第14話 水底の泥龍(3)
シャァァッ!!
サーペントは怒り狂い、水面を爆発させて襲いかかってきた。
巨体が砲弾のように飛来する。
「ッ!」
わたしは左に跳び、押し寄せる泥の津波を回避する。
ドォォン!!
先ほどまで立っていた場所が、巨大な顎によって粉砕された。
飛び散る泥が頬を打ち、腐臭が鼻をつく。
「オラオラァ!どこ見てやがる、トカゲ野郎!」
再びブレイズが大剣で岩盤を叩き割り、轟音と共に盛大な土煙を上げた。
「グルルアアァァ!!」
標的変更。
サーペントが鎌首をもたげ、ブレイズに向かってブレスを吐き出そうと喉を膨らませる。
その瞬間、わたしは視線を走らせた。
アズールッ!
岩陰で杖を掲げたアズールの周囲で、空気がピリピリと凍てつき始めていた。
その青い瞳が、カッと見開かれ、わたしを捉える。
――準備完了。
音のない声が、確かに聞こえた気がした。
「今よッ!!」
わたしの叫びが、合図だった。
「『凍てつき、沈黙せよ』!!」
アズールが杖を湖面へと振り下ろした。
パキィィィンッ!!
空気が凍りつくような硬質な音が響き渡る。
杖の先から放たれた冷気は、瞬きする間もなく湖面を疾走した。
波打つ泥水が、跳ね上がった水飛沫が、その形状を保ったまま白く染まり、硬化していく。
広大な地底湖の表面が、分厚い氷の鏡へと変貌を遂げた。
「ギャッ……!?」
ブレスを吐こうとしていたサーペントが、異変に気づいて身をよじる。
逃げようと水面へ身体を沈めようとするが――遅い。
下半身はすでに氷にガッチリと固定され、水面という「蓋」によって退路を完全に断たれていた。
逃げ場を失い、巨体が氷の上でもがく。
その衝撃で体勢を崩し、無防備な顎の下がガラ空きになった。
「そこだァァァッ!!」
待ち構えていたブレイズが、氷の上を滑るように踏み込み、真下から大剣をカチ上げた。
「喰らいやがれッ!!」
ドゴォォォォォォンッ!!
全体重と遠心力を乗せた渾身のアッパーカットが、サーペントの下顎を直撃する。
カシムの投げた曲刀で傷ついていた鱗が、耐えきれずに砕け散り、装甲が弾け飛んだ。
その奥で、剥き出しになった赤黒い核が、恐怖するように震えているのが見えた。
「道は開けたぜ、ミリア!!」
「ええ、貰ったわッ!!」
わたしはブレイズの背中を踏み台にして高く跳躍した。
空中できりもみ回転を加え、落下の勢いと、全身全霊の魔力を双剣に込める。
「これで――終わりよッ!!」
ヒュンッ!!
流星のような二筋の銀光が、赤く輝く核を十字に切り裂いた。
パァァァンッ!!
ガラスが割れるような甲高い音が響き渡り、核が粉々に砕け散る。
断末魔の叫びすら上げる間もなく、巨大な蛇の形をしていた砂の塊は、瞬く間に結合を失い、ドサドサとただの泥山となって崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……ッ」
わたしは着地と同時に膝をつき、肩で息をした。
泥と汗にまみれ、手足が鉛のように重い。
目の前には、動かなくなった巨大な砂の山と、砕けた氷が散乱しているだけだ。
「……へへ、やったな……」
ブレイズが大剣を杖代わりにして、ふらつきながら親指を立てる。
アズールも岩陰から出てきたが、顔色は青白く、杖を持つ手が震えていた。広範囲の凍結魔法で、魔力を使い果たしたのだろう。
「なんとか……計算通り、ですね……」
満身創痍。
けれど、わたしたちは勝ったのだ。
わたしは震える足で立ち上がり、二人に笑いかけた。
「ええ……お疲れ様、二人とも」
勝利の余韻に浸りながら、わたしが二人に駆け寄ろうとした、その瞬間だった。
プシュゥゥゥゥ……ッ!!
崩れ落ちたサーペントの泥山から、腐った果実のような甘ったるい異臭と共に、どす黒い霧が噴き出した。
それは煙幕のように広がるのではなく、まるで意思を持った触手のように、わたしと、一番近くにいたブレイズへと襲いかかる。
「なっ……!?」
「うおっ!なんだこりゃ!?」
反応する間もなかった。
視界が瞬時に闇に塗り潰される。
わたしは慌てて口元を覆ったが、まとわりつくような湿った黒霧は、皮膚から直接染み込んでくるようだった。
「ゲホッ、ゲホッ……!ブレイズ、アズール!無事!?」
答えはない。
ただ、耳鳴りのようなキーンという音が頭蓋骨の裏側で響いている。
平衡感覚が狂い、世界がぐにゃりと歪むような吐き気。
……毒?それとも、精神攻撃……?
わたしは霞む視界を必死に凝らし、双剣を構えた。
濃密な霧の向こうから、ズルリと巨大な影が這い出してくる。
「グルルルゥ……ッ」
おぞましい唸り声。
そこにいたのは、さきほど倒したはずのサーペント――いや、もっと歪で、全身からヘドロを滴らせた、人型の泥人形だった。
けれど、その顔には目も鼻もなく、ただ憎悪を形にしたような虚ろな穴が開いているだけだ。
「――ッ、まだ生きていたの!?」
わたしは戦慄した。
核は砕いたはずだ。なのに、この殺気はどういうこと?
泥人形が、丸太のように太い腕を振り上げ、咆哮を上げる。
「ガァァァァァァッ!!」
明確な殺意が、肌を刺すように伝わってくる。
思考する余裕などない。生存本能が、身体を突き動かした。
「くっ……!」
わたしは反射的に地を蹴り、振り下ろされた豪腕を紙一重で回避した。
ドゴォンッ!!
地面が割れる凄まじい衝撃。あの一撃、まともに食らえば即死だ。
「しつこい奴ね……!今度こそ微塵切りにしてやるわ!」
わたしは双剣を逆手に持ち替え、泥人形の懐へと飛び込んだ。
狙うは首。
銀閃が走る。
ガギィィィンッ!!
「ぐっ……!?」
わたしの双剣が、泥人形の腕――いや、硬質な金属のような何かによって、強引に弾き返された。
重い。
岩をも砕くような、圧倒的な膂力。
そして、野生動物のような反応速度。
……なんなの、こいつ……?
泥人形の虚ろな顔が、わたしを睨んでいるように見えた。
泥人形が、大剣のように巨大化した腕を振りかぶる。
その軌道、踏み込みの深さ。
熟練の戦士だけが放てる、必殺の一撃。
気を抜けば殺される!
そう直感したわたしは、双剣を交差させ、全霊で迎え撃つ覚悟を決めた。




