殺意と結晶
突然、キャバレー内の空気がよどみ、
腐った魚のような臭気がした。
キャバレーの中は地震が来たかのように振動しだす。
店員や客たちが動揺している。
「ちょっとヤバイ事になったわね」
と相沢は言った。
ママは冷静だった。
目を細め、音無と神原を見つめる。
「放置しておきましょ」
とママは笑った。
「じゃあ、チャーハン作りに行ってくるわね」
とママは厨房に向かった。
「ママ、私も手伝うわ」
と相沢はママについていった。
神原は、怒りをあらわにするネームドと対峙したまま、キャバレーのカウンターに取り残された。
……
その頃、本郷はやすよと、事務所近くの喫茶店でコロッケ定食を食べていた。
さびれた通りの角に、その喫茶店はあった。
店内の客は二組だけ。
互いに干渉することもなく、静かに座っている。
入口の脇には、段ボールが一枚。
そこに太いマジックで、
――炭火焼コーヒー
と、雑に書かれていた。
足元には、ベルベット風の赤いじゅうたん。
ところどころに黒い跡が残っている。
古いコーヒーのシミのようだった。
長い時間を吸い込んだ床だった。
カウンターの奥にはマスター。
白髪まじりのモヒカン。
耳には大きなボディピアス。
その姿は、店の古びた空気と妙にかみ合っていない。
スピーカーから流れているのは昭和歌謡。
低く、かすれた歌声が店内に漂っていた。
全体の調子が、どこか揃っていない。
古いのか、奇抜なのか、懐かしいのか。
判断がつかない、
センスの不安定な喫茶店だった。
さびれた風の喫茶店で、客は彼らを含めて三組しかいない。
「マスターモヒカン。お好みソースとマヨネーズと青のりくれるか?」
と本郷は言った。
「あいよ」
とマスターは言った。
テーブルの小皿に乗せた、お好みソース、マヨネーズ、青のりが届けられる。
「ありがとな」
と本郷はウインクをする。
「本郷ちゃん、なにするの? 顔にパックとか」
とやすよは不思議そうにしている。
「そうそう。顔にまずお好みソースを塗って、その上にマヨネーズをかけて、最後に青のりをかける。そしたら、お好みパックって、俺は小麦粉か!」
と本郷はノリツッコミを披露した。
「きゃはははははーーーウケる!」
とやすよは腹を抱えた。
「それで、本当はどうなの?」
とやすよはシリアスな顔をする。
その瞳は何かに気が付いているようでもあった。
「……これはな。コロッケにお好みソースをかけるやろ。その上にマヨネーズをかけて、最後に青のりをかけんねん。そしたらな、お好み焼き味になんねん」
と本郷は小声で言った。
「なにそれ、私も一口ちょうだいよ。はい、あーん」
とやすよは口を開ける。
「ちょっと待て、作るから。ほれ、あーん」
と本郷はやすよに、あーんをした。
やすよは、コロッケを口に含め、目をぱちくりさせた。
「なにこれ美味いじゃん。チーズとかモチの入った、ちょっとおしゃれ系のお好み焼き屋さんの味。ねぇマスター。私にもちょうだい」
とやすよは手をふる。
マスターは反応しない。
「マスターはな。マスターモヒカンと呼ばないと、反応しないんだ」
と本郷は小声で言った。
やすよはうなづく。
「マスターモヒカン。私にも本郷ちゃんと同じソースとマヨネーズ、青のりちょうだい」
とやすよは言った。
マスターはうなづき、テーブルにセットを持ってきた。
「やすよ。食った分、返せよな」
と本郷はコロッケを指さす。
やすよの目が光る。
「ふふふ。気付いちまったか」
とやすよは悪そうに言った。
「気付くはボケ」
と本郷は笑った。
(ぼーんぼーんぼーん)
突然、
喫茶店の柱時計が激しい音をたてた。
やすよは、ちらりと柱時計を見る。
「はい。あーん」
とやすよはコロッケをあーんする。
「あーん」
と本郷はコロッケを食べた。
「本郷ちゃん。あの八百井だったっけ。
今ヤバい事になってるよ」
とやすよは呟いた。
「あぁわかってる。まぁ相沢もついているし、大丈夫だろう。それにあそこには……」
と本郷は言った。
……
俺は音無さんと、膠着状態にあった。
後ろを見ると、相ちゃんも、ママさんもいない。
完全にピンチだ。
ふと気が付くと、
音無さんの般若心経の文字が、全て『殺』という字に置き換わっている。
そして、その『殺』という字は、音無さんの身体を別物に作り変えていく。
トランスフォームーーー
その言葉がよぎった。
どうにかしなくちゃ。
俺は突然、
中学時代にやけに絡んできた
チャラ男君の事を思い出した。
あの当時はうっとうしかったけど、
今思えば、彼に救われたところがあったなと
そう思ったのだ。
なぜ、今彼のことがよぎる。
これが内在神のヒントか?
そう思った。
そうだ。
軽いノリで行ってみよう。
俺は重すぎるんだ。
とりあえず、褒める。
何について褒める。
ええい。
どうにでもなれ。
「音無さん。なんか身体が変化してますよ。
もしかして、いろいろな物になったりできるんすか?」
と俺は尋ねた。
そうだ。
チャラ男君は、こんなノリだった。
「おぅ、わかる。そうそう。いろいろなれるよ」
と音無さんは自慢そうに言った。
「えぇマジっすか。例えば」
と俺は尋ねた。
「そうやね。何がいいやろ。動物系とかいけるで」
と音無さんは言った。
俺は、
すごいと褒めようと思ったが、
瞬間的にそれは違うと思った。
チャラ男君なら、そうしない。
これだ。
「いやいや。さすがに音無さんでも、動物はムリっしょ」
と俺は言った。
「いやいや。なに言うてんねん。できるって、まぁ見とけよ」
と音無さんは言った。
音無さんの身体から出る『殺』という漢字が『兎』に変わる。
そしてみるみるまに、音無さんは、ウサギの姿に変わった。
ここだ。
俺は直感した。
ここでチャラ男君なら、絶賛して、周りに紹介するはず。
(ぱちぱちぱち)
俺は手を叩く。
「えー。マジっすか。すごいウサギに変わった。うわ、音無さん。天才すぎません」
と俺は言った。




