EP 10
黄金の強欲と、迫り来る理不尽な契約
「うわぁっ! カグヤ、すごいよ! この鉄のレバーを上下に動かすだけで、地下からどんどん綺麗な水が湧き出てくる!」
透き通るような青空の下、ポポロ村の広場にキャルルの明るい歓声が響き渡った。
彼女が嬉々として動かしているのは、私が『エンジェルすまーとふぉん』のポイントを消費して取り寄せた、現代の『手押し式井戸ポンプ』だ。
これまでは、村の老人たちが遠くの枯れかけた川まで重い桶を運んで水汲みをしていたが、ヒエンの力を借りて村の中央に井戸を掘り直し、このポンプを設置したことで、水問題は劇的に改善された。
「すごい勢いね。でもキャルル、あなたの馬鹿力でレバーを折らないように気をつけてね?」
「だ、大丈夫だよ! ちゃんと優しく押してるもん!」
パタパタとウサギの耳を揺らしながらポンプを漕ぐキャルルを見て、私は微笑みながら目を細めた。
豊かな特産品と、それを支えるインフラ。村人たちの顔には、かつての絶望は微塵もなく、確かな生活の喜びが満ちている。
――だが、平和な時間は、ひどく無遠慮な足音によって破られた。
「どけ! どかんか、薄汚い農民ども!」
けたたましい馬のいななきと共に、村の入り口から土埃を上げて一台の豪奢な馬車が乗り込んできた。
無骨な装甲に、悪趣味なほど金箔が施された車体。その側面には、大陸の経済を牛耳る巨大組織『ゴルド商会』の紋章が刻まれている。
馬車を取り囲むように、柄の悪い傭兵風の男たちが十数人、ぞろぞろと村の広場へ上がり込んできた。
「な、なんや……ゴルド商会の正規馬車やと?」
畑の売り上げ計算をしていたニャングルが、顔を青ざめさせて算盤を抱え込んだ。
馬車の扉が開き、中から恰幅の良い男が降りてくる。
シルクハットに、はち切れんばかりの高級スーツ。指という指に宝石の指輪をはめたその男は、葉巻の煙を吐き出しながら、ねっとりとした視線で村を見回した。
「ほぅ。ただの掃き溜めかと思えば、随分と小綺麗な村になったじゃないか。これなら『魔獣コロシアム』の建設予定地として、高く転売できそうだ」
「コロシアムだと……? お前ら、急に押しかけてきて何を言ってるのさ!」
キャルルがポンプから手を離し、スッと私の前に立って敵意を剥き出しにした。その手には、いつでもトンファーを抜けるよう力がこもっている。
「おやおや、野蛮な兎だ。私はゴルド商会・東部支部長のドンズ。この村の『正当な所有者』として、お前たちに立ち退きを命じに来てやったのだよ」
ドンズと名乗った男は、懐から丸められた羊皮紙を取り出し、見せびらかすように広げた。
「この村の前村長……確か、駆け落ちして逃げたという老いぼれだったな。奴は失踪する前、我々から『金貨五百枚』もの借金をしていた。その担保が、このポポロ村の土地と権利すべてだ!」
その言葉に、村人たちが悲鳴のようなざわめきを上げた。
「そ、そんな馬鹿な! 前の村長がそんな大金を借りるはずがない!」
「どうせお前ら、村が儲かり始めたって噂を聞きつけて、土地を奪いに来たんだろ! ふざけるな、叩き出してくれる!」
キャルルが激昂し、地を蹴ろうとした。
「待ちなさい、キャルル」
私は彼女の腕を、静かに、しかし強い力で掴んだ。
「カグヤ!? なんで止めるの! あんな奴ら、わたしの蹴り一発で――」
「それが彼らの狙いよ。正規の商会を名乗る相手に、村長であるあなたが『暴力』を振るえばどうなる? 三大国の駐留軍が『村の暴動を鎮圧する』という名目で介入し、この村は完全に軍に制圧されるわ」
私の冷徹な指摘に、キャルルはハッと息を呑み、悔しそうに唇を噛んで足を止めた。
「賢い女がいるじゃないか。その通りだ。我々は『法』に則って、正当な契約書を行使しに来た善良な商人だよ」
ドンズが下品な笑い声を上げる。
「失礼。その羊皮紙を拝見しても?」
静寂を縫うように、リバロンが洗練された足取りで前に出た。片眼鏡を光らせ、ドンズの手から借用書を丁寧に受け取る。
彼はその文面を数秒間、冷徹な目で走査した。
「……なるほど。前村長の筆跡を巧妙に模倣し、公証人の印まで偽造した『極めて質の高い偽造契約書』ですね。ゴルド商会の末端がよく使う、田舎村を合法的に乗っ取るための常套手段です」
「なっ、貴様、人狼の分際で適当なことを……!」
「ですが」
リバロンは淡々と続けた。
「この世界のずさんな法律において、この印章と署名がある以上、書面は『合法』として機能してしまう。……私のような法務の専門家がいなければ、泣き寝入りするしかない悪辣な罠です」
「リバロンの言う通りや……」
ニャングルが震える声で同調する。
「ゴルド商会は大陸の経済の要や。まともに歯向かえば、村の物流を完全に止められて、特産品の芋も売れんようになる。干上がって終わりやで……」
暴力で逆らえば軍が介入し、従えば村を奪われる。完全に退路を断つ、巨大資本による理不尽な暴力だった。
ドンズが葉巻をくわえ直し、勝ち誇った顔で私たちを見下す。
「分かったら、さっさと荷物をまとめろ! 明日の正午には、コロシアムの建設部隊がここを更地にしに来るからな!」
「――お断りします」
私が一歩前に出ると、静かな声が広場によく響いた。
ドンズが眉をひそめ、私を睨みつける。
「なんだと? 女、状況が分かっていないのか」
「状況なら完璧に理解しています。あなたが提示した書類の『不備』と『手続きの瑕疵』についてもね」
私は霞が関の政務官補佐としての、一切の感情を排した『官僚の顔』で彼を真っ直ぐに見据えた。
「その契約書が真正なものであると主張するなら、然るべき『審査』が必要です。当村の宰相であるリバロンによる法的な精査、および財務担当のニャングルによる債務の裏付け確認。これらの正式な行政手続きを経ずに、強制執行を行う権限はあなたにはありません」
「はっ! 田舎村が行政手続きだと? 笑わせるな!」
「笑い事ではありません。もし手続きを無視して村を破壊すれば、ゴルド商会は『不法な略奪集団』として三大国に認知されます。……商会本部が、支部長の独断によるそんな汚名を許すでしょうか?」
私の指摘に、ドンズの顔色が一瞬だけ変わった。
彼のような小悪党は、本部の威光を笠に着ているだけで、自身の立場が危うくなることを何よりも恐れる。
「……チッ。減らず口を叩く女だ。いいだろう、明日の正午だ! それまでに五百金貨を耳を揃えて用意するか、大人しく立ち退くか、どちらか選べ。行くぞ!」
ドンズは吐き捨てるように言うと、傭兵たちを引き連れて馬車に乗り込み、去っていった。
*
その夜。
村は重苦しい空気に包まれていた。金貨五百枚など、ようやく特産品が売れ始めたばかりの村にあるはずがない。
私が診療所の縁側で、一人契約書の写し(リバロンが瞬時に模写したもの)に目を通していると、ふわりと温かい匂いが漂ってきた。
「難しい顔をしてるな、カグヤ」
隣に座ったヒエンが、湯気を立てる木椀を差し出してくれた。太陽芋を裏ごしして作った、濃厚なポタージュスープだ。
「ありがとう、ヒエン。……少し、頭を使いすぎて冷えていたの」
スープを一口飲むと、芋の自然な甘さと、温かいミルクの風味が疲れた脳細胞に染み渡っていく。
「なぁ、カグヤ」
ヒエンが夜空を見上げたまま、低い声で言った。
「もしアンタが望むなら、俺の『火』であの契約書ごと、あいつらの拠点を灰にしてきてもいいんだぜ。……俺の力なら、誰にも気づかれずにやれる」
彼がルナミス帝国の皇太子であり、強大な不死鳥の炎を操ることを、私は知っている。彼なら本当に、証拠一つ残さずに悪を消し去るだろう。
けれど、私は静かに首を横に振った。
「駄目よ。そんなことをすれば、ヒエンが犯罪者になってしまう。それに、暴力で解決すれば、彼らと同じ土俵に落ちることになるわ」
「じゃあ、どうするんだ? 明日の昼には連中が来る」
「ふふっ。心配しないで」
私はスープを飲み干し、傍らに置いていた自作の備前焼のぐい呑みを手に取った。
冷たい果実酒を注ぎ、空に輝く月へと掲げる。
「霞が関の『監査』がどれほど恐ろしいか。あの悪徳商人たちに、たっぷりと教えてあげるだけよ」
私の目には、すでに彼らを完膚なきまでに追い詰めるための『政策』と『罠』の全容が見えていた。
ポケットの中の『エンジェルすまーとふぉん』を指先でなぞる。
今日までに貯まった大ポイントを使えば、現代の『ある電子機器』を取り寄せることができる。リバロンの法知識と、ニャングルの経済網、そして私の通販アイテムが合わされば、あの偽造契約など紙屑同然にできる。
「ヒエン。明日はあなたの出番もあるから、しっかり寝ておいてね」
「……やれやれ。アンタのその不敵な笑みを見ると、俺が出る幕もなく敵が自滅しそうな気がするぜ」
ヒエンは呆れたように笑いながら、それでもどこか愛おしそうに私を見つめた。
月は、静かにポポロ村を照らしている。
この温かく優しい居場所を、理不尽な暴力や強欲で奪わせはしない。
私はぐい呑みの酒を飲み干し、明日訪れる『鮮やかなる反撃』へ向けて、静かに決意の炎を燃やした。
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