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三角旗の秘密

午後四時半。


オフィス街と工場街のはざまに、古びたキャバレーがあった。

建物の外には、三角形の旗が何本も張り巡らされている。

色は褪せ、風に揺れるたび、かすかに擦れる音がした。


「次はココよ」

と相沢は言った。


三角形の旗には、周りから無数の黒い影が近づいていた。

あの旗は呼び寄せている?

俺はそう感じた。


入口の扉を開けると、空気の色が変わる。


壁は紅いベルベット。

その縁を、金色の枠がぐるりと囲んでいた。

照明は柔らかく、どこか黄ばんでいる。


壁面には、古い映画のポスターが並んでいた。

往年の銀幕スターたち。

大きく笑う顔、煙草をくわえた横顔、遠くを見るまなざし。


どれも時代の中で止まったままだった。


ここだけ、時間が別の流れ方をしている。


昭和の生き残り。

そんな気配が、店の奥に静かに沈んでいた。


「あら。いらっしゃい。こちらのボーイは?」

と化粧の濃いホステスのような女は言った。


「ママ。この子は八百井ちゃん。新人研修中なのよ」

と相沢は言った。


「はじめまして」

と俺は頭を下げる。


「ふーん。そう……、あなた、なかなかのモノを持っているわね」

とママは上から下までなめまわすように見た。


「もう。ママったら、いやらしい目で見ないの」

と相沢はママの肩を叩く。


「まあいいわ。今日はね。あのカウンターの音無さんの件よ」

とママはカウンターをちらりと見た。


カウンターには中年くらいの、くたびれた背広を着たサラリーマン風の男がいた。

しかし、

あれは人間なのか?


「あれ、人なんすかね」

と俺は尋ねた。


「一見人に見えるでしょ。でもよく見てごらん。観察して」

と相沢は俺の肩に手をおき、指をさす。


なにか、背広のところがうごめいている。

あれは何だ?


「背広のところがオカシイですね」

と俺は答えた。


「そうよ。何がある?」

と相沢は尋ねた。


俺はじっと見る。

そこには無数の漢字のようなものが動いていた。


「漢字が動いて、スーツのようになっています」

と俺は答えた。


「どこか見覚えのある漢字じゃない?」

と相沢は尋ねた。


俺はさらにじっと見る。

たしかに、最近頻繁に見る字が多い。


「般若心経ですか?」

と俺は尋ねた。


「そうよ。よくわかったわね。エライ」

と相沢は俺を後ろから抱きしめた。


鍛え抜かれた体にしては、

抱きしめ方はソフトだった。


「意外と優しいハグですね」

と俺は笑った。


「もちろんよ。優しくしちゃうわ」

と相沢は肩に手を置いた。


「それで、あれは何ですか?」

と俺は尋ねた。


「あのサラリーマンは、昔お坊さんだったのだけど、不景気でお寺が潰れてしまって、サラリーマンになったの。そしてホステスにはまって、交通事故で亡くなった」

と相沢は答えた。


「お坊さんだから、スーツが般若心経になっているのですか?」

と俺は尋ねた。


「これも承認欲求ね。ホステスに見てもらいたくて、サラリーマンの姿を現実化させるために、般若心経を使ってるのよ」

と相沢は言った。


「めちゃくちゃ珍しいですよね」

と俺は尋ねた。


「そうかしら。たまにいるわよ。僧侶でも死んだら霊になるわけだし」

と相沢は答えた。


俺たちは、音無さんをしばらく観察することにした。

このキャバレーは、朝の8時から深夜まで営業している。

当然ホステスさんも、ずっといるわけで、

ホステスさんが近くを通るたびに、姿勢をしゃんと正していた。


「あの霊は、人に迷惑をかけるんですか?」

と俺は尋ねた。


「ほら見ててごらんなさい」

と相沢は顎をつきだした。


音無さんの近くに、男性客が近づく。

すると音無さんは威嚇しはじめた。


「あぁあれですか?」

と俺は言った。


「そうよ。常連さんは知ってるから、相手にしないけど、たまに指導をしないと、無制限に威嚇し始めるの。今日は彼の対応してみる?」

と相沢は指をさした。


「えっ、俺がですか? いや初めてですよ。どうするんですか」

と俺は尋ねた。


「好きなようになさい。見ててあげるから」

と相沢はウインクをした。


俺はママのほうを見る。

ママは笑ったまま、

止めようとしない。


うわ。

どうしよ。


「ヒントください」

と俺は言った。


「私と本郷ちゃんの発言を思い出すのね」

と相沢は笑った。


相ちゃんと、本郷所長の発言?

まったく思い出せない。

まあいい。

とにかく近づこう。


俺は音無さんに近づく。

3mほどまで近づいて、

音無さんは、ようやく俺に気が付いた。


「なんや。おまえ新人か?」

と音無さんは言った。


こいつしゃべれるのか。


「あなたしゃべれるのですか?」

と俺は尋ねた。


「当たり前や、だれやおもてんねん。ネームドやで」

と音無さんは笑った。


口から般若心経が漏れ出している。


「もしかして、言葉も般若心経で構成してるんですか?」

と俺は尋ねた。


「驚きや。兄ちゃん。それよう気が付いたな。

なんやお前ベテランか?」

と音無さんは目を細めた。


「いや。そんなん。音無さんが、僧侶でスーツが般若心経で構成されてると聞いて、口からも般若心経が漏れ出てるように見えたから」

と俺は答えた。


「まあなんでもいいけど、お前の洞察力はええ感じやで。まあ精進しーな」

と音無さんは手を振った。


「あっありがとうございます。それでは失礼します」

と俺は頭を下げて、戻っていく。


なんか、良い霊やった。


「良い霊でした」

と俺は言った。


「なに言ってるのよ。ちゃんと話つけてきたの」

と相沢は笑った。


「いや。なんか褒められて、洞察力がええ感じやから、精進しろと激励されました」

と俺は答えた。


「まったくこの子は。それが音無さんのやり方なのよ。もう一度話つけてきなさい」

と相沢は言った。


俺は、

再度音無さんに挑む。

心なしか、

霊が怖いという感覚はもうなかった。


「あの。音無さん。最近荒れておられるようですが、なにかあったんですか?」

と俺は尋ねた。


音無さんの般若心経の文字がピタリと止まる。


「……そうやねん。あんな気に入ってたホステスの子が、客の男に見受けされてん」

と音無さんは悲しそうに言った。


「そうなんですか。それはお気の毒に」

と俺は答えた。


「そうやろ。それで俺は荒れてんねん。怒っても当然やんな」

と音無さんは言った。


俺は言葉に詰まった。



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