事故と承認欲求
午後四時。
大通りの交差点は、街の表情が切り替わる境目だった。ガラス張りのオフィスビルが並ぶ一角から、少し先には鉄骨の工場や倉庫が顔を出しはじめる。
その境界で、事故は起きていた。
トラックの鼻先が斜めに突き出し、タクシーの側面に深くめり込んでいる。金属がこすれた匂いが、まだ空気に残っていた。
クラクションは止まり、交差点には妙な静けさが広がっている。
だが、人だけは集まっていた。
オフィスビルの入口から、歩道橋の上から、工場の門の脇から――。
人々は距離を保ったまま、事故の中心を覗き込んでいる。
そして、そのほとんどがスマートフォンを構えていた。
画面越しに、壊れた車体を撮る。
誰も声をかけない。
誰も近づかない。
ただ、無数の小さなレンズが、同じ方向を向いている。
警察は、まだ来ていなかった。
交差点の中央だけが、ぽっかりと取り残された舞台のように見えた。
その周りで、人々のスマホの黒いガラスが、無言で光っていた。
「ほら見てみなさい。スマホを向けている人たちの近く」
と相沢は指をさす。
よく見ると、スマホを取り出して動画を撮っている人たちの腕に、無数の黒い影がまとわりついている。
「こわっ。
なんですか……あれ」
と俺は尋ねた。
「こういう事故現場に、承認欲求が強めな人が近づくと、あぁなるの」
と相沢は答えた。
承認欲求が霊を呼び寄せるとでも言うのか?
「どういうことですか?承認欲求と霊の関連がわからないんですけど」
と俺は言った。
「じゃあ。ヒント……、霊ってなんで人前に出てくるの?」
と相沢は俺の目を見た。
なぜ?
考えたこともなかった。
恨みがあるから。
それもあるけど、
あのくるくる頭を回す霊は……。
記憶喪失みたいなモノだと言ってたし。
「もしかして、気が付いて欲しいからですか?」
と俺は尋ねた。
「ビンゴ……、あれピンポーンかな。
まぁどっちでもいいや。
そういうこと」
と相沢はウインクをした。
気が付いて欲しいから、
人前に出る。
それと承認欲求……。
「あぁそうか。欲求が似ているんですね」
と俺は答えた。
「そういうことよ。つまり承認欲求は霊を呼びやすいと言っても過言ではない」
と相沢は言った。
「だから、動画とか写真撮ってるんですね」
と俺はうなづいた。
「そうよ。本人はね。情報を共有するためだとか思うけど、その情報が拡散されないと、怒り出すのよ。
せっかく俺がいい情報を流してやったのにって。
本当に共有するためだけなら、拡散なんて気にしない。
そうでしょ」
と相沢は答えた。
「たしかに、承認欲求って怖いものなのですね」
と俺は言った。
「そうね。際限がなくなるからね。どんどんエスカレートしていく」
と相沢はため息をついた。
「何かあったのですか?」
と俺は尋ねた。
「まぁこんなこと言ってもしょうがないのだけど、高校生の頃の同級生がね。承認欲求がエスカレートしすぎて、問題起こしちゃって、訴訟されて多額の債務を抱えて、失意のなか亡くなったわ」
と相沢は言った。
俺は不思議だった。
同級生が亡くなったことで、なぜ相沢が悲しんでいるのか?
「仲が良かったのですか?」
と俺は尋ねた。
「いえ。仲は良くないわ。むしろいじめられていたくらいだから」
と相沢は遠くを見た。
「じゃあ、せいせいしたとかでは?」
と俺は尋ねた。
「そうじゃないのよ。あなた、複雑な乙女心がわかってないわね」
と相沢はため息をついた。
「なんかすみません」
と俺は頭をかいた。
「憎んでいた奴でもね。そんな死に方されると、胸糞が悪いものよ」
と相沢は笑った。
俺はその気持ちが理解できなかった。
まぁでもそれでも良いと思った。
「それで、あの霊たちは……、
スルーですよね」
と俺は言った。
「もちろんよ。お金にならないことはしないわ」
と相沢は笑った。
その笑顔は、底抜けに明るかった。
俺は霊というものについて、
そして霊能者について、
表面的でステレオタイプな捉え方をしていたのかもしれない。
そう思った。
俺が霊を視れるという視点をもっているのに対して、
普通の人……、
という言い方は、自分を蔑視する。
もしくは特別視するみたいで、
好きではないが、
そういう感覚は持ち合わせていない。
これは逆にいうと、
普通の人には感じられている幸せを、
俺は感じることができないわけで。
つまり、
理解できないんだ。
そして、
人は理解できないものを、
否定する。
ただそれだけだったんだと。
今になってようやくハッキリと気づけた。
いや、
気づけたではなく、
認めることができた。
なんだろう。
承認欲求か……。
俺も囚われていたのかもしれない。
だから、
苦しかったんだ。
霊も同じか。
そうか、同じ苦しさのものに、
俺は苦しまされていたんだ。
だからといって、
霊たちに同情する気は消えた。
もちろん、
承認欲求に身を蝕まれる人たちにも、
同情はしない。
でも、
承認欲求が消えたらどうなるんだ?
「相ちゃんは、承認欲求ってないの?」
と俺は尋ねた。
「ない。と言いたいところだけど、多少はあるわ。
でもね。
刺激しないようにしているの」
と相沢は答えた。
「どうやってるんですか?」
と俺は尋ねた。
「八百井ちゃんも、承認欲求を薄くしたいの?」
と相沢は言った。
「はい。そうです。お願いします」
と俺は答えた。
「そうね。この頭よ」
と相沢はつるつるの頭をさわった。
「ボウズにするということですか」
と俺は尋ねた。
「そうよ。髪の毛ってのは、承認欲求の塊だわ」
と相沢は答えた。
「しかし、なかなか勇気が出ませんよ」
と俺は笑った。
「なぜ?」
と相沢は尋ねた。
そうだ。
なぜだろう。
モテたいからか?
「なんででしょう。
モテたいからですかね」
と俺は尋ねた。
「それは知らないわよ。
それにボウズはモテないっていうのが、
そもそも小中校生くらいのお子ちゃまな考えよ」
と相沢は笑った。
「えっそうなんすか」
と俺は前のめりになった。
「ボウズがモテるモテないではないの。モテない奴はモテない。ボウズでもモテる人はモテるのよ」
と相沢は答えた。
「まぁそりゃそうですけど……」
と俺はグウの音も出なかった。
「僧侶が頭をまるめるのは、欲望を断ち切るという意味があるわけ。そして逆に欲望を断ち切った人ってストイックに映るじゃない。そういう人ってね。逆説的にモテるわ」
と相沢は頬を赤らめた。
「相ちゃんも、モテるんすか」
と俺は尋ねた。
あれ……、
何を聞いてるんだろう。
「そうね、モテるわよ。別に興味のない女にばっかりだけど」
と相沢は言った。




