第22話 臆病な魔術師と、孤児院と、光の蝶と
クロエの指導から一夜が明けた。
第三特務分隊の兵舎には奇妙な、しかし確かな変化が訪れていた。
アッシュは相変わらず部屋の隅で鞘鳴りを響かせているが、その動きにはもはや一切の雑念がない。彼はただひたすらに己の剣と向き合っていた。
クロエは壁に寄りかかる定位置は変わらないが、その視線はもはや俺への敵意ではなく純粋な好奇と、そしてどこか探るような色を帯びている。
リアムは腕を組んでその全てを黙って見つめている。彼の反抗的な態度は変わらないが、その奥にある拒絶の壁は少しだけ低くなったように見えた。
そして俺は部屋の最も奥、壁際で小さくなっている最後の問題児へと視線を向けた。
「フィン・スチュワート」
俺がその名を呼ぶと彼の肩がびくりと大きく跳ねた。
「ひゃ、はいぃ」
「貴様の番だ。ついてこい」
「……え。あ、あの、どこへ……。ま、まさか、わ、私を、あの、森の奥に連れて行って魔物の餌に……」
「……貴様はもう少し黙っていることを覚えろ」
俺は彼の被害妄想をばっさりと切り捨て、有無を言わさず兵舎の外へと連れ出した。
◇ ◇ ◇
俺がフィンを連れて向かったのは訓練場ではなかった。
騎士団の敷地を出て王都の城下町を抜け、その先にある古びた一軒の建物。
聖女セレスティアが今でも自主的に「修行」を続けている、あの孤児院だった。
「……あ、あの、教官殿。ここは……?」
フィンは周囲をきょろきょろと見回しながら不安げに尋ねる。
俺は答えず、孤児院の扉を開けた。
中庭では数人の子供たちが楽しそうに駆け回っていた。そしてその中心には、泥だらけになりながらも心からの笑顔を浮かべている聖女セレスティアの姿があった。
「あ、マスター」
俺の姿に気づいたセレスティアがぱっと顔を輝かせて駆け寄ってくる。その姿はもはや聖女というより、ただの心優しい少女だった。
「ご指導ありがとうございます。今日も子供たちと『力』ではなく『心』で触れ合うことの尊さを、学んでおりました」
……だからその勘違いはやめてくれ。
俺は彼女の有り難迷惑な報告を適当に聞き流し、背後で固まっているフィンを前に押し出した。
「フィン・スチュワート。貴様の今日の課題だ」
俺は中庭で遊ぶ子供たちを指差す。
「貴様の魔法で、あの子らを喜ばせてみせろ」
「…………は?」
フィンがぽかんとした顔で俺を見つめた。
無理もない。彼は自分の魔法が誰かを喜ばせるために使えるなどと、考えたこともなかっただろうから。
「で、ですが私の魔法は……その、危険です。もし暴走して子供たちに怪我でもさせたら……」
「暴走、か」
俺は彼の言葉を遮る。
(典型的な高火力・低耐久のガラスキャノン。だがそれだけじゃない。こいつは常に自分に『恐怖』というデバフをかけている。ゲームなら命中率に強力なマイナス補正がかかる状態異常だ。技術の問題じゃない、メンタルの問題だ)
「貴様が狙いを外すのは技術の問題ではない。ただ心が弱いだけだ。貴様は自分の力を恐れすぎている」
俺の言葉にフィンの顔が青くなる。
その時、セレスティアがそっと彼の隣に立った。
「……フィンさん、と仰いましたね。わかりますわ、そのお気持ち」
彼女は慈愛に満ちた笑みを浮かべて言った。
「わたくしもそうでした。自分の力が誰かを傷つけるのではないかと常に恐れておりました。ですがマスターは教えてくださったのです。力とはただ大きく振うものではないのだと」
セレスティアは自分の手のひらを広げ、そこに小さな光を生み出した。
それはただ温かく穏やかな光だった。
「大切なのは力の大きさではありません。それをどう使うかという『心』なのです。さあ、試してみて」
聖女の言葉にフィンは何かを決意したように、震える手をおずおずと前に突き出した。
彼は目を閉じ必死に集中する。
やがてその指先に米粒ほどの小さな光が灯った。
それは今にも消え入りそうな弱々しい光だった。
だがその光を見つけた一人の少女が駆け寄ってきた。
「わあ、きれい。おほしさまみたい」
少女の曇りのない言葉。
フィンはびくりと目を開けた。
自分の魔法が誰かに「きれいだ」と言われたのは、生まれて初めてのことだった。
「……え、あ……」
彼は戸惑いながらも、もう一度指先に光を灯す。
すると他の子供たちも「わたしも」「ぼくも」と次々に集まってきた。
子供たちの純粋な好奇の目に囲まれて、フィンの身体から少しずつ力が抜けていくのがわかった。
彼は意を決して、もう少しだけ複雑な魔法を試みることにした。
原作ゲームで魔術師クラスが最初に覚える無害な幻術魔法。
彼が呪文を唱えると、その指先から七色に輝く光の蝶が数匹、ふわりと舞い上がった。
「わー」
「ちょうちょだ」
子供たちから歓声が上がる。
光の蝶はひらひらと中庭を舞い、子供たちの指先や鼻の頭に止まっては光の粒子となって消えていく。
子供たちはそれを追いかけ、きゃっきゃと笑い声を上げた。
フィンはその光景をただ呆然と見つめていた。
自分の力が誰かを傷つけるのではなく、誰かの笑顔を生み出している。
その事実が彼の心の奥底に凍りついていた恐怖を、少しずつ、しかし確実に溶かしていく。
彼はそっと自分の手のひらを見つめた。
今まで呪われたものだと忌み嫌ってきたこの手。
だが今は少しだけ、温かいもののように感じられた。
臆病な魔術師の心の氷が溶け始めた、その瞬間だった。
俺はそんな彼の姿を静かに見つめていた。
そして隣で「さすがはマスターです。彼の心の傷を癒やすために、あえて聖域であるこの場所を……」などと、またしても壮大な勘違いを始めている聖女様からそっと視線を逸らすのだった。




