第12話 水底の泥龍(1)
そこは、息を呑むほどの広大な空間だった。
天井には無数の鍾乳石が垂れ下がり、その切っ先から滴り落ちる雫が、足元に広がる広大な地底湖の水面を揺らしている。
湖の対岸、その奥まった場所に、この洞窟で唯一の人工物が存在していた。
長い年月を経て磨耗した石段が、湖畔から小高い祭壇へと続いている。
その祭壇の上で、ひと際強い輝きを放つ黄金の光。
『真昼の瞳』。
まるで太陽の欠片を切り取ったかのようなその宝玉は、暗闇の中で脈打つように、神々しく、そしてどこか苛立たしげに鎮座していた。
「あれが……ボクたちが探していた、三つ目の宝玉ですか」
「ええ。間違いないわ」
わたしの中の血が騒ぐ。魂が、あそこへ行けと叫んでいる。
けれど、わたしの本能は同時に、警鐘を鳴らしていた。
本来なら清浄な水が満ちているはずの聖域。
けれど、目の前の湖面は、澄んだ清流とドス黒い濁流がマーブル模様のように混ざり合い、腐った泥のような異臭を放っていた。
ゴボッ……ゴボボボッ……。
静寂に包まれていた地底湖が、突如として不気味に泡立ち始めた。
腐った泥の臭いが強くなる。
ザバァァァッ!!
轟音と共に、湖の中心から巨大な水柱が突き上がった。
降り注ぐ泥水の雨の中、鎌首をもたげたのは、城壁のように巨大な蛇だった。
いや、蛇ではない。
無数の砂と泥が凝縮し、巨大な一本の塔のように組み上がった、おぞましい砂の怪物――サンドサーペント。
「なっ……!?」
あのブレイズでさえ、その圧倒的な質量に息を呑み、一歩後ずさる。
「おいおい、冗談だろ……?さっきのミミズが可愛く見えるサイズだぞ」
見上げるほどの巨躯。その頭部には、琥珀色の巨大な双眸が、不気味な光を放っている。
全長は優に三十メートルはあるだろうか。
鎌首をもたげたその姿は、神話に出てくる災厄の竜そのものだ。
シャァァァァァァッ!!
サーペントが耳をつんざくような咆哮を上げると、その巨体を鞭のようにしならせ、わたしたち目掛けて叩きつけてきた。
「来るぞッ!!」
カシムの声と同時に、左右に跳ぶ。
ズガンッ!!
直撃した場所の岩盤が粉々に砕け散り、凄まじい衝撃波が襲ってくる。
ただの質量攻撃。けれど、その規模が桁外れだ。
「くっ、速い……!」
巨体に見合わぬ速度。
すかさず反撃に転じようと、わたしとブレイズが同時に踏み込む。
「オラァッ!!」
ブレイズの大剣が唸りを上げて横腹を狙い、わたしの双剣が首筋を狙う。
しかし――。
ザパンッ!!
サーペントは攻撃が届く直前、自ら水の中へと身を沈めた。
空を切った大剣が風圧で水面を割り、わたしの刃も虚空を斬る。
「逃げやがった!?」
「水の中へ潜られると、こちらの攻撃が届きません!厄介な……!」
アズールが歯噛みする。
濁った水の中では、敵の位置を特定することさえ困難だ。
すると、湖面の別の場所から、再びヌッと巨体が現れた。
今度は大きく息を吸い込むように、その喉元が膨れ上がる。
「ブレス!?」
「くっ、――『氷の壁よ』!」
彼が詠唱を終えるのと、サーペントが大口を開放するのは同時だった。
ドバァァァッ!!
吐き出されたのは、炎でも氷でもない。
腐食性の毒を含んだ、高密度の泥の奔流。
ドォォォォンッ!!
凄まじい質量の泥流が、アズールの作り出した分厚い氷の壁に直撃する。
泥流は壁に沿って左右に分かれ、周囲の地面をドロドロに溶かしていく。
「くっ……!なんて圧力だ……!」
「……えげつない威力ね」
氷壁の影で、わたしは冷や汗を拭った。
直撃していれば、ひとたまりもなかっただろう。
「ブレイズ、やれる!?」
「当たり前だ!!」
ブレスが収まったタイミングでブレイズが氷壁から飛び出す。
地面を蹴り、瓦礫を足場にして高く跳躍した。
空中で大剣『大地割り』を振りかぶり、サーペントの胴体へと叩きつける。
「うらぁッ!!」
ドゴォッ!!
凄まじい衝撃音が響き、サーペントの胴体の一部が吹き飛ぶ。
しかし――。
シャァァッ!
サーペントは痛みを感じていないかのように、ヌルリと身をよじらせた。
そして、ブレイズの追撃をかわすように、頭からザブンッと地底湖の中へと飛び込んだのだ。
「くそっ!また逃げやがった!」
ブレイズが着地し、水面を睨みつける。
波紋だけを残して、巨体は完全に姿を消してしまった。
「……厄介ですね」
アズールが杖を構え直し、油断なく水面を探る。
水の中では、こちらの攻撃は届かない。逆に相手は、どこからでも顔を出して攻撃できる。
「くるわよ!」
水面が泡立つ。
今度はわたしの正面から、音もなく巨体がせり上がってきた。
「そこッ!」
わたしは反射的に双剣を振るうが、サーペントはあざ笑うかのように再び水中に没し、泥水を跳ね上げて視界を奪う。
泥と水、そして圧倒的な質量。
この澱んだ地底湖そのものが、あいつの身体であり、武器なのだ。
「これじゃあ、核を見つけるどころじゃないわね……」
わたしは顔にかかった泥を拭い、濁った水面を睨み据えた。
ザパンッ!!
まただ。
ブレイズの大剣が横薙ぎに閃くより一瞬早く、サーペントは泥水の中へと姿を消す。
巻き上げられた大量の汚泥が雨のように降り注ぎ、わたしたちの視界を塞ぐ。
「クソッ!チョロチョロと!」
ブレイズが濡れた髪を苛立たしげにかき上げ、水面に向かって怒号を飛ばす。
けれど、相手はそれを嘲笑うかのように、今度はアズールの背後から音もなく鎌首をもたげた。
「アズール、後ろッ!」
「ッ、――『氷よ』!」
アズールが振り返りざまに展開した氷の盾に、サーペントの巨大な頭突きが激突する。
パリンッ!!
甲高い音と共に氷が砕け散り、アズールがその衝撃で数メートル弾き飛ばされた。
「ぐはっ……!」
「アズール!」
駆け寄ろうとするわたしの進路を遮るように、再びサーペントが水中に身を躍らせ、泥の波を起こして妨害する。
打撃、潜行、奇襲。
この巨大な怪物は、その巨体に似合わぬ狡猾さで、地の利を完璧に使いこなしている。
こちらの攻撃は届かず、相手の攻撃だけが一方的に届く距離。
「……長期戦は不利ですね。足場が徐々に削られています」
アズールが体勢を立て直しながらも冷静に戦況を分析する。
彼の言う通り、ブレスによる腐食と、巨体の体当たりによって、わたしたちが隠れている岩場も徐々にその面積を減らしていた。このままではジリ貧だ。




