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第三章⑤

運命の日の正午。


王都の心臓部であるエクスチェンジ・アレイ(金融街)は、いつものようにアウルム会社の株を求める投資家たちの熱狂的な怒号に包まれていた。


株価はついに金貨600枚という狂気の最高値に達していた。


その狂騒の中、コーヒーハウスの片隅に座っていた代理人のオズワルドが、懐中時計をパチンと閉じた。それが合図だった。


王都中に散らばる孤児シンジケートのランナーたちが、一斉に動き出した。


「売りだ! アウルム株、保有する全てを現在の価格で売り払う!!」


オズワルドをはじめとする十数人のシンジケートの代理人たちが、手持ちの発起人株を市場へ一斉に放出した。


あまりにも巨大な売り注文に、市場は一瞬静まり返り、そして直後に疑心暗鬼のざわめきが広がった。


そこに、致命的な一撃が投下された。


「号外! 号外だ!! アウルム会社は完全な詐欺! 金鉱脈は存在しない! 王家の許可書は偽造!」


新聞売りの少年たちが、インクの匂いも真新しい号外を広場中にばら撒き始めたのだ。


そこには、アウルム会社の実態が空っぽであること、船の建造記録すらないことが、詳細な証拠と共に完璧に暴かれていた。


「な、なんだと……!? 嘘だ、そんなはずはない!」


「株を売れ! 今すぐ! いくらでもいいから手放せ!!」


熱狂は一瞬にして底知れぬパニックへと変貌した。


売りが売りを呼び、金貨600枚だった株価は、わずか一時間で金貨10枚まで大暴落した。


そして午後三時になる頃には、株券は文字通り「紙くず」へと変わっていた。


借金をしてまで株を買っていた貴族や投資家たちは、コーヒーハウスの床に泣き崩れ、ある者は絶望のあまり自らの頭を撃ち抜いた。


王都の経済を揺るがす巨大バブルの崩壊——歴史に刻まれる狂乱の終焉だった。





同日の夕刻。


王都の一等地にあるウィクリフ侯爵の豪邸は、死に絶えたような静寂と、冷たい恐怖に包まれていた。


「……嘘だ。何かの間違いだ。私の領地が、財産が、全て紙くずになっただと……?」


執務室で頭を抱えるウィクリフ侯爵の前に、私とノアは静かに足を踏み入れた。


「アッシュボーン令嬢……! おお、君か! 助けてくれ、君の資金で私に融資を……っ!」


侯爵は私を見るなり、すがりつくように手を伸ばしてきた。


数日前までの傲慢な態度は見る影もなく、醜く老いさらばえた敗者の顔だった。


私は侯爵の手を冷たく払い除け、ソファーに深く腰を下ろした。


「融資? 冗談でしょう、侯爵閣下。私は今日、あなたに貸し付けた『借金』の回収に参りましたのよ」


「……何?」


ノアが一歩前に進み出で、分厚い債権書類の束を机の上に放り投げた。


「ウィクリフ侯爵。あなたがアウルム株を追加購入するために領地や屋敷を担保に入れて金を借りた市中の高利貸しは、全て我々の企業です。……市場の暴落により担保価値が著しく損なわれたため、契約条項に基づき、借入金全額の『即時一括返済』を求めます」


「な……高利貸しが、君たちの……? では、あの詐欺会社も、すべて君が……!?」


侯爵の目が驚愕に見開かれ、そして激しい怒りに染まった。


「き、貴様ぁ! 私を嵌めたな! この詐欺師の小娘が!!」


「何をおっしゃいます? 詐欺なんて、証拠なんてどこにもないでしょう? あなたはご自身の強欲さに目が眩み、勝手に借金をして、勝手に暴落する紙切れを買っただけ。すべては合法的な『自由市場の自己責任』ですわ」


私はドレスの隠しポケットから、あの『銀のコンパクトミラー』を取り出し、侯爵の目の前に掲げた。


「ですが……ええ、そうですね。私があなたをこの破滅のゲームに招待した『動機』くらいは、冥途の土産に教えて差し上げましょう」


冷たい銀の表面に施された装飾と、裏側に刻まれた小さな『C』のイニシャルを侯爵の顔の前に突きつける。


「この鏡……あなたがかつて、手下の貴族を使って奪い取らせた『戦利品』ですわ。見覚えがあるでしょう?」


侯爵は血走った目で鏡を睨みつけ、やがてハッと息を呑んだ。その顔から、さらにさあっと血の気が引いていく。


「ま、まさか……お前は、あの時のガキ……!」


「私の両親は、あなたのそのくだらない既得権益とプライドを守るためだけに殺されました。私はあの日、あなたたちから全てを奪い返し、社会システムごと破滅させると誓ったのです」


私は氷のように冷たい声で、侯爵を見下ろした。


「侯爵閣下。あなたはもう一文無しの破産者です。あなたの領地も、この屋敷も、美術品も、着ているその服すらも、全て借金のカタとして私が合法的に差し押さえました」


「ふ、ふざけるな!!」


侯爵は狂乱し、机の引き出しから護身用の拳銃を引き抜こうとした。


「貴様らのような平民のゴミに、私が敗北するなどあり得ん! ここで貴様らを殺し、証拠を全て焼き払ってやる! おい、護衛の者! 殺し屋ども、出出え!!」


だが、侯爵がいくら叫んでも、部屋には誰も入ってこなかった。


「無駄ですよ、侯爵」


ノアが冷たく告げた。


「あなたが金で雇っていた裏社会の掃除屋も、屋敷の私兵も、全て私たちが制圧しました。金で買われた忠誠など、金が尽きればその瞬間に消え失せるものです。ご理解いただけましたか? もはや支配者は貴方ではない。我々なのです」


その言葉を証明するように、執務室の扉が重々しく開かれた。


入ってきたのは、王都の治安維持を司る近衛騎士団と、数人の新聞記者たちだった。


「ウィクリフ侯爵。国家反逆罪、詐欺罪、および複数件の殺人教唆の容疑で逮捕する」


騎士団長が冷酷に告げた。


「な、なぜ近衛が……!」


「アウルム会社の詐欺だけではありません。あなたがこれまで行ってきた不正蓄財、関税の横領、そして政敵や平民の暗殺を命じた指示書の全てを、私は前もって司法省と新聞各社に提出しておきましたの」


私は立ち上がり、侯爵にトドメを刺した。


「明日の朝刊のトップ記事は、あなたの輝かしい犯罪の歴史と、無様な破産のニュースで持ちきりでしょう。あなたの派閥に属していた貴族たちも全員、同じ運命を辿ります」


侯爵は床に膝から崩れ落ちた。


金、地位、権力、名誉。彼が誇り、弱者を虐げるために使ってきたその全てが、今、完全に消滅したのだ。


「連行しろ」


騎士たちの手によって、侯爵は両手に手錠をかけられ、呆然としたまま引きずり出されていった。彼を待っているのは、暗く冷たい地下牢と、絞首台への短い道のりだけだ。


執務室に残された私とノアは、崩壊した旧体制の象徴である豪華な部屋を静かに見回した。


「……終わったな、クロエ」


ノアが深く息を吐き出し、私の肩に優しく手を置いた。


「……そうね」


私は手の中のコンパクトミラーを強く握りしめた。冷たかった銀の表面が、今は私の体温で確かに温まっている。


復讐は終わった。


だが、私の心の中にあるのは、前世で感じていたような虚無感ではなかった。





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