第9話 地下水源の怪異(1)
「……ん」
まどろみの中で目を覚ますと、視界いっぱいに、逞しい胸板と白い肌が広がっていた。
砂漠の朝は冷え込むと聞いていたけれど、広いベッドの中は常夏のような熱気に満ちていた。
それもそのはずだ。
右には岩のようなブレイズの巨躯が、左にはしなやかなアズールの肢体が、わたしをサンドイッチにするように密着しているのだから。
「……暑いくらいね」
わたしは苦笑し、二人の寝顔を見比べた。
ブレイズは満足しきった野獣のような顔で、アズールはどこか安心したような子供っぽい顔で眠っている。
わたしはそっと、ブレイズの腕を持ち上げ、アズールの拘束を解く。
寝息を立てる二頭の猛獣たちを後に、わたしはベッドから抜け出した。
音を立てないように洗面台へ向かうと、濡らしたタオルで身体を清めた。
昨夜の汗と、二人の愛の痕跡を拭い去る。
身支度を整え、カミラに見立ててもらったオレンジ色のサリー風衣装を身に纏う。
鏡に映った自分を確認して、わたしは苦笑した。
「……もう。加減を知らないんだから」
大胆に露出した右肩の鎖骨のあたりに、紅い花びらのようなキスマークがくっきりと残っていた。
つけたのはブレイズだったか、アズールだったか。
どちらにせよ、「強欲な女王様」の身分証だ。隠すのも野暮というものだろう。
コン、コン。
控えめだが、硬質なノックの音が静寂を破った。
「……はい」
扉を少しだけ開けると、そこには黒装束に身を包んだカシムが立っていた。
感情の読めない虚ろな瞳が、身支度を整えたわたしを一瞥する。
「迎えに来た。地下水源への案内を務めさせていただく」
「ええ、ご苦労様。すぐに準備させるわ」
カシムは「下で待つ」とだけ告げ、足音もなく去っていった。
相変わらず、不気味なほど気配がない男だ。
わたしは扉を閉めると、ベッドに戻り、まだ夢の中にいる二人を揺り動かした。
「ほら、起きて。ブレイズ、アズール。朝よ」
わたしがブレイズの頬をぺちぺちと叩くと、彼は不機嫌そうに片目を開けた。
その隣でアズールがもぞもぞと身動ぎをする。
「……んあ?もう朝かよ……」
「……眩しい。カーテンを閉めてください……」
二人は目をこすりながら、のろのろと身体を起こす。
その瞬間、互いの存在を認識し、同時に顔をしかめた。
「チッ、朝から陰気なツラ見せんじゃねえよ」
ブレイズが盛大に舌打ちをし、ガシガシと頭を掻きむしる。
アズールも長い金髪をかき上げながら、隣で大あくびをする兄を、氷のような視線で睨みつける。
「それはこちらの台詞です。それにしても、あなたのいびきは騒音公害そのものですね。ボクの安眠が妨げられましたよ」
「ああん?てめえこそ人のこと言えんのかよ」
ブレイズも負けじと睨み返す。
「一晩中『ミリアさん、ミリアさん』ってうわ言みてえに寝言で名前呼んでやがったくせによォ。どんな夢見てやがったんだ、気色悪い」
「なっ……!?」
アズールの顔がみるみるうちに真っ赤に染まる。
図星だったらしい。
「き、気色悪いとは何ですか!ボクは夢の中でも彼女への愛を再確認していただけです!野蛮な騒音と一緒にしないでいただきたい!」
「なんだとコラ、やんのか陰険モヤシ!」
「望むところです脳筋ゴリラ!」
朝から始まった低レベルな言い争いに、わたしはため息をついた。
放っておけばいつまでも続きそうだ。
「はいはい、そこまで」
わたしは二人の間に割り込むと、まずはアズールの唇に軽くキスをした。
「っ……ミ、ミリアさん?」
「おはよう、アズール。寝言でまで名前を呼んでくれるなんて、嬉しいわ」
アズールが瞬時に赤くなり、言葉を失う。
次に向き直り、ブレイズの唇にもチュッと音を立ててキスを落とす。
「おはよう、ブレイズ。わたしはあなたのいびき、けっこう好きよ?」
「……へっ、言ってくれるぜ」
ブレイズがニヤリと笑い、機嫌を直す。
わたしを抱き寄せようと伸ばされた腕からするりと抜け出すと、わたしは二人に向かってとびきりの笑顔を見せた。
「さあ、着替えて。わたしたちのお仕事が待ってるわ」
◇
宿の一階で待っていたカシムと合流し、街の外れにある地下水源への入り口へと向かう。
「こっちだ」
街の喧騒を離れ、郊外へと続く乾いた道を進む。
日差しはすでに強く、肌をジリジリと焼く。
わたしは歩きながら、市場で買った干し肉とナツメヤシの実を二人に手渡した。
「ほら、朝ごはん。ちゃんと食べておかないと身体が持たないわよ」
「サンキュ。……たく、優雅な朝食とは程遠いな」
ブレイズは干し肉を乱暴に噛みちぎり、アズールはナツメヤシの種を器用に指で弾き飛ばしながら、もそもそと口に運んでいる。
「カシムさん。水源の洞窟について、詳しく聞かせてくれる?」
前を歩く黒い背中に声をかけると、彼は歩調を緩めず、淡々とした口調で語り始めた。
「……地下水源は、街の北外れにある巨大な鍾乳洞の奥にある」
カシムの声には、感情の色がない。
ただ事実だけを並べる、報告書のような響きだ。
「本来であれば、この場所は評議会によって厳重に管理されている場所だ。許可なき者の立ち入りは即座に処刑されるほどの、絶対不可侵の聖域」
カシムが足を止める。
目の前には、地下へと続く巨大な石造りの門が口を開けていた。
湿った冷気と、どこか生臭い匂いが漂ってくる。
「魔物など、一匹たりとも存在しない、清浄な場所だった。……だが、数日前から、状況は一変した」
「一変した、とは?」
アズールが問いかける。
「内部から、これまで見たこともない『砂の魔物』が湧き出すようになったのだ」
その言葉を証明するように、入り口近くの壁には、巨大な獣が爪で抉ったかのような、生々しい傷跡が残されている。
「砂が、まるで生き物のように形を成し……巨大なサソリや、翼を持つ獣の姿で襲いかかってくる。水を浴びせれば崩れるものの、すぐにまた砂が集まり、何度でも再生するかのように立ち上がる」
カシムが振り返る。
ターバンの隙間から覗く鳶色の瞳が、わたしたちを冷ややかに見据えた。
「中に入れば、もう後戻りはできない。……覚悟はできているか?」
試すような、あるいは警告するような言葉。
ブレイズが不敵に笑い、大剣の柄を叩く。
「ハンッ、上等だ。俺たちを誰だと思ってやがる」
アズールもまた、涼しい顔で杖を握り直した。
「愚問ですね」
わたしも腰の双剣に手をかけ、二人の間に立った。
「行きましょう。異変の元凶を叩きに」




