表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
影の弁慶〜義経ものがたり〜  作者: 甲田太郎
下巻 第四部 影の完成

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
71/88

第七十一話 河尻での再会

 都を離れてから、牛若はほとんど口を開かなかった。


 寄せ集めの一行は、馬を荷物運びに使うので精一杯のため、徒歩と速さは変わらない。


 道中の行家は時折妙に大きな声で「西国で立て直すのじゃ」と繰り返す。その声は、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。牛若はただ歩き続けるだけだ。


 弁慶は牛若のすぐそばにいた。長刀を持つ手に力が入る。背には牛若の太刀と短刀が忍ばせてあった。


 軍勢と言えるほどの人数ではない。都で行家が院宣をもとに無理やり集めた集団に過ぎなかった。


 静御前と郷御前は、すでに別の道を進んでいる。行家の連れてきた偽山伏仲間に紛れ、似たような法衣をまとい、荷を守りながら大物浦へ向かった。


「静御前や帳面ねえさんは大丈夫かな」


 三郎の言葉に行家が振り返った。


「わしの者を付けておる。まず大丈夫じゃ」


 三郎が露骨に嫌な顔をした。


「あんたの仲間だから心配なんだろ」


「失礼なことを申すな。偽山伏のふりなら誰にも負けない者ばかりじゃ」


「自慢するようなことかよ」


「ふん」


 行家は心外そうに鼻であしらった。


 道が少し細くなったところで、三郎が後ろを振り返った。


「そう言えばあの二人――片方は見たことあるけどさ……」


 視線の先には、時実と能成がいた。すかさず時実が進み出る。


「それがし、時実と申します」


 三郎たちは捕虜として見かけた可能性が高いのだが、新しく整えた武者姿であり、随分前のことなので思い出せないようだ。説明するのも面倒だった。


「九郎さまをお守りしたく、参上いたしました次第です」


「あんた、歯が真っ黒だけど大丈夫か……?」


 三郎が心配そうに返す。なるほど、貴人として振る舞っていた平家らしく、よく見るとお歯黒がのぞく。


「歯の病かな? 痛くねえのか?」


 鷲尾も気遣おうとしている。そう言えば牛若は検非違使として勤務する際に化粧はしていたが、お歯黒はしていなかった。


「病ではなくお歯黒ではないか?」


 駿河が冷静に言うと、忠信が少し姿勢を正した。


「貴族の方ですか?」


「――縁がございました」


 時実は曖昧に濁すことにしたようだ。


 続いて能成が進み出る。


「義経公の腹違いの弟、一条長成の息子の能成にございます。貴族の身ながら、兄上に加勢させていただきたく馳せ参じました」


「やはり、牛若さまの弟さん、気品がすごいな」


 三郎は真面目に感心している。よく見たら、能成もお歯黒がのぞいていた。今までその顔に弁慶も三郎たちも興味がなく見逃していたらしい。


 鷲尾が能成の初々しい様子を見るなり、ますます心配そうな顔をした。


「公家さんだし、誰かが守らないといけないんじゃねえか?」


「大丈夫です」


 時実が凛とした声を響かせた。


「私は武士の端くれですので、武芸の心得は充分ございます。能成殿も私がお守りいたしましょう」


「ありがとうございます」


 能成は素直に頭を下げたが、「ですが、私は兄上の加勢のため参った身。自分の命は自分で守ります」と穏やかに制した。時実はわざわざ平家の者だと名乗るつもりはないようだ。


 行家が時実と能成をじろじろ見ていた。


「九郎、お前の周りは妙な者ばかり集まるのう」


「あんたが一番妙だろ」


 三郎がぴしゃりと言う。


「黙れ。わしはれっきとした源氏じゃ」


 そう言う行家に反応する者はいなかった。


 牛若は少し先を歩いていて、視線は空を向いている。弁慶は今のうちに伝えておこうと思った。


「お二人に話しておかねばならぬことがある」


 弁慶は時実と能成に言ったつもりだが、行家はどうせ地獄耳を立てることだろう。


「はい」


 時実が力強く答え、能成は「兄上のことでしょうか?」と首を傾げた。


「牛若さま――九郎義経さまは」


 まあどの呼び方でもよいが、と思いながら、弁慶は少しだけ潜めた声で淡々と続けた。


「土佐坊夜討の後、ご自害しようとなされた」


「兄上が……っ?」


 能成の顔が強張った。


「九郎さまが、そこまで思い詰めておられたとは……」


 時実も衝撃を受けた様子だ。


「純真なやつじゃの。あの頼朝の悪どいふるまいの被害で自害せねばならぬなら、このわしはとっくに百回ぐらい死んでおるわ」


「あんたは死んでくれてた方が助かったけどさ」


 三郎が後から軽口を入れ、行家が「こらっ」とはねつけるのを横目に、弁慶は続けた。


「牛若さまの心はまだ壊れかけたままでおられる。それゆえ、この弁慶が、牛若さまの刃物をすべてお預かりしている。お命をお守りするためだ。戦は、我ら家来だけで行う」


 時実と能成は無言でうなずいた。


「でもよ」


 三郎が、ためらいがちに口を開いた。


「戦うのは俺らだけで充分だから構わないけどさ、護身のために短刀ぐらいは持たせてあげても……」


「その短刀でご自害を図ったのだ。そして牛若さまの心は、まだ何も癒えておられない」


 弁慶が鋭く言うと、三郎も肩を落として唇を引き結んだ。他に言い返す者はいなかった。


「牛若さまのお命は、それがしが守る」


 弁慶は、自分に言い聞かせるように少し小さな声でつぶやいた。


 牛若は刃物を返してくれとは一度も言ってこない。


「敵が来れば、我らが戦う。牛若さまには、刃を持たせぬ」


「分かりました。私も全力で兄上をお守りします」


「九郎さまのお命、必ずお守りいたします」


 能成と時実は意思を固めたようだった。




 河尻(かわじり)へ近づくと、空気が硬くなっていった。どうも風が淀んでいる。道の向こうの草むら辺りから妙な物音が聞こえた。おびただしい数の人馬の音だ。


「敵だろあれは!」


 うっすら見えた武装集団に三郎が即座に反応し、皆が一斉に武器を構える。向こうからときの声が上がった。


「――義経さまのお命、頂きに参った!」


「ん? なんか聞き覚えのある声じゃねえか?」


 三郎の言う通りだ。この声は以前、しつこく聞かされた覚えがある。何か不潔な話ばかり聞かされたような――


「おいあれ、屋敷にしつこく来て留守番までしていたやつじゃねえか! 裏切りやがって!」


「多田行綱殿ですね。鎌倉殿に追放されたと聞いていましたが、敵に回るとは……」


 忠信も予想外のようだ。


 牛若は顔を上げ、前方の男を見つめていた。何も言葉は出なかった。


 弁慶は特に何も感じなかった。牛若の命は自分が守れば済むことだ。多田行綱の裏切りなど驚きに値しない。


 何度あの不潔な身の上話を聞かされたことか。牛若にいちいち吐露しては清められたつもりになっているようだったが、やはり不潔な本体は変わっていなかったのだろう。鹿ヶ谷では法皇を裏切り、その後は木曾義仲と結んで返り咲き、またそれを裏切って鎌倉方につき、追放されたら今度は牛若に歯向かってきただけのことだ。


「義経さま!」


 行綱がさらに声を張ったが、牛若は行綱の方角を見つめたまま静かだった。


「この多田行綱、義経さまのことは心からお慕い申し上げておりました! 何度心を救われたことか! しかしながら事情は変わりました。鎌倉殿から追放された私が所領を取り返すには、鎌倉殿への忠節を示すほかござらん! そのため、誠に無礼ながら、ここでお命を頂戴いたしまする!」


「とんでもないクズだなあいつ! ぶっつぶしてやろうぜ!」


 怒りに燃えた三郎が軍勢に飛びかかっていく。鷲尾も後を追った。忠信と駿河も太刀を構えて乗り込んでいく。


 牛若はただ行綱を見つめたままだった。


 行綱が兵たちに「討て!」と命じると、一気に大軍が押し寄せてきた。


「牛若さまを前に出すな!」


 三郎が叫び、敵へ飛び込んだ。鷲尾もすぐに続く。忠信と駿河も太刀を巧みに操って敵を倒していく。


「どれ、わしも本気を出さんとな」


 そう言う行家も刀を抜いていた。いつものだらしなさが嘘のように、素早く敵へ踏み込んでいく。妙に堅実な太刀さばきで敵を倒していく。


 三郎が敵を払いながら、行家の様子を振り返るなり、思わず声を上げた。


「あんた、ちゃんと戦えるのかよ!」


「わしを何だと思っておる!」


 行家は怒鳴り返しながら、前へ出た敵をなぎ払った。偉そうな口は戦場でも変わらないが、役には立っている。


 能成は刀を握っていたが、足がついてこない。無様に振り回そうとしても敵の勢いに押され、時実が助けに入る。時実の太刀筋は無駄がない。能成の腕を引き、後ろへ下げながら、押し込んでくる敵を巧みに受けた。


「能成殿、下がりすぎてはいけませぬ」


「すみません……!」


 素直に謝る能成は息を乱しながらも、闘志だけは捨てないようだった。刀をしっかり握ってはいる。ただの足手まといのような気もするが、牛若の清らかさをかけらだけでも持っている男がいて悪い気はしない。


 弁慶は牛若の斜め後ろに控えていた。弓兵が近くには見えなかったから、あえて前に立ちはだかることはしなかった。矢が飛んできても長刀で振り払えば済むことだ。


「牛若さまは、この弁慶が守るゆえ、心配するな!」


 弁慶の声が戦場に響く。


 牛若は無言で、丸腰のまま立っている。頼朝の刺客が自分を殺そうとした時の牛若は泣いたはずだが、今の牛若はどちらかと言うと無反応だった。


 牛若の華奢な背中を前にして、弁慶の手は熱を持った。背に預かった太刀と短刀の重みがある。


 敵が左右から入り込む。こちらの寄せ集めの者たちは、押し返したかと思えばすぐに崩れ、味方の列を乱していく。鷲尾が身軽にかわし、低く走るように敵の足元を崩した。


「義経さまの方へ行かせるものか!」


 鷲尾は短剣で素早く敵をなぎ倒していく。


「裏切り者のやつらなんか全部潰してやるぜ!」


 三郎も怒鳴りながら善戦している。忠信と駿河も武士らしい隙のない動きで頼もしい。敵は大軍だが、牛若直属の従者たちは少数精鋭だ。


 敵の一人が牛若の方へ迫った。弁慶は長刀を振るい、無言で横から叩き伏せた。さらに別の敵が飛び込んでくるが、構わずなぎ倒した。


 奥歯が鳴った。牛若は自分が守る。今度こそ、誰にも触れさせない。


 そう思っていたのに、蚊のように群がるどうでもよい敵を次々と倒しながら、牛若が無反応であることが気になった。牛若は自分を見ていない。ただ前を向いて突っ立っているだけだ。すでにたくさんの敵を倒している弁慶の方を見てくれない。長刀を握りしめる手の平に嫌な汗が滲む。


 雑兵は牛若の元へ現れなくなった。追放処分中の多田行綱が連れてきた軍勢がどこからのものなのかは分からないが、行綱のために命を投げ出す忠臣の群れではないのは確かだった。


 弁慶は深く息を吸い込む。二歩だけ、退いた。これでよい気がする。


 一人でいる牛若が怯える中で襲われかけた瞬間、誰よりも早く敵を叩き伏せる。あの、一人で戦わせてしまった過ちを、牛若の目の前で取り返す。


「弁慶!」


 突如三郎の声が飛んできた。


「行綱がそっちへ行っちまうぞ! 牛若さまを守れ!」


 多田行綱が、乱れた戦線の隙を通り抜けるようにして近づいてきていた。大将でありながら、前へ出ることを恐れていない。止める従者もいないようだった。裏切り者だからこそ、自分の手で討ち取りたいのだろうか。牛若の首を手土産にする覚悟で、まっすぐこちらへ駆けてくる。


 行綱は牛若の前へたどり着き、刀を振り上げていた。弁慶はこの不潔な男が刃を振り下ろす瞬間に仕留めようと図った。あえて動かずに長刀を握りしめ、牛若の背中と行綱に意識を集中させる。


「義経さま。この行綱、お命を頂戴いたしまする」


 牛若が怯え出したらすぐに助け出そうかと思っていたが、牛若の背中は動かなかった。斜め後ろから表情は分かる。天界の稚児はただ、裸の目で行綱を見つめているのだ。


 牛若の手には何もない。腰にも何もない。弁慶の後ろへ逃げることもせず、ただそこに立ち続けていた。


 行綱の刀が、空中で止まった。


「義経さま……?」


 牛若はただ真っ直ぐに行綱を見つめている。その目はいつものように清らかだった。


「刀は……? いったい、どうしてしまわれたのですか……?」


 行綱の声が動揺し出す。


「お加減が悪いのですか……。太刀は……?」


「――久しぶりだな、行綱」


 牛若はいつもの透き通った声でつぶやいただけだった。その清らかな目はただ行綱を不思議そうに見つめ続けていた。


「……義経さま……どうしてしまわれたのですか……?」


 乱戦の喧騒の中、そこだけに奇妙な重い沈黙が落ちていた。


 行綱の目の前にいる牛若は、太刀を持たず、短刀もなく、ただ行綱を見つめ続けるだけだった。


 行綱の手が震え、息が荒くなった。瞬間、行綱は太刀を取り落とした。そのまま両膝をつき、そのままその場に崩れ落ちてしまった。顔を伏せながら肩を震わせる。


「私には……討てませぬ……!」


 言うなり行綱の目から大粒の涙が溢れた。嗚咽を漏らし、無様に泣きじゃくり出す。


「行綱……?」


 太刀を持って構えてきた行綱が牛若に何をしようとしたのか、牛若は理解していなかったのかもしれない。奇妙な光景が広がっていた。行綱の男泣きは止まらない。


 この男は牛若を討ちに来た。牛若の首を手土産にしようとした。だが大将の行綱自身が泣き崩れてしまったのだ。


 気づけば視界の向こうの敵はちりぢりになっていた。三郎たちの働きが敵を一気に崩れさせたのだ。もともと大将を守ろうともしない烏合の衆など、たかが知れている。


「――牛若さま」


 弁慶は牛若の背を支えるように、そっと手を置き耳元でささやいた。


「もう行きましょう」 


 牛若はまだ行綱を不思議そうに見ていた。


「行綱は?……」


 その声はひどくあどけなかった。泣き続ける行綱は顔を上げられないままだった。


「牛若さまには、もう関係ありませぬ。旅を急ぎましょう」


「――うむ」


 弁慶は牛若の前を歩いた。もう敵は来ないが、たとえ来てもこの長刀で今度は倒せばよい。


「牛若さま、大丈夫ですか!」


 三郎が叫んで戻ってくるが、弁慶は牛若の透明な表情を巨躯で覆い隠した。


「義経さま!」


 鷲尾が戻ってきた。忠信と駿河もそれに付いてくる。


「兄上、ご無事でしたか……?」


 時実に腕を引かれる能成の刀は少しだけ汚れていた。敵を少しは倒せたのかも知れないが、興味は起きなかった。牛若は「うむ」と短く返していた。


「私も久々にたくさんの敵をお討ちいたしました」


 時実も満足そうな表情だった。


「弁慶、お前は大丈夫だったのか?」


「ああ」


 弁慶は三郎に短く答えた。三郎は後ろの様子を見る。


「行綱、なんで倒れてるんだ? 討ち取らないのか? 裏切り者だし」


「勝手に牛若さまへ襲いかかってきた挙句、勝手に泣き崩れおった。もう放っておけば良い」


 弁慶は淡々と答えた。


「義経さまみたいな、神さまみたいな人を斬れるわけがねえもんな」


 鷲尾が面白そうに笑っている。忠信も「あれだけしつこく屋敷に居座ろうとした御仁ですし」と同調した。駿河も納得したように口を開く。


「大方、鎌倉殿に入れ知恵されたが、あの男も少しは人間の心が残っていたのでしょう――鎌倉殿とはちがって」


 弁慶はもう行綱の方は振り返らなかった。興味もない。不潔な男が清らかな天界の稚児を斬れるわけがないだろう。


「――おい、終わったならなぜ誰も教えに来ぬ」


 行家が不満そうな顔で現れた。


「てっきりまだ戦わねばならんかと思って、敵を探し求めて実に迷うところであったわ」


「あんたも、結構活躍できるんだな」


 酒を飲んでなければ、と三郎が言うと皆がどっと笑った。


「ふん、ばかにしおって」


 牛若も、その笑いにつられてわずかに微笑んでいた。


「行綱、であったか? あんなくだらぬ男に九郎を襲わせるのも、頼朝の痴れ者ぶりが分かるというものよ。土佐坊といい、行綱といい、そんなくだらない連中に九郎を討てるわけがなかろう」


「なかなかの大軍でしたが――」


 忠信が遠慮がちに言葉を挟むと、行家は面白そうに笑い出した。


「そなたは奥州の者であるから分からぬのかもな。坂東や西の武士は、わしのような欲深な悪人がほとんどでな」


「確かにあんたは欲深な悪人だけどな」


 三郎の言葉に「こらっ」と行家は反応しつつ、話を続ける。


「奥州や、今九郎の周りにいる者たちは、主のために戦うが、多くの武士という生き物は、恩賞の土地目当てでしか戦わぬ。いくら大軍がおったところで、所領を取り上げられた行綱が大将で、何も持たぬ九郎を襲えなどと言われても、追放処分の男のために命を賭ける武士などおらぬのよ。都落ちしても九郎を見捨てぬお前らとは異なるわけじゃ」


「何言っているかよく分からねえ」


 鷲尾が首を傾げ、皆がどっと笑う。


 なるほど、この奸物の言うことも一理ある。一ノ谷でも屋島でも、牛若はいつも少人数で奇跡的な勝利を収めてきた。さっきまでいた大軍は烏合の衆だった。欲で動く武士は弱いのだろう。本当に怖いのは、無欲で無垢な天界の存在にちがいない。




 なんとか大物浦にたどり着くと、先に向かった静御前と郷御前の偽山伏一行が待っていた。


 船頭が待機しており、船の支度は済んでいる様子だ。荷造りも整っている。


「判官さま!」


 静御前は、牛若の姿を見るなり走り寄る。


「お待ち申し上げておりましたわ」


「うむ」


 牛若は静の法衣の袖をそっとつかみ微笑んだ。


「義経さま、船出の準備は完了しておりますわ」


 郷御前はいつもの冷徹な声だが、それでも口元だけは緩んでいた。


「無事で何よりじゃの」


 行家が息を整えながら胸を張る。


「わしの偽山伏仲間も、たまには役に立ったであろう」


「ええ、道中何度も妙な真似をされそうになりましたが、私も静御前も、ちゃんと短剣で撃退させていただきましたわ」


 郷御前は堂々と答える。


「何じゃと……?」


「その後はとても楽しい道中でしたわ」


 笑う静御前を見ながら、胡散臭い偽山伏たちは決まり悪そうに頭をかいている。


「ほら、ろくでもなかったじゃねえか」


 三郎がすぐに行家を睨むと、行家は「ちと釘を刺すのを忘れておったわ……」、と気まずそうに目を逸らした。


 牛若は船の方を見つめていた。その目は、少しだけ力が戻っているように弁慶には思えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ