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第三章 貴族令嬢編

「……少し、コルセットの紐を締めすぎじゃないかしら?」


王都の一等地、私たちが新たに構えた豪奢なタウンハウスの鏡の間。


天井から吊るされたシャンデリアの光を反射する巨大な姿見の前に立ち、私は小さく息をついた。


身に纏っているのは、最高級のシルクと大量のレースがあしらわれた、目が眩むほど豪奢な真紅のドレスだ。


「我慢してください、お嬢様。社交界の貴婦人たちは、内臓が変形するほどコルセットを締めて見栄を張るのが常識だそうですから。完璧な『田舎から出てきた無知で裕福な令嬢』を演じるためには、これくらい過剰な方が丁度いい」


私の背後に立ち、燕尾服を完璧に着こなした執事——孤児シンジケートの相棒であるノアが、恭しく頭を下げながらも口元には皮肉な笑みを浮かべていた。


過酷なスラムで泥水に塗れていた孤児の面影は、彼にも私にも微塵もない。


あの日、ギルス男爵を破滅させてから3年の月日が流れ、私は18歳になっていた。


「それにしても、高くついた身分ね」


私は白粉おしろいをはたいた自分の顔を鏡越しに見つめながら呟いた。


「ええ。『アッシュボーン男爵家』の借金は莫大なでしたからね。それに口止め料に当主に多額の年金を払いましたから」


「なんなら、殺しちゃった方がよかったかしら?」


「お嬢様がそうしたいのではあれば」


「ふふ、貴方も言うようになったわね。そんなことしないわ、これで私たちは、奴らと同じ土俵に上がるための『入場券』を手に入れたのだから」


私は手袋をはめながら、冷たく言い放った。


この異世界において、平民がどれほど富を築こうとも、貴族の理不尽な暴力の前では無力であることは両親の死で痛いほど学んだ。


だからこそ、私は合法的な身分買収を行い、「アッシュボーン男爵令嬢クロエ」として生まれ変わったのだ。


「馬車の支度が整っております、クロエお嬢様。……今夜の獲物は?」


「保守派筆頭、ウィクリフ侯爵。私の両親を殺すようギルス男爵に命じ、平民の経済的自立を悉く弾圧してきた、旧体制アンシャン・レジームの親玉よ」


私は、ドレスの隠しポケットに、あの『銀のコンパクトミラー』を忍ばせた。


「さあ、狩りの時間よ。奴らに、新しい資本主義のルールを教えてあげる」





王宮に隣接する大公爵邸で開催された夜会は、眩いばかりの光と色彩、そして鼻をつくような香水の匂いに満ちていた。


「おお、あの方が噂の……!」


「アッシュボーン男爵家の令嬢ですって。領地に巨大な銀鉱脈が見つかり、一夜にして王都で一番の金持ちになったとか……」


私が広間に足を踏み入れた瞬間、さざ波のような囁き声が広がった。


(……計画通りね)


銀鉱脈など大嘘だ。


シンジケートが意図的に流したプロパガンダにすぎない。


だが、慢性的な資金不足に悩むこの世界の貴族たちは、「金を持て余した無知な新興貴族」という存在に群がる羽虫のような習性を持っている。


私は扇で口元を隠し、純真無垢な少女の作り笑いを浮かべながら、優雅に広間を進んだ。


「素晴らしい夜ですね、アッシュボーン令嬢。よろしければ、私と一曲……」


「私の領地の投資話に、ぜひ一口乗っていただけませんか?」


次々と擦り寄ってくる有象無象の下位貴族たちを、私は愛想よく、しかし巧みにかわしていく。


そんな中、広間の喧騒を割るようにして、一人の初老の男が近づいてきた。


胸元に数々の勲章を輝かせ、高慢な鷲のような鋭い目つきをした男。


周囲の貴族たちが、潮が引くように道を空ける。


「初めてお目にかかるな、可憐なるアッシュボーン令嬢。私がウィクリフ侯爵だ」


「まあ……! 侯爵閣下にお声がけいただけるなんて、光栄の至りに存じますわ!」


私は目を見開き、田舎娘が感激したような大袈裟な芝居を打ってカーテシーを行った。


(こいつだ。この男が、私の家族を……)


胸の奥底で、氷のような殺意がどくどくと脈打つ。


だが、私の顔に張り付いた完璧な愛想笑いは一ミリも崩れなかった。


「噂は聞いているよ。領地で莫大な富を得たそうだな。だが、王都の社交界は金だけでは渡り歩けん。我々のような歴史ある家門の『庇護』が必要だろう?」


ウィクリフ侯爵は、私の莫大な資産を自分の派閥に取り込もうと、あからさまな値踏みの視線を向けてきた。


「ええ、ええ、本当にその通りですわ! 父上も戸惑っておりまして……。私、お金の使い道もよく分からなくて。ぜひ、閣下のような偉大なお方に、投資の『ご指導』を賜りたいと存じておりましたの!」


私の「愚かで扱いやすい金蔓」という演技に、どうやら侯爵殿も引っかかってくれたらしい。


彼の口角が満足げに吊り上がった。


「ふふ、素直でよろしい。近いうちに、私の投資サロンに招待しよう。平民どもがこそこそと商売を広げている昨今だが、この国の富は、我々選ばれた貴族が独占し、管理してこそ意味があるのだからな」


「まあ、素晴らしいお考えですわ!」


私は扇で口元を隠しながら、腹の底で冷たく嘲笑した。


(せいぜい今のうちに威張っていることね。あなたのその傲慢さが、命取りになるのだから)






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