一つの生き物のように、ポポロ村の全員が完璧な連携で嵐の冷気に立ち向かっていた。
「みんな、すっごく輝いているわ……」
私はハウスの真ん中で、温度計の数値を記録しながらその光景を見つめていた。
霞が関で私が思い描いていた「理想の共同体」。誰か一人の英雄が無理をするのではなく、全員が適材適所で持ち味を発揮し、お互いを補い合う姿が、今ここにある。
「おーい! 腹減っては戦はできんやろ!」
ハウスの入り口から、びしょ濡れになったニャングルが、大きな寸胴鍋を台車に乗せて飛び込んできた。
「ニャングル! 避難所にいたんじゃなかったの?」
「避難所でジッとしとるなんて、ワテの性に合わんわ! ヒエンが仕込んどった明日の祭りのスープ、少し拝借してきたで! 冷え切った身体にはこれが一番や!」
彼は得意げに算盤を揺らしながら、村人たちに温かいスープを振る舞い始めた。
「サンキュー、ニャングル。助かるぜ」
ヒエンが額の汗を拭いながら、スープの入ったお椀を受け取る。彼はもう一つお椀をもらうと、私の元へ歩み寄り、そっと手渡してくれた。
「カグヤも飲め。頭をフル回転させて、一番疲れてるのはアンタだ」
受け取った木椀からは、肉椎茸とシープピッグの濃厚な香りが湯気となって立ち上っている。
一口飲むと、冷え切っていた身体の芯に、じんわりと温かさが広がった。
「美味しい……」
「アンタの知識がなきゃ、この村は今夜で終わってた。……やっぱり俺は、アンタに胃袋を掴まれたんじゃなく、アンタに心を掴まれたみたいだ」
ヒエンが、周囲の喧騒に紛れるような小さな声で、ぽつりと呟いた。
私は驚いて彼を見上げたが、彼はすでにくるりと背を向け、再び熱源のコントロールへと戻っていた。彼の少しだけ赤くなった耳が、炎のせいなのかどうかは分からなかった。
*
それから、どれほどの時間が経っただろうか。
長い、長い夜だった。
ヒエンは一睡もせずに炎の微調整を続け、キャルルは舞うように蹴りで風を送り続け、リバロンは瞬きの回数すら惜しむように温度を管理し続けた。
やがて――。
バチバチとハウスを叩きつけていた氷の音が、いつの間にか止んでいた。
「……温度低下、止まりました。外気の異常マナが霧散し始めています」
リバロンが、バインダーをパタンと閉じて宣言した。
「終わった、のか……?」
ヒエンが指先の炎を消し、大きく息を吐き出す。
キャルルも蹴りを止め、その場にへたり込んだ。
私がハウスの入り口の分厚いビニールを少しだけ開けると、冷たく澄んだ空気が流れ込んできた。
暗雲はすでに去り、東の空から、まばゆい朝の光が差し込もうとしている。
夜明けだ。
「みんな、見て!」
私の声に、疲労困憊の村人たちが顔を上げる。
朝日に照らされたハウスの中。
そこには、冷気にやられることなく、青々と生命力に満ちた太陽芋の葉が、ハウスいっぱいに広がっていた。
凍結した株は、一つもない。私たちは、大自然の猛威から村の希望を完全な形で守り抜いたのだ。
「うおおおぉぉっ! やったぞぉぉ!」
「守りきった! わしらの畑が、無事じゃ!」
村人たちが歓声を上げ、抱き合って涙を流す。
「カグヤ! やったね、わたしたち勝ったんだね!」
キャルルが私に飛びついてきて、ヒエンが笑いながらその頭をくしゃくしゃに撫でる。リバロンとニャングルも、互いの健闘を称え合うように静かに頷き合っていた。
朝日の光の中で、皆の笑顔が最高に美しく輝いている。
自分の居場所を見つけ、誰かのために力を尽くした人間が放つ、極上の輝き。
(ああ、本当に……美しい)
私はその光景を目に焼き付けながら、心が満たされていくのを感じていた。
長く過酷な夜は終わり、ポポロ村に、再生を祝う本当の『ハレの日』が訪れようとしていた。
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