表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/16

第9話 黒い噂

「今帰った」

晴れ渡った夜空に無数の星が瞬き始めた頃、私たちは月を背に佇む時の城へと帰ってきた。

あれから抱きしめた手を一向に離そうとしないウィルにいささか耐えきれなくなって文句を言えば、ウィルは我に返ったように離れた。今日のウィルはウィルでいてウィルではないような、そんな感じがした。

「お帰りなさいませ」

ノッカーの音に駆けつけたクリスチャンが玄関の扉を開ける。

「遅くなって悪かったな」

「ただいま、クリスチャン」

柔和な笑みを浮かべるクリスチャンに微笑み返せば、

「もう、こんな遅くまでどこに行ってたんだよ〜」

と廊下の方から何やら嘆き声が聞こえた。

(この声は……)

その声の主に思わず一歩後ろに下がる。そんな私にお構いなしに、

「おかえりー、ルカちゃん!」

ノアが勢いよく私に抱きついてきた。

「きゃ……!」

これでもかというほど強く抱きしめられ、「もうっ、苦しいってば!」と文句を言う。ノアの腕から逃れようと手足をばたつかせる私の言葉なんて、はなから聞いちゃいないと言わんばかりのノアは、

「こんな時間まで出かけたままで心配だったんだよ。ほら、ルカ。ただいまのキスは?」

どこか期待のこもった瞳で私を見つめた。そんなノアに「するわけないでしょ!」と口を開きかけたとき、私たちの目の前に勢いよく長い焦げ茶色の棒が振り下ろされた。

―― これは、WANDへ修理に出していた、じいやのどこまでも伸びる魔法の杖だ。

恐る恐る横を見れば、冷酷な目でまっすぐノアを睨みつけるウィルがいた。この場にあるありとあらゆるものを一瞬で凍らせてしまいそうなその瞳に思わず、「ひっ」と私まで固まってしまう。

「クソ兄貴……!」

ウィルは吐き捨てるように言うと、ズカズカと足音を立てて私たちのもとまで歩いてきた。そのウィルの背後に冬の番人〝オリオン〟が姿を現わす。まるで魔法でも飛び出してきそうな勢いに私まで後退りしたとき、ウィルの肩に別の手が伸びた。

「ウィル! こんな時間まで外をほっつき歩いて! ルカに何かあったらどうするんだよ!」

そう責め立てるような口調で言ったのは、時の城特有の深い青色の短髪に、左目に黒の眼帯をした背の高い青年。

青年の名前は、シャルル。時の城の第三王子だ。

ウィルの一つ上の兄であり、あのジョーカーの何が入ってるか分からない(分かりたくもない)不気味な薬の正体を知らないで摂取している能天気な王子でもある。

「ふん! 何かある前にそいつを返り討ちにしてやるけどな! だいたい遅くなったのは、シャルル兄さんの頼みも入ってるからだろ」

ウィルがここぞとばかりに強い口調で言い返した。

そんなウィルの両肩を鷲掴みにしながら、シャルルは「それは悪かったと思ってるけど」と呟くように言うと、

「でも今は物騒だ。今日も隣国で若い女性が殺された。犯人も捕まってないし、手がかりもない。いつ時の国で同じようなことが起こってもおかしくないんだ」

そう苦しげに言葉を吐いた。

―― 心臓がない遺体。昼間、店でジョーカーが言っていた言葉が脳裏をかすめる。

「それって、心臓がない遺体のことか?」

ウィルも同じように思い出したのか、シャルルに向かって尋ねた。その言葉にぴくりと眉を動かしたノアが真剣な顔で聞き返す。

「まだ黒騎士とその関係者しか知らされてない情報をよく知ってるね。誰に聞いた?」

ノアの顔つきが仕事の顔――― 〝黒騎士の団長〟へと変わる。

その表情には私を抱きしめたときのようなふしだらな笑みはなく、まるで感情が消え去ったような冷淡な表情をしていた。その冷血ささえ感じられる鋭い目でウィルを射貫く。

その一瞬の変化に、

(こうして見ると、ただの変態じゃないんだな……)

と思ってしまった。

「ジョーカーだよ」

ウィルが吐息交じりに言えば、

「ジョーカー……? ああ、あの腕の立つ薬屋か」

ノアが考え込むように顎に手を当てた。そんなノアに、

「ちょっと兄さん! なんでそんな大事な情報教えてくれなかったんだ!」

シャルルが責め立てるように言葉を投げる。

「だって、シャルルに言ったら、一人で乗り込んじゃうでしょ。相手が誰だか分からないのに危険すぎる」

「でも、俺には斬馬刀があるし、秋の番人だってついてる……!」

言い返すシャルルの言葉を否定するようにノアは首を横に振った。

「……下手に手を出さない方がいい。検死と調査の結果、色々と妙なことが分かったんだ」

そう苦しげに言葉を吐いたノアの綺麗な横顔が一瞬曇った。

左耳につけられた細長いコバルトブルーのピアスが玄関のシャンデリアの光に反射してきらりと光る。

「妙なこと?」

この場にいる全員が真剣な面持ちでノアを見つめた。壁に取り付けられた古時計の秒針の音がやけに大きく聞こえる。

「今まで俺は、その発見された遺体は死んでから心臓を切り取ったんだと思っていた。でも、違ったんだ。窒息死による気道は塞がれていないし、心臓以外致命傷になった外傷もない。つまり、彼女たちは―――」

「生きたまま、心臓を抜き取られたと?」

ウィルが半信半疑の面持ちで聞いた。その言葉にシャルルが信じられないといった表情をする。

(生きたまま……? 心臓を取ったの……っ!?)

私もその言葉に呆然としてノアを見つめる。

「いくら人間でも生きたまま、心臓を抜き取るだと? そんなことは……」

「人間ならありえないって?」

シャルルの言葉にノアは不敵に笑うと、

「それじゃあ、もし。それが人間以外の犯行だとしたら?」

そう試すように問いかけた。

(人間以外の、犯行……?)

その言葉に全員が息を呑んだ気がした。

(人間以外の犯行って、心臓だけ狙う狼とか……まさか、未確認生命体⁉︎)

「未確認生命体なんて、いくら魔法でも勝てる気がしないわ……」

「おまえは一体、何を言ってるんだ?」

ウィルが私に白い目を向ける。

「でも人間以外の犯行なら、つじつまが合うな」

シャルルが呟くように言った。その言葉に、

「ああ。遺体の傷は、まるで手でえぐるようだったと聞く。それがもし本当なら、人間以外の可能性が高いかもしれないな」

ウィルが考えるように顎に手を当てた。

「でも、人間以外って、動物と未確認生命体以外に他に何がいるのよ?」

私の言葉にノアは「そうだなぁ」と考えるように周囲と見回すと、

「あれは?」

と私たちの頭上を指差した。

「あれ?」

ノアが指差した天井を見上げる。

天井にあったのは、時の城が建てられたときから存在する古い壁画だった。

絵の中央には、魔法の杖を持った一人の青年と黒い炎が描かれており、その絵を取り囲むようにそれぞれの季節の番人、獅子、さそり、ペガスス、オリオンが描かれている。

「あれは――」

「あの青年は、わしじゃよ」

不意にそんな声が玄関ホールに響き、誰かが大階段から降りてきた。

(この声は……)

聞き慣れた声に大階段へと視線を移せば、長い白髪に白のローブを纏った年老いた男がちょうど降りてくるところだった。すらりとした長身に、絹のような白くて長い髪。裾が金色で縁取られた白のローブに、細長い黒い杖。

「ジジィ!」

「じいや!」

「おじさま!」

その姿に私たちはそれぞれの呼び名を一斉に叫んだ。

長い杖を持って階段から降りてきたこの男の名前は、フェネガン。大陸中で〝大賢人〟だとか〝大魔法使い〟だとか謳われている時の城の初代王。そして、私とウィルがよく幼い頃に遊んでもらった人だ。

「その隣の黒い炎は、伝説の大悪魔ハイリンヒじゃ」

穏やかな笑みを浮かべながら、じいやは懐かしむように言った。その偉大な姿にノアもシャルルも姿勢を正す。

「フェネガンおじさま、お久しぶりです」

「おじさま、お久しぶりです」

優雅にお辞儀をしてみせるノアとシャルルにじいやは愉快そうに笑った。

「そんなにかしこまらんでもいいのに。二人とも見ないうちに立派になったなぁ」

と嬉しそうに髭を撫でた。

「ハイリンヒって、確かジジィが封印したとかいう大悪魔か?」

ウィルが怪訝そうに尋ねれば、横からシャルルに思いっきり頭を小突かれた。

「いってぇ!」

「ウィル、おじさまの前でその言葉遣いはなんだ! おまえってやつは……!」

とシャルルが思いっきり頬をつねる。

一方の本人はまったく気にしていない様子で、「そうじゃよ」と呑気に笑った。

「でも、犯人が悪魔だなんて信じられないわ」

私が天井を見上げて言えば、シャルルも「まあ、確かにな」と言って頷く。その青い瞳が天井に描かれた黒い炎を捉えながら、呟くように言った。

「おじさまが大悪魔ハイリンヒを封印したのが最後で、もうこの世界の悪魔は消えたはずだ」

その言葉にウィルは「ああ」と頷いた。どうやら世間一般に知れ渡っているようだ。

この世界に存在する悪魔とは、実体を持たない黒い炎だ。悪魔は人の弱い心に漬け込み、人間の心と体を蝕んでいく。そして最終的には悪魔がその人間の魂を喰らい、死に陥れるといわれている。

ごく稀に強力な魔力を持つ悪魔は人間の体を乗っ取り、人間のふりをして生活をしていることもあるらしいけど、そんなことができるのは悪魔の中でも上級のごく一握りらしい。

その昔、この世界にはたくさんの悪魔が存在していて、長い間大悪魔ハイリンヒはこの世界のすべての悪魔を従え、人々を脅かしていた。そんな中、大悪魔ハイリンヒを打倒すべく、じいやが立ち上がり、ハイリンヒを時の監獄―― 一度入ったら二度と出てこれない〝時の狭間〟に封印したのだ。それはそれは歴史に残る戦いだったらしい。時の狭間にハイリンヒを封印してからというもの、ハイリンヒに従っていた悪魔たちも姿を現さなくなった。絶対的な悪魔の王として君臨していたハイリンヒが死んだため、あとを追って自ら死んでいったとも、ハイリンヒを倒す過程で残りの悪魔もじいやや他の魔法使いたちの手によっていつの間にか倒されていたともいわれている。いずれにしても、その戦いから、この世界の悪魔は消えたのだ。

それなのに、

(どうしてノアは悪魔を挙げたりしたんだろう……)

ともう一度ノアに視線が集まる。

ノアはふうと息を吐くと、

「その言葉がおかしいと思わないか?」

と険しい顔で言った。

その言葉に数秒間考えていたウィルとシャルルが何かに気づいたようにはっとした表情をした。

「まさか」とウィルが信じられないような表情でノアを見据える。

(ん? どういうこと……?)

どうやら分かっていないのは私だけのようで、首を傾げる私に見かねたノアが口を開いた。

「〝消えた〟だけであって〝滅んだ〟という事実があるわけじゃない。もしかしたらそれは、人々が勝手に良いように滅んだと思っているだけで本当は、悪魔はまだこの世界に身を潜めているのかもしれない」

その言葉に二人に遅れて衝撃を受けたのは言うまでもない。

(じゃあ、この世界にはもしかしたら悪魔が生き残ってるかもしれないってこと――?)

天井に描かれた黒い炎を見て、ぶるっと体が震えた。

すると、今まで黙っていたじいやが「そういえば」と思い出したように口を開いた。

「私がハイリンヒと戦ったときと同じ気配がこの頃するんじゃ」

「気配……?」

その言葉にノアが眉をひそめる。

「でも、じいや。その大悪魔って封印したんじゃないの?」

私が確認するように尋ねれば、じいやは罰が悪そうな、なんだか微妙な顔をして、

「それが封印したときにどうしても見たいテレビがあってな。そのことを考えながら封印してたら……うっかり甘くなってしまったんじゃ」

そう言って、ぽりぽり頬を掻いた。その言葉に玄関ホールがしんと静まり返り、なんとも言えない空気が漂う。古時計の秒針の音がやけに大きく聞こえ、この場にいる全員が唖然とした表情でじいやを見つめた。

「甘くなったって……大悪魔の封印がっ!?」

私の驚いた声が玄関ホールに響き渡る。じいやは「そうじゃよ」と呑気に顎髭を撫でながら頷くと、ウィルが「何がうっかりだ!」と憤慨した。

「ったく、このくそジジィ、大昔に何やらかしてんだよ。街の人が知ったら、悲鳴をあげてぶっ倒れるぞ」

と呆れたような視線を送った。

(大悪魔を封印するときにそんな余裕なんてあるものなの……?)

その感覚が理解できそうにない。

「うーん」と唸る私にウィルが「テレビのこと考えながら封印されるなんて、その悪魔も随分気の毒だな」と呟くように言った。

まさか、じいやがそんなことを言うとは想像もしていなかったノアが信じられないような表情をしたまま、戸惑った声で尋ねる。

「おじさま。失礼を承知の上で申し上げますが、いくら一度入ったら二度と出てこれない時の狭間とはいえ、そのときに封印が未完成で今、この奇怪な事件が起きている可能性があるんじゃ……」

ノアが恐る恐る尋ねれば、じいやは「はて」と首を傾げた。

「同じといっても、悪魔独特の気配のようなものがじゃ。それに、ハイリンヒとはどこか違う。〝何か〟が欠けているんじゃ」

「何か、ですか……?」

「うむ。その〝何か〟が微小すぎて、分からぬな」

じいやはそこまで言うと、

「今、王国中を騒がせているこの事件、人間以外の仕業であることは確かじゃ。皆、気を抜かぬように」

そう言って小さく欠伸をすると、コツコツと足音を響かせながら去って行く。

その背にウィルが、

「ジジィ。どこ行くんだ?」

と言葉を投げると、

「もうすぐ私が主人公の時代劇が始まるんじゃよ。今若手の俳優が演じてて、かっこいいんじゃ。随分な二枚目でな、昔の私に似てて」

じいやは愉快そうに笑いながら、階段を上っていく。

長い髪を揺らしながら歩くその大賢人のマイペースぶりに驚きを隠せない。

そんなじいやの背中を目で追っていたノアは、考え込むように額に手を当てると、

「……とりあえず、俺は明日から黒騎士の任務に戻る。そして、その真実を暴き出し、必ず犯人を捕まえよう」

そう呟くように言った。その言葉にシャルルも我に返ったように、

「……俺も明日は今日遺体が見つかった風の国に行こう」

より一層険しい表情を浮かべてノアを見た。

「シャルル。深入りはするなよ」

「兄さんこそ。団長だからって無理はだめだぞ」

ノアはその言葉に「ああ」と頷くと、私たちに向き直った。その表情には少し疲れが見えた。

無理もない。この数分の間に大悪魔を封印しきれていない可能性が浮上し、別の悪魔がいる可能性だって出てきたのだ。

「ウィルとルカは明日から魔法学校だったね。しっかり勉学に励むんだよ」

ノアは一度ウィルを見てから、私を見た。その言葉に「うん」と頷くと、愛おしむように私の頭を優しく撫でる。

「んー、可愛い。こんな可愛い子が遠くの学校まで毎日通うとなると心配だな。……やっぱり、黒騎士団長の権力を使ってでもルカの隣を警備するか」

「国家権力乱用するなよ!」

ウィルがすかさず、ノアの脛に蹴りを入れる。ノアは「うっ」と呻き声をあげると、その場に崩れ落ちた。シャルルはそんなノアを呆れたように一瞥すると、「いつものこったな」と言って笑う。

「まあ、ルカ。少なくとも俺みたいにはなるなよ」

「誰が年に数回の登校、登校したら嵐が来るぞって言われてる問題児になるか。国の王子なんだぞ、しっかりしてくれよ」

ウィルがそう言って、呆れたような視線を送る。

「俺、勉強してると頭痛くなるんだよな」

「都合のいい頭だな」

「でもルカがいるっていうなら、登校しようかな」

シャルルはそう言って嬉しそうに笑ってみせた。

「年に数回の登校って、留年になったりしないの……?」

なんだか心配になってくる。呑気に笑顔を浮かべるシャルルに恐る恐る尋ねれば、

「あー、なんかそんな通知書が学校から届いたな」

と思い出したように頬を搔いた。その言葉に、

「え……っ、それって、色々まずいんじゃない!?」

と驚く私の横で「遅かったか……」とウィルが額に手を当てて盛大にため息をついた。すると、

「そうだ!」

今まで痛みに悶絶していたノアが思い出したように声を上げた。

「もし魔法学校でルイに会ったら、久しぶりに顔見せろって言っといてね」

「ルイ兄さん、俺とは違って超がつくほど真面目だからな」

「ああ。シャルル兄さんと違って、クソ真面目だよな」

「今ルイは寄宿舎通いしてるんだっけ?」

「あの必要最小限しか人と話さないようなルイ兄さんがそこまでして何を勉強したいんだろうな」

シャルルがそう言うと、兄弟三人はしばらく考えたあと、

「あいつの考えてることは分からない」

とため息交じりに言った。

ルイ兄さんと呼ばれているのは、時の城第二王子ルイ・セルリアン。

夏の番人〝さそり〟をその身に宿し、夏の月を司る。

ルイは兄弟の中でも随分と異色で、必要最小限のことしか人と話さないどころか、滅多に人前に姿を現さない。そして、ルイは勉強以外に興味がない。

夏の番人さそりを宿すときも言った台詞が「夏は暑くて大嫌いだけど、夏の時を司るさそりは実に興味深い。魔法なら悪くはない、か」だ。

そんなルイも王立魔法学校に通っている。王立魔法学校は四年制。

ノアは無事に卒業し、ルイは王立魔法学校三年生。最後に顔を見たのはルイが一年生のときだ。それきり城には帰っていない。

「またみんなでどこかに行けたらいいね」

そんな私の言葉に皆は笑った。

まだ私もウィルも幼い頃、じいやに連れられて色々なところに行った。ピクニック、海、遊園地。今はそのどれもが思い出となって記憶に残っている。

「ああ。この怪奇事件が片付いたらすぐにでも」

ノアはそう言いながら、私の頬をさりげなく撫でると、

「もう夜も遅い。明日も早いだろうから、おやすみ」

そう言って、とろけるような甘い笑みを浮かべた。まるで恋人に向けるようなその甘い笑顔に顔が引きつるのを感じながら、「うん」と頷くと、

「……本当は、おやすみのキスをしたいんだけど、ここにはうるさい男がいるから」

そう言って、残念そうに肩をすくめた。そして、代わりにと言わんばかりに名残惜しそうな顔で私の頭を優しく撫でる。

「もう、どんだけ撫でるのよ」

私が呆れたように言えば、

「俺たちより朝の早い兄さんにはさっさと寝てもらわないとな」

そう言って、ノアの手を勢いよく払い退けた。そんなウィルに「おまえはいいよね」とノアは羨ましそうな視線を送ると、

「俺もルカと同じ年だったらな〜。魔法学校になんて行かせずに部屋に閉じ込めて手取り足取り魔法を教えてあげるのに。ルカと同じ時期に学校に通えるおまえたちが羨ましいよ」

そう言って、不満げに頭の後ろで手を組みながら去っていく。その黒騎士の団長が言ったとは思えない言葉にシャルルが顔を引きつらせた。

「……兄さん、それ犯罪だよ」

と呆れたように呟いた言葉に私は激しく頷いた。

シャルルは去っていくノアを一瞥してから向き直ると、

「くれぐれも今の王国は物騒だから気をつけるんだよ」

私の頭をぽんぽんと優しく叩いた。それから嫌がるウィルの頭もぽんと軽く叩く。

「シャルルも気をつけてね」

そう言えば、シャルルは「ありがとう」と頷くと、にかっと笑った。ウィルも「無茶するなよ」と私たちに背を向けたシャルルに言葉を投げる。

徐々に遠のいていく二人の背に「おやすみなさーい」と一声かけた。

「……」

何かとうるさい二人がいなくなったせいか、途端に玄関ホールがしんと静まりかえった。時計の秒針の乾いた音だけがやけに大きく聞こえてくる。

時の城に帰ってからというもの、誰かしら傍にいたせいか、二人だけの空間がなんだか居心地が悪い。

(私も早いところ部屋に戻れば良かった……!)

夕方、街で抱きしめられたことを思い出して思わず視線を彷徨わせれば、不意に振り返ったウィルと視線がぶつかった。慌てて視線を逸らす私にウィルが不思議そうに尋ねる。

「なんだよ?」

「べ、別にー……」

そっぽを向いたまま、そう言えばウィルは何か思い出したように「あっ」と声を上げた。

「ジジィに杖渡すの忘れてた!」

そう言って、慌てて大階段を駆け上がっていくウィルの背にどこかほっとする自分がいた。

このまま二人きりでいたら、いつものように話せる自信がなかった。

階段を駆け上っていく姿を目で追っていれば、ウィルが階段半ばで振り返る。

「明日は早いんだから、寝坊するなよ! 早く寝ろ!」

そう叫んだウィルに、

「分かったわよ!」

とすかさず言葉を投げた。

ボーンボーンと午後九時を知らせる古時計の鐘の音が玄関ホールに響き渡った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ