第三章②
夜会の中盤。
私が侯爵の取り巻きたちと当たり障りのない会話をしている裏で、私たちの真の作戦はすでに進行していた。
給仕としてトレイを持って広間を歩き回るフットマン。
壁際で空いたグラスを下げるメイド。
楽団の裏で楽器を磨く少年。
そのすべてが、スラムで生き抜き、私が諜報技術を叩き込んだ孤児シンジケートの「ランナー(情報員)」たちだった。
彼らは貴族の屋敷に合法的に入り込むための完璧なカモフラージュを持っていた。
夜会がお開きになり、馬車でタウンハウスへ戻る道中。
向かいの席に座るノアが、夜会で集めた膨大な情報が書かれたメモを広げた。
「お嬢様のお見立て通りでした。侯爵の派閥の連中、酒が入ると口が軽くて助かります」
ノアは呆れたように肩をすくめた。
「メイドのリリィからの報告によると、侯爵は『王立貿易会社』の経営権を完全に掌握しようとしているようです。平民の商人が立ち上げた新しい紡績工場や流通網に、理不尽な重税をかけて意図的に潰し、自分たちの独占市場を守る法案を議会で通す気だ、と」
「……6年前、私の両親の事業を潰した時と全く同じ手口ね」
私は馬車の窓に映る王都の夜景を見つめながら、冷たく呟いた。
「進歩する技術や平民の努力を武力や権力で踏みにじり、自分たちは一切の努力をせずに富を貪る。……本当に、吐き気がするわ」
「このまま殺してしまいますか? 忍び込ませている仲間なら、侯爵が寝ている間に首を掻き切ることくらい造作もありませんが」
ノアが物騒なことを平然と言う。
だが、私は首を横に振った。
「ダメよ。そんなことをしても、また別の貴族が侯爵のポストに座るだけ。システムそのものを破壊しなければ、同じことが繰り返されるだけだわ」
「さようですか」
「……ていうか敬語外しなさいよ。二人きりじゃない」
「いえ、お嬢様は法的にも既に貴族様のご令嬢ですので卑俗な我々がタメ口なんて許されるわけがありません」
「からかわないでよ。もう」
私は手袋を外し、隠し持っていた銀のコンパクトミラーを取り出した。
冷たい銀の感触が、私の頭脳を極限までクリアにする。
「奴らが最も愛し、依存しているのは『特権階級としての圧倒的な資本』よ。だから、私はその資本そのものを市場のルールを使って合法的に消滅させる。……ノア。明日の朝一番で、ダミー会社の設立準備に入りなさい」
「ダミー会社……? 何の事業を始めるおつもりで?」
私は前世の金融史において、国家規模の経済を崩壊させた世界最大の詐欺事件——「南海泡沫事件(South Sea Bubble)」のスキームを思い描いていた。
「事業なんて何でもいいわ。たとえば……『まだ見ぬ新大陸における、無限の金鉱採掘権と革新的な蒸気機関の独占事業』なんてどうかしら? 実態は空っぽの幽霊会社よ。でも、私の持てる全ての金融工学とプロパガンダを駆使して、その会社の株価を天文学的な数字まで釣り上げてみせる」
ノアの顔色が変わった。
「……まさか、その株を侯爵たちに買わせる気ですか?」
「その通りよ。欲に目の眩んだ奴らは、必ず食いつく。自分たちの領地や先祖代々の資産を担保にしてまで、巨額の資金を突っ込んでくるはずよ」
私の唇の端が、三日月のように吊り上がった。
「バブルを人為的に引き起こし、奴らの資産を市場に吸い上げた絶頂のタイミングで、全てを破裂させるの。……ウィクリフ侯爵とその派閥の貴族たち全員に、天国から地獄への『フリーフォール』を味わわせるわ」
馬車がタウンハウスに到着し、車輪の音が止まった。
月明かりに照らされた私の瞳には、貴族社会を根底から焼き尽くすための、冷酷な資本主義の炎が赤々と燃え上がっていた。
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