第3話 灼熱の昼、厳寒の夜(1)
「……あー、クソッ。暑いな」
フォルトゥナを出発したわたしたちは、商隊と一緒に砂漠を横断していた。ソリには日よけの幌が設置され、カミラに見立ててもらった魔導繊維の衣装も着ている。
けれど、灼熱の太陽と、砂面からの強烈な照り返しは、そんなささやかな抵抗を嘲笑うかのように容赦なく肌を焼く。
喉が渇くたびに水筒に口をつけるが、すぐにまた身体の水分が奪われていく感覚がある。
「文句を言わないでください、兄さん。体温が上がりますよ」
ふと隣を見ると、アズールが何食わぬ顔で涼しげに本を読んでいた。
一見厚着に見える賢者のローブの温度維持効果は抜群らしい。
「てめえだけ涼しい顔してんじゃねえよ、陰険モヤシが」
反対隣に座るブレイズが、不機嫌そうに唸った。
狭いソリの中で、二人の大男が膝を突き合わせていがみ合っている。
暑さのせいか、それともわたしの隣というポジションを巡っての牽制か、二人の間にはバチバチとした火花が散っていた。
わたしを挟んで右にブレイズ、左にアズール。
どちらも譲らず、結果としてわたしは二人の体温と筋肉にサンドイッチにされ、外気以上の熱気に包まれていた。
「……二人とも、ケンカしないの。暑さが増すわ」
わたしが苦笑交じりに諌めると、アズールが不意にわたしの顔を覗き込んだ。その整った眉がわずかに顰められる。
「ミリアさん、唇が乾いていますね」
「え?」
「乾燥しています。この日差しと乾燥した風は、あなたの美貌には毒だ」
アズールは懐から小さな貝殻製の容器を取り出した。蓋を開けると、ふわりとミントと蜂蜜の甘い香りが漂う。
彼は自身の細く長い人差し指で、半透明のバームをたっぷりと掬い取った。
「じっとしていてください」
「……ん」
唇に感じる、ひやりとした感触。
驚くほど優しいタッチで、彼は丁寧に軟膏を塗り込んでいく。
指先から伝わる彼の執着と、わずかな劣情。
ただリップクリームを塗られているだけなのに、くすぐられるような背徳感に背筋が震えた。
指の腹が唇の輪郭をなぞり、ぷるんとした感触が戻ってくる。ミントのような清涼感と、微かな甘い香りが鼻孔をくすぐった。
「ん、冷たくて気持ちいい」
「でしょう?特製の保湿バームです」
わたしが嬉しそうに目を細めると、アズールも満足げに微笑んだ。
その穏やかな空気を、低い怒声が切り裂く。
「おい、アズール!てめえ、ミリアに何してやがる!」
不機嫌さを隠そうともしない空色の瞳が、アズールの指を睨みつけている。
彼は臙脂色のベストの前を大きくはだけさせ、手を団扇のようにバタバタと動かしながら、猛烈な形相でアズールを睨みつけている。
「見ての通りですが?乾燥から彼女の唇を守っているのです」
アズールは涼しい顔で、わたしの唇から指を離した。そして、わざとらしくため息をつく。
「兄さんのように、ただ暑さに喘ぎ、涎を垂らして見ていることしかできない獣とは違いますので。ボクは常に効率的に、彼女のコンディションを管理しているのですよ」
「んだとコラ……!」
アズールの冷ややかな挑発に、ブレイズのこめかみに青筋が浮かぶ。
しかし、ブレイズはすぐにニヤリと不敵な笑みを浮かべると、強引にわたしの肩を引き寄せた。
「なら、俺にも分けろよ」
「えっ、ブレイズ……?」
言うが早いか、ブレイズの顔が目の前に迫り、熱い唇がわたしの唇を塞いだ。
「んんっ……!?」
驚いて目を見開くわたしの唇を、彼が食むように味わう。
塗りたてのバームが、二人の唇の間で溶け合い、馴染んでいく。
一瞬の、けれど濃厚なキスの後、ブレイズは満足げに唇を離し、舌なめずりをした。
「これで俺の唇も潤ったな」
「何て野蛮なことを……衛生観念はどうなっているんですか」
アズールがわなわなと震えているが、ブレイズはどこ吹く風だ。
彼は後ろの荷物袋をごそごそと漁ると、真っ赤に熟れた果実を取り出した。
砂漠のオアシスで採れるという、瑞々しいザクロだ。
「ほらミリア。水分補給もしとかねえとな」
彼が大きな手で器用にザクロを割ると、ルビーのように輝く果肉が顔を出した。
一粒つまんで、わたしの口元に差し出してくる。
「ほら、口開けろ」
「……もう、強引なんだから」
わたしは呆れつつも、差し出された果実を口に含んだ。
甘酸っぱい果汁が弾け、乾いた喉を潤していく。
「ん……美味しい。すごく瑞々しいわ」
「だろう?砂漠じゃこういうのが一番効くんだよ」
その様子を、アズールが恨めしそうに、けれど羨ましそうに見つめているのに気づいた。
わたしの中の悪戯心が、くすぐられる。
嫉妬深い「お月サマ」のご機嫌もとってあげないと、不公平だものね?
わたしはブレイズの手からザクロの欠片を一つ受け取ると、アズールの方へ向き直った。
「アズールも、ほら」
「……え?」
「あーん、して?」
わたしが赤い果実を差し出すと、アズールは目を見開き、頬を朱に染めた。
さっきまであんなに大胆にリップを塗ってくれたのに、こういう事には慣れていないらしい。
「い、いや、ボクは……」
「いいから、あーん?」
上目遣いで問いかけると、彼は「うっ」と言葉を詰まらせる。
躊躇うように視線を泳がせる彼の唇は、緊張で固く結ばれている。
「ふふ、頑固な唇」
わたしは空いた片手の人差し指を伸ばし、彼の薄い唇にそっと触れた。
ト、ト、とノックするように優しく叩き、下唇をなぞる。
「……開けて?」
甘く囁くと、アズールは観念したように、ほう、と熱い息を漏らして口を開いた。
わたしはザクロを彼の口へと運び入れる。
彼がそれをハムりと含んだ瞬間、わたしは引き抜きかけた指先を、わざと彼の舌に押し付けた。
「っ……!?」
アズールの肩がビクリと跳ねる。
ザラリとした舌の感触と、熱く湿った口腔内の温度が、指先から直接伝わってくる。
わたしはねっとりと指を這わせ、彼の舌を愛でるようにしてから、ゆっくりと指を引き抜いた。
銀の糸が、とろりと空中に描かれる。
「……美味しいでしょう、アズール?」
わたしは妖艶に微笑み、アズールの唾液とザクロの果汁が混ざった自分の指を、見せつけるように舐め取った。
「~~ッ!!」
アズールは耳まで真っ赤になり、言葉を失って口元を押さえている。
ブレイズが「お前ら、俺を置いてイチャついてんじゃねえぞ!」と騒いでいる。
灼熱の砂漠の真ん中、狭いそりの中は、外の気温よりも遥かに熱い、甘い熱気に満たされていた。




