第4話 灼熱の昼、厳寒の夜(2)
太陽が沈むと同時に、世界は一変した。
昼間のあの暴力的なまでの熱気が引き潮のごとく去り、代わりに骨の髄まで凍みるような冷気が砂漠を支配し始める。
「……っ、寒……」
わたしは両腕を抱きしめ、身震いした。
カミラ特製の衣装は、昼間は快適だったけれど、今はただの薄布でしかない。剥き出しの肌を、冷たい風が容赦なく撫でていく。
「ミリアさん、これを」
すかさず、アズールが荷物から厚手のマントを取り出し、わたしの肩にかけてくれた。
ふわりと包み込まれた瞬間、焚き火のそばにいるような温もりが広がる。
「暖かい……これ、魔道具?」
「ええ。保温と防風のルーンを織り込んだ特製品です。貴女に風邪を引かせるわけにはいきませんから」
アズールは優しく微笑み、わたしの胸元でマントの留め具を合わせてくれる。
「……それにしても、この冷え込みは想定以上ですね。ボクもローブの術式だけでは保温が追いつかないようだ」
彼は荷物から自分用のマントを取り出すと、慣れた手つきで優雅に身に纏う。
その横から、ガシッと大きな手が伸びてきた。
「おい、アズール。俺の分はねえのかよ?」
ブレイズもまた、昼間の薄着のままだ。
さすがの彼も、急激な気温の変化に腕をさすっている。
しかし、アズールは氷点下の砂漠よりも冷たい視線を兄に向けた。
「あるわけないでしょう」
「ああん?」
「その無駄に分厚い筋肉の鎧は、何のためにあるんです?それこそが、あなたにとっての最高級の防寒着なのでは?」
「……てめえ」
アズールの慇懃無礼な物言いに、ブレイズのこめかみに青筋が浮かぶ。
「この陰険野郎がッ!!」
ブレイズは野獣のような咆哮を上げると、アズールが自分のために羽織っていたマントをひったくった。
「よこせッ!俺が風邪引いたら誰が魔物と戦うんだよ!」
ブレイズは奪い取ったマントを羽織り、「ふん、ざまあみろ」と勝ち誇った顔をする。
しかし、アズールは奪われたことに怒るどころか、やれやれと大袈裟に肩をすくめ、深い溜息をついた。
「まったく、野蛮人は短気で困りますね」
彼は慌てる素振りすら見せず、再び荷物袋に手を伸ばすと、涼しい顔で新しいマントを取り出した。
「……あ?」
ブレイズの動きが止まった。
彼は自分の肩にかかっているマントを見下ろし、次にアズールが新しく出したマントを見る。
もう一度、自分のマントを見る。
そして、アズールを見る。
信じられないものを見るかのように、二度、三度と視線を往復させる。
「……おい」
「何です?」
「なんで、もう一枚あるんだよ」
「備えあれば憂いなし。常識でしょう?」
「……やっぱり持ってんじゃねえか、この用意周到インテリ野郎ッ!!」
ブレイズの絶叫が、夜の砂漠に木霊した。
優雅にマントを纏う弟と、「謀りやがったな!」と喚く兄。
いつもの騒がしいやり取りに、わたしは思わず吹き出してしまった。
凍えそうだった身体も、この二人を見ているとなんだかポカポカしてくるから不思議だ。
◇
商隊の人たちと囲む夕食は、簡素ながらも温かいものだった。
固く焼き締められたパンを、干し肉と豆を煮込んだ熱々のスープに浸して食べる。
冷え切った身体にスープの熱が染み渡り、スパイスの香りが食欲を刺激した。
砂漠の夜は静寂に包まれている。
焚き火の爆ぜる音だけが、パチパチと心地よいリズムを刻んでいた。
食事の後、そりの脇に毛布を敷き、三人で身を寄せ合う。
見上げれば、そこには息をのむような光景が広がっていた。
「……すごい」
思わず声が漏れる。
視界の全てを埋め尽くすほどの、満天の星。
空気が澄んだ砂漠の空には、宝石箱をひっくり返したような星々が、今にも降ってきそうなほど近くに瞬いている。
天の川が白く太い帯となって夜空を両断し、その間を流れ星がいくつも尾を引いて駆けていく。
「帝都の空とは比べ物にならねえな」
ブレイズがわたしの右側に座り、大きな身体で風を遮ってくれる。
彼の体温がマント越しにも伝わってきて、心地よい。
「ええ。これほど澄んだ星空は、空気が乾燥し、光害のないこの地ならではの絶景です」
砂の上に敷いた毛布の上で、わたしたちは自然と身体を密着させた。
右にはブレイズの逞しい体温があり、左にはアズールの静かな温もりがある。
わたしはその真ん中で、二人とマントを共有するようにして包まれていた。
「綺麗……。まるで、世界が宝石でできているみたい」
ブレイズがわたしの肩を抱き寄せ、アズールがわたしの手に自分の手を重ねてくる。
二人の体温が、マントの中で混ざり合い、わたしを芯から温めてくれる。
寒いはずの砂漠の夜が、今はとても温かく、そして愛おしく感じられた。
「……ねえ」
「ん?」
「どうしました?」
わたしは夜空を見上げたまま、二人の手をぎゅっと握り返した。
「こうして三人で星を見ていると、なんだか不思議ね。世界の秘密とか、過去の記憶とか……そういう難しいこと、全部どうでもよくなっちゃいそう」
ただ、この温もりがあればそれでいい。
そんな想いが口をついて出そうになる。
わたしは二人の手を握りしめた。
ブレイズの大きくゴツゴツした手と、アズールの白くしなやかな指。
過去の記憶はなくとも、今、この瞬間、愛しい二人が隣にいる。その事実だけで、わたしの心は満たされていた。
「……面倒事は俺たちが背負ってやるよ」
ブレイズが、わたしの髪に頬ずりをした。
「お前はただ、笑って、美味い飯食って、俺たちの腕の中で安心してりゃいいんだ」
「兄さんにしては、良いことを言いますね」
アズールもまた、わたしの肩に頭を預けてきた。
「過去がどうあれ、今、あなたの隣にいるのはボクたちです。それはこの先も、変わりません」
わたしは幸せを噛み締めるように目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
冷たい夜気の中に、二人の匂いと、焚き火の香りが混じっていく。
「……うん。ありがとう」
満天の星の下、わたしたちは互いの体温を確かめ合うように、静かな夜の時間を過ごした。




