森の異変
トレントを見上げていたジュリアの元へ、一人の獣人が歩み寄ってきた。
「あんたが、新連邦の親玉かい?」
低く響く声。
振り返れば、ライオンの鬣を思わせる金褐色の髪を持つ大柄な男が立っていた。
肩幅は広く、片腕だけで丸太でも担げそうな体格。
だが、その目だけは妙に理性的だった。
「ジュリア・アークライトです。あなたは?」
「キャスランだ」
獣人国の族長。
――そう呼ばれている男だった。
キャスランは肩を竦める。
「まあ、“国”なんて大層なもんじゃねえ」
森の方へ顎をしゃくった。
「この大森林には、他にも集落が山ほどある。狼、熊、猫、鹿……種族ごとにな」
「年に一回、族長同士で集まっちゃいるが、普段は好き勝手だ。纏まりなんざ、ありゃしねえ」
「ですが、あなたは国王なのでしょう?」
ジュリアが首を傾げる。
するとキャスランは、豪快に笑った。
「俺が頭なんて損な役やってんのはな――」
キャスランが肩をすくめた。
「誰もやりたがらなかったからだ」
あまりにも率直な答えだった。
ジュリアは数秒沈黙し。
「……なるほど」
静かに頷いた。
「私と同じですね」
キャスランが吹き出した。
「ははっ! 気に入った!」
◇
「ルーヴァシードという香辛料、ご存知でしょうか?」
ジュリアの問いに、キャスランは「ああ」と短く頷いた。
「うちじゃ昔から使ってる。肉料理には大体入ってるな」
「ルーヴァがどうかしたのか?」
ジュリアは一瞬だけ沈黙し、現在連邦内で起きている異変について説明した。
“穏やかになりすぎる”人々。
感情の鈍化。
思考停止にも似た平穏。
話を聞き終えたキャスランは、腕を組んだまま唸る。
「ふーむ……妙な話だな」
そして、ふと思い出したように言った。
「昨夜、貴女が食べてた肉料理にも使ってたはずだぞ」
「え?」
「ルーヴァシードだ。焼いた時の香りが立つんでな」
ジュリアは僅かに目を瞬かせた。
「そうだったのですか」
そして思い出すように。
「ええ。とても美味でした。刺激的な味だったかと」
キャスランは、じっとジュリアを見る。
値踏みするような視線。
「……だが、今の貴女は正常に見えるな」
沈黙。
森を渡る風だけが静かに鳴った。
ジュリアは静かに問い返す。
「正常でない者は、どうなるのです?」
ジュリアの問いに、キャスランはすぐには答えなかった。
「さあな」
低く呟く。
「だが少なくとも、うちの集落で採れるルーヴァじゃねえだろう」
そう言って、彼はゆっくりと視線を上げた。
巨大なトレント。
その枝から垂れた蔦のブランコ。
獣人の子供たちが歓声を上げながら揺れている。
あまりにも穏やかな光景だった。
「何か、ご存知なのですか?」
ジュリアが静かに問う。
キャスランは腕を組み、少しだけ眉を寄せた。
「……最近、近隣の集落で“暴れトレント”が出てる」
「暴れ?」
「突然だ。今まで大人しかった連中が、人を襲い始めた」
鬣をゆっくり撫でながら続ける。
「切っても止まらねえ。燃やしても暴れる」
子供たちの笑い声が、遠くで響く。
その音を聞きながら、キャスランは低く呟いた。
「森が……騒がしくなってきてるんだ」




