マインスイーパー
麻依を晩ご飯を食べていた席に座らせて、私もすぐ隣の席に座る。
麻依は目が虚ろな上、寝室で泣いていたのか目の周りが赤く腫れていた。そんな状態で帰らせられるわけがない。
問題が解決するまで、絶対にここにいてもらうから。
麻依は何を不安に思っているのだろう。
私がいるのに、どうして麻依は、こんなにも。
あーもう! 麻依のことをわかってあげられない自分にイライラする!
私の苛つきを麻依にぶつけてしまうわけにはいかない。自分の太ももを軽くつねることで、気持ちを落ち着かせる。
「不安に思っているのは丸わかりなの。だから言って?」
「ごめんね」
麻依は私から目を逸らして、申し訳なさそうに言った。
手のひらサイズに小さくなったかのように錯覚してしまうぐらい、麻依の態度は縮こまっていた。
虚ろな目とその周りの赤い腫れもあって、見ているだけで痛々しい。
「……そう」
こんなに口が硬いってことは、私が関係している悩みなのだろうか。私が傷つかないように、心の内だけに留めている……言わないのはきっとそういうことなのだろう。
けれどやはり、麻依の不安は解決しなければならない。不安を解決しなかったら、当分の間この気まずい空気に包まれてしまう。
気まずさは麻依を蝕む毒に他ならない。
もし放置してしまったらどうなるかなんて、目に見えていた。
今ですら十分におかしくなってしまっているのに、これ以上なんて想像したくもない。
麻依のメンタルも、私たちの関係も。闇の底にノンストップで落ちていってしまう。
今でも社会不適合一歩手前の状況なのに。
だから、麻依には悪いけれど少し荒療治をすることにした。
「言わないのだったら……ええと、何かするわよ」
これ以上麻依を傷つけるようなことなんて、嘘でも言いたくなかった。
本当は脅したくもないけれど、こうでもしないと意固地になった麻依は動かせない。
中途半端な脅し方でも今の麻依には効果があったようで、俯くと、ぷるぷると弱った小動物のように震え始めた。
縋るような様子で腕を掴まれて、振動が伝わってくる。
それから麻依は私の顔を見上げた。ただでさえ赤かった目元がさらに赤さを増して、目には涙が浮かんでいた。
こうなることを覚悟してはいたけれど、やっぱり心が痛い。
罪悪感で目を逸らしてしまいそうになるのに逆らって、涙を流す麻依と目を合わせる。
麻依に不安を抱かせてしまった癖に、ここで罪悪感に折れてしまうなんて無責任が過ぎるから。
「いやな夢を見ちゃったの」
麻依は乱れた呼吸で途切れ途切れになりながらも、話し始めてくれた。
「結季ちゃんに忘れられちゃう夢」
忘れる……麻依がそんな夢を見てしまったのはきっと、今日の朝に私が言った『何も忘れたくない』って話のせい。
その証拠に、あの時から麻依の様子は少しおかしかった。
言わなければよかった。後戻りできないとわかっていても、そう思わずにはいられない。
「忘れようと思ったのに忘れられなくて、それから、結季ちゃんがどこかに行っちゃうんじゃないかってどうしようも無く不安になっちゃって」
「大丈夫、わたしはどこにも行かないから」
そういって安心させようとする。けれど、麻依は「だけど!」と、言葉を素直に受け取ってはくれなかった。
「わたしなんか結季ちゃんに迷惑掛けてばかりなのに、なんで結季ちゃんがわたしの隣にいてくれるのか、考えても分かんなくて……」
「わたしなんか、なんて絶対に言わないで」
麻依は『なんか』じゃない。すぐそばに居続けた私だからそう言い切れる。
「麻依じゃないとダメだから私はずっとここにいるの。それに迷惑だなんて思ったこと一度もないわ」
「本当に?」
「本当に決まっているでしょ?」
麻依は一度目元を手で拭った。少しは安心したみたいで、拭ったそばから涙が垂れてくるようなことはなかった。
とはいえ、まだいつもの麻依には戻っていない。目に灯る光は弱々しいし、表情のほうも元気があるようには全く見えない。いつ再び涙が溢れてきてもおかしくないように思えた。
「そう……だよね、変なこと言って本当にごめんね結季ちゃん。こんなの結季ちゃんのことを信頼しきれてない証拠だよね。不安でおかしくなってるのは自分でもわかってるの」
……麻依は十分に、私を信頼してくれていると思う。密着するほど近づくのが普通になるぐらい心を許してくれていて、大切な指輪だって一緒に決めた。
そんなの、十分以上に私のことを信頼してくれていなければできないこと。
けれど、その信頼を軽く飛び超えてしまうような強い不安だったからこそ、今こうなっているのだろう。
謝るべきなのは私のほう。どうにかなってしまいそうなぐらいの不安を麻依に抱かせてしまったのだから。
「ごめんなさい。麻依に不安を感じさせてしまったのは私だから」
「そんなことないよ! わたしが面倒くさい性格してるせいだから……」
麻依に気を遣わせてしまった……。
何をしているのだろう私は。不安にさせた上で気まで遣わせてしまうなんて。
いつの日か、麻依が私に愛想を尽かしてどっかに行ってしまってもおかしくない。
なんて、私まで不安に襲われる。
そんな私をよそに、麻依は。
「どうしてもね? わたしよりいい人はこの世にごまんといるのに、って思っちゃうの。結季ちゃんがわたし以外の人のところに行ってもおかしくないような気がして」
「……それは麻依も同じでしょ?」
麻依は意外そうに「えっ?」と私を見つめる。
「私も、麻依がどうして私の傍にいるのか不安になることがあるの。守らなくてよくなっても、麻依は私を必要としてくれるのか。って」
「そんなの……」
そこで気付いたのか、麻依は口ごもった。
「そう、麻依と同じ」
私だって完璧超人ではないから、不安になることはある。ただ、それを麻依にバレないように隠していただけで。
「私が傷つくなんて心配はしなくていいの。たって不安に思ってるのはお互い様なんだから」
「……結季ちゃんもそんなこと考えてたんだ」
麻依は少し驚いたような様子で呟いた。
「それに私は、麻依に何かを隠されるほうが傷つくわ」
物事を隠されると、その奥にある何かを想像で導き出そうとしてしまう。
そして大抵、その想像は悪い方向に転がっていく。
例えば、『麻依が私に嘘を吐くのは他にいい人ができたからに違いない』なんて根拠のない妄想を大真面目に考えてしまったり、だとか。
いつだったかまでは覚えていないけれど、確かそんなことがあった。
「麻依も私に隠し事されたらいやでしょう?」
「それは……うん」
「だからすぐに相談して?」
何も隠さないでいてほしい。いつどんな時も、麻依の思考の全部を私にさらけ出して欲しい。
でないと、見えない部分を想像で補って不安になってしまうから。
「私も、何かあったらすぐに相談するから」
想像で不安になるのは麻依も同じだから、私も隠し事をしないようにしないと。
「わかった。ありがとね、結季ちゃん」
そう答えた麻依は穏やかな笑顔を浮かべていた。
今朝以来の、と言うと短いようだけど、私にとっては何日も経っているかのように長い時間だった。
きっと、今日のことはいつまでも忘れない。
「どう? これで不安じゃなくなった?」
麻依はいきなり立ち上がると、何を思ったのか私の体に顔を埋めてきた。
「……安心する」
それだけ呟くと、元通りになって。
「安心するってことは、不安じゃなくなったのかな」
「それで判断するの?」
「いいじゃん。だって分かりやすいんだもん」
「なら、いいのかしら」
麻依はいつも通りの様子でニコニコと笑ってくれた。麻依の長い曇り顔で私の心身が疲弊していたのか、いつも以上にその明るさが染み込んでくる。
ああ、本当によかった。嬉しくなりすぎて反省点を忘れてしまわないようにしないと。
「今度こそ帰らないとね」
二人でしばらく柔らかい空気に包まれてから、麻依が言った。
「ええ、途中まで着いていくわ」
さっきまでの麻依は絶対に一人にさせられないような様子だったけれど、今はもう大丈夫。
もう二度と麻依を不安にさせたりなんかしない。
そう覚悟を込めて、麻依の手を取った。




