第三章④
「クロエ、市場が完全に狂っている!」
数週間後、地下オフィスに駆け込んできたノアが、汗にまみれた報告書を机に叩きつけた。
「アウルムの株価は現在、金貨300枚を突破! コーヒーハウスには株を求める群衆が殺到して、暴動寸前だ! あのウィクリフ侯爵の派閥の連中も、完全に理性を失っている。昨日なんて、侯爵本人が追加で株を買うために、先祖代々の広大な領地を担保にして、市中の高利貸しから莫大な借金をしたそうだぞ!」
「ふふっ……あははははっ!」
私は思わず、声を上げて笑い出した。
「やった! やったわ!! 素晴らしい! 侯爵が金を借りた高利貸し、それ、私たちのシンジケートのフロント企業だもの。奴は、私から株を買うために、私から金を借りて、自分の領地を私に差し出しているのよ。ふひひっ! お腹痛いっ!」
「心底嬉しそうだね」
ノアが呆れたようにため息をついたが、その顔にも高揚した笑みが浮かんでいた。
「信用買いの罠よ。株価が上がり続けると盲信しているから、借金をしてでも買おうとする。そして、買った株そのものを担保にして、さらに金を借りる。……完璧なバブル経済の完成ね」
私は黒板に書かれた「300」という株価の数字を、チョークでさらに「500」へと書き換えた。
「侯爵の派閥に属する貴族たちの資産状況は?」
「ほぼ全員が、流動資産のすべてをアウルム株に突っ込んでいる。屋敷、馬車、美術品、さらには娘の持参金まで担保に入れている者もいる始末だ。奴らの総資産の八割が、今や我々の空虚な会社の株に変換されている」
「まさに黄金の蜘蛛の巣ね。自ら喜んで絡め取られに来るのだから」
私はランプの火を消し、薄暗くなった部屋でノアを振り返った。
その表情には、令嬢としての愛想笑いも、子供としての無邪気さも一切ない。
冷酷な処刑人としての顔だけがあった。
「……そろそろ、刈り取りの時間よ」
「ついにやるか。どう動くんだ?」
私は前世の金融知識のすべてを込めて、最後にして最大の命令を下した。
「明日の正午。金融街が最も熱狂している時間帯を狙うわ。私たちが密かに保有しているアウルム会社の発起人株(大量の初期株)を、市場で一斉に売り払う。同時に、私たちが買収した全ての新聞社に号外を出させなさい。見出しはこうよ。——『アウルム会社は完全な詐欺。金鉱脈は存在せず、王家の許可書も偽造されたものだった』」
「……市場は大暴落を起こす。借金をして高値で株を買った貴族たちは、一瞬で莫大な負債だけを抱えて破産することになる」
ノアが、これから起きる地獄絵図を想像して息を呑んだ。
「その通り。そして暴落した直後、担保価値が消滅した侯爵たちに対し、借金の『即時一括返済』を迫るの。払えなければ、彼らの領地も、屋敷も、特権も、すべて合法的かつ強制的に差し押さえる」
私は隠し持っていた銀のコンパクトミラーを強く握りしめた。
「物理的な刃物で殺したところで、奴らは殉教者ぶるだけ。でも、金で狂い、金で全てを失えば、奴らは社会の底辺で無様な泥をすすることになるわ。私の家族を奪った連中に、これ以上の特等席はないでしょう?」
「了解した。シンジケートの全ランナーを配置につかせる。明日の正午、貴族社会の心臓に、この経済のギロチンを振り下ろそう」
ノアが深く頷き、部屋を出ていく。
私は一人残された部屋で、明日の朝焼けよりも赤い、復讐の炎に胸を焦がしていた。
何年も待ちわびた瞬間が、すぐ目の前まで迫っていた。
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